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『少子化』と『高齢化』の相対性の『狭間』にあるものは?そもそもの国家と民族の本質とは?
こんにちは。宙唄です。
いつも徒然なるままに「note」しています。
今日は、出生数のニュースが流れてきました。
『子宝』
それは全ての『人類社会』において生命として共通の概念だったはずの事が今、この『日本国』では本質的に揺らいでいます。
少子化と高齢化を、官僚たちは人口や経済統計で語ろうとしていますが、
最も重要な、決定的な真実の因果がそこには隠れている気がしています。
我々の日本国、日本語を使い、日本の文化伝統を血統を継承してきた人々の国土や想いが、今グローバル資本主義によって書き換えられて、既に摺り替えられた状態になっています。
良し悪し二元論に収斂された様な、オールドメディアによる情報と選挙制度は、日本人を愚民化した。本当は「ネガティヴ」や「不都合」な真実に目を向けてそこから学び取ることを並行して、第三の選択肢の未来を創造していくことも可能であったはず。
私は
団塊ジュニア、就職氷河期世代
です。
ある意味この世代の
本質的「リアルモデルケース」
とも言えそうな気が「note」しながら最近しています。
「孤独」「絶望」「無愛」
核家族、自己責任、洗脳教育・・・・
全てが希望のまま叶った『団塊の世代』
と、
全てが絶望のまま現実を生きる団塊ジュニア。
家族内における価値観の世代間格差も半端なかったです。
特に私の両親は「全共闘運動」の主体をしていた時に大学で出会い、結婚しました。根底にある価値観に「左翼思想」に根ざした「暴力に支配された正義」家庭環境での幼少期に、
私は、受診することもなかった「自閉症スペクトラム」的なリアル生活はDNAなのか?環境的要因なのか?
ただそれが当然である日常を生きて大人になりました。
「貴方が服を選ぶのは100年早い」
幼稚園生の時に母に言われた言葉がずっと残っています。
母の祖父母はお菓子工場を運営していて、比較的当時としては裕福でした。
運転手付きの車、床暖房など電化製品が発売されると最初に入れたり裕福に育ったのにも関わらず、私には真逆の事をした。
今思えば恐らく、母にもアスペルガー症候群に近い発達障害があったのだろうと感じます。
「貧困」と「労働」
蟹工船の世界を押し付けられたような家族の子育て環境でした。
トマ・ピケティ氏が「21世紀の資本」にて示した様に、
労働が資本を上回る事は無い。
更に、
国家は資本を『国民の信用』によって生み出す事が出来る。
即ち本来であれば、
ベーシックインカムについて最も討議すべき国がこの地球上にあるとすれば、それは『日本国』に他ならない。
何故なら、ここまで勤勉に労働して、耐えて、平和と法と治安を守り生活している民族だったのだから。
80年代に、年金制度や社会保障制度こそ「ベーシックインカム制度」だと胸を張って、欧米に推奨すればよかったはず。
90年代以降の政治家と行政が全てをおかしくした。
1975年生まれをピークに、日本人の「出生数」は減り始めて、「外国人を含む出生数」が昨年ついに「70万人割れ」になりました。
「国家消滅」「民族消滅」がいよいよ現実化してきました。
我々の子孫である「日本国民」が「先住民族」になっていく未来が急速に近づいています。
私個人の残りの余生、人生は
『放擲』
です。
僕なりに、社会、地域、家族どの角度からも「孤独」「無愛」「絶望」である地球人類における環境の中を47年間過ごし来ました。
あらゆる尺度から相対的に或いは俯瞰して、自分の体験と共に咀嚼解釈認知する事を自らに課して、独自の日々を重ねています。
全ての因果は、現実の全てに精通しています。
私の因果も全てのこの現実世界に繋がっています。
一つ、
皆さん、ユダヤ教の『ラビ』はご存知でしょうか?
宗教や民族的価値観は別として、
国家民族の根幹を成す者に対して、国がその存在を積極的に支援する様な国も存在します。そして生き方やあり方を、子孫繁栄を第一に考えた人道的な国家社会を作ろうとしている国もあります。
また、
サウジアラビア王国においては、つい最近まで鎖国されていて、国民の住民税や医療費、教育費が無償であり、更にアラブ民族は職が優遇されていた事をご存知でしょうか?
我々は欧米だけではなく、もっと広い価値観の中から、国家国民にとって大切なものがなんなのかを見つめる必要があるのではないでしょうか?
そもそも、
本当に大切な事を当たり前の「生物」としての現実
から「国家」を見つめたときに、真実が見えてきます。
イスラエルやサウジアラビアは「500年後」も民族が主体となって存続していくでしょう。
日本人と日本国はどうなるのか?
恐らく『アメリカ合衆国』において起こっている民族問題になっていく。
つまり
『ネイティヴジャパニーズ』
として呼ばれる未来が、恐らく100年もかからずに実現するでしょう。
本当に少子化に危機を感じて生存権に対して国家の未来を捉えているのならば、
日本の学校で教えるべきは、英語だけでなく中国語やスペイン語、アラブ語、スワヒリ語などを義務教育に今すぐする必要があります。
日本語自体が言語としての危機を迎える未来もそう遠くないでしょう。
・・・・・
今の日本社会においてボリュームが高いのは
『団塊の世代』
であり、政治において票数も天下り先にいる旧官僚も、また左翼的な人間も、全てにおいて
『高齢化社会』によって『少子化』
の歯車となって加速しています。
『絶望的両輪』
により、日本国の滅亡へ加速しています。
その狭間地獄にあるのが、我々。
『団塊ジュニア&就職氷河期』
世代です。
そろそろタイトルの意味が見えてきましたか?
そもそもの国家と民族の本質とは?『少子化』と『高齢化』の相対性の『狭間』にあるものは?
この世代の『絶望』と『孤独』に光を当てなかった。
少なくとも20年前には早急に取り掛かるべきだった。
批判を敢えて言うならば、
生物として、この世代の女性たちは妊娠適齢期をとうに超えています。
なぜ、地球生命体としての本当の事を、真実に向き合わず、
オブラートや思考的理性によって滅亡しようとしてきたのか?
生物として男女は役割が違う。
なぜ、地球を生きる他の生物については分かる当たり前の事が、人間社会を、生きる為にあるはずの国家社会構築においては考慮されずに、
聞こえの良いスローガンに靡くのでしょうか?
『男女同権』
『女性の社会進出』
本当の意味で問われていると感じます。
このままではむしろ
『女性』にも『男性』にも『国家社会』そのものが不幸な人生を与えている。
憲法13条。
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする
我々の世代は最大に尊重される権利を、ほとんどの人々はただひたすらに耐えてきたと感じます。
なぜ国家から、尊重されないのか?
父親になることも母親になることも、結婚することも、住むところを得ることも、働くことも、或いは生命や自由、幸福そのものも、
立法や国政によって踏み躙られている。
そう感じるのは私だけでしょうか?
まだ思考することが出来る団塊の世代の方々。
目覚めて下さい。気づいて下さい。
この
現実の因果の根源の中心は、貴方たちが当然と思って生きてきた過去の積み重ねの中
にあります。
もし気づいて動いたならば、
『少しだけ』
未来の「日本の因果」へ『光明』が差します。
その少しの『希望』から、小さな未来因果は変容していきます。
もう私達が生きた、
父母として生きたはずの時代を絶望として生きる社会
を
未来へ継承しないために。
ではまた。
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