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『ポストシンギュラリティ』『神』『社会』『貨幣』『幸福』「生命』『存在』そして・・・・
皆様こんにちは。宙唄です。
いつもそこはかとなく「note」しております。
お付き合いありがとうございます。
2025年に入り、成人式も終わり、いよいよ第二次ドナルド・トランプ政権の4年間が始まります。
大統領選挙が終了して2ヶ月が経ちましたが、水面下で様々な力動、もつれが始まった気がします。
シリアのアサド政権の崩壊。大韓民国大統領の戒厳令に端を発した事件、北朝鮮兵士のロシア軍従軍によるウクライナ紛争の新展開、中国などによるサイバー攻撃の激化。
眺めてみると、20世紀以降の世界は「資本主義」と「ポスト資本主義」というものを、
資本家主義と労働者主義での『正義』と『正義』の対立を結局『武力技術』の対立によって進んできた様に見えます。
冷戦が終了した後、情報通信分野の共有化、大衆化が進行していきます。
産業革命以降80年代まで『工業力』と『資本力』は紐づき、『労働力』はそれを支えていくものとして『資本主義社会』の中で機能してきましたが、
デジタル化やロボット化よって、『労働力』に大きな変化が見えています。それでも人類は『消費者』『生活者』としての役割を与えられ、エンターテイメントやファッション、納税や社会貢献行為、教育資格など『資本主義の駒』の様に社会存在意義を与えられ飼い慣らされた『家畜』の様にも見えます。
正義と正義の争い。東西冷戦はそもそも「資本」とは何か?という現実解釈の違いによって別れたイデオロギーの戦いであり、
そもそもの因果である『資本』と『社会権力』というものを人類が『放擲』した『ポスト資本&共産主義』を
そもそも『社会と富の再分配』は何のために必要だったのか?
という原点を解消することによってパラダイムシフトした地球環境、生態系の一部としての人類、我々も生命循環の一部であることに、
呼吸や心臓の鼓動、男女や、生きている意味に到達していくのだろうと感じます。
『神』『社会』『貨幣』と『幸福』「生命』『存在』
今回のタイトルの中で、変えられるものは何か?
また変えられないものは何か?
そもそもどれが存在しているのか?
『神』
『社会』
『貨幣』
は変えられるもの。
その理由は地球人類が定義したものであり、それ自体の言葉や定義しているのは人類だから。
『幸福』
は主観的なものであり、『世界』や『意義』『感情』などと同じくその人の内側にしか存在しないもの。
『生命』
なぜ祖先がして生きているのか?未だ誰も知らないけれども『存在しているもの』
『存在』
我々が知覚しているから存在している。我々が知覚しなければ存在しないもの。
『時間』は多元宇宙から捉えた時に『存在しない』
どこが始まりで終わりかわからないから。
太陽光を軸に、我々地球人類が『年月日時刻』を定義して数えている数値的なもの。
相対的に今の現実から見て、過去と未来と呼ぶべき『時刻表』を人類は共有している。
我々が多元宇宙の現実の中でこれだけ精密な偶然が必然として存在しているということは、無数の「地球」が並行宇宙に存在していていると捉えた方が自然である。
当たり前に目に見えない、地球人類が未知未到の場所は観測可能な宇宙空間の殆どであり、太陽系の外にすら到達できない状態だ。
それでも量子チップや、AI、ロボット技術は進化して人類はいよいよ『人類』として『労働力』となってきた、それによって苦しんできた『能力』を放擲可能になってきた。
労働生産性も、研究も、統治もそして富の再分配を実現するポスト金融資本主義システムや、創造主の設計図も
全ては「ポストシンギュラリティ」と呼ばれる新時代において、解決済みになる。
しかしそれは地球人類が思い描く「天国或いは楽園」のような時代になるのだろうか?
一つ重大な鍵になるであろうことは
「オーバーグローバリズム」と「人口爆発」
になるだろうと感じる。
「自然界は止まらない。」
地球人類も霊長類、ホモサピエンスであることを忘れてはならない。
地球人類の人口は100億人に達する。そしてその先もし増え続けた場合200億人、1000億人と爆発した時に何が起こるだろうか?
皮肉な話だが、戦争や病気が人口調整の「神の見えざる手」だった事は否めない。
ホモサピエンスが、想像力や技術力、知恵を協調結集して作り上げた、グローバル資本民主主義社会は、「人口爆発」と「固体生命の延命」を実現した。
それは地球上において「ホモサピエンス」だけが生存拡大して、他の多く種族の「絶滅」による生命淘汰が進行している。
時間と同じく、この多元宇宙における現実は「非二元性の一つ」であり、
因果応報。諸行無常。
万事塞翁が馬。
考えても仕方ないことばかり。
それでも『地球人類』ホモサピエンスも自然であり、ホモサピエンスとしての生命活動は止まらない。つまり「思考」や「行動」は止まらない。
さらに皮肉なことに、どの選択肢を選択したとしても「死」や「宇宙の終わり」はやってくる。
地球においてだけでも、わかっているだけで5度「大量絶滅」している。
核戦争で自ら絶滅する事を回避しても、いつかはホモサピエンスが絶滅する日はやってくる。まるで懐かしのハリウッドSF映画たちのように。
ならば、何故生命はこの多元宇宙の中に存在するのか?
『地球』と『自分』という内在する体験感覚との関係をただ見つめてみる事に人生として、この生命が存在している意味を見いだす道がある様に感じる。
災害、戦争、貧困、犯罪、格差、絶望、虚無、
人生の中には沢山のことが存在している。
80億人も存在していて、それぞれの人生の中でこの地球人類の今を生きている。
何の意味、因果理由はわからないが、個々の「死」と人類としての「絶滅」そして地球の「消滅」の未来に向かって。
私はAI研究者ではないけれども、おそらく量子力学とAIシステムは、地球人類が到達し得なかった多くの謎を既に解明しているのだろうし、この先数年間は人類社会の常識にとって途轍もないパラダイムシフトが起こるだろう。
宗教や政治、経済などは、人類よりも量子に委ね切る事が遥かに、人類が恩恵を得る
「リンゴの木」
からただりんごを取り食べて、寝て、糞尿をして繁殖する。
それはもう可能なのだろう。
ただしホモサピエンスが生き残ったのは、他の種族を「恣意的に淘汰して、滅ぼしてきたから」だ。それが本能であり、騙し、殺し、淘汰して自分達だけが生き残る。
良いとか悪いとかではなく、地球生物的に見ても、地球人類史的に見ても事実だ。
その視点で捉えると「死」や「滅亡」という未来、「悲哀」「絶望」「虚無」「消滅」といった本能から避けたいと思うものの中に、
未知の答えがある様にも見えてくる。
それはこの多元宇宙において実存している現象。有から無、無から有或いはその間にある多次元の未知の世界。
思考することは、地球人類に与えられた苦悩でもあり快楽でもある。
与えられたそれぞれの生命を、それぞれの体験を、人生を。
もっと多くの体験を共有、感じたいと願うから過去から続く未来への旅を重ねていく「今」がある。
共有出来る誰かとの共感を求める、それが「自分」として地球に人間として存在して生きる意味、原動力なのだろうと思う。
ポストシンギュラリティ時代、人類社会は一気に量子力学を活かした社会設計が加速する。
それでも『家族』や『社会』、『男女』や『遊び』『自己実現』といったものは続いていくだろう。
『スポーツ』『芸術』などの『自己表現』や『競技』も続くだろうし、『食事』や『快楽』『建築』といったこと。そして『人間関係』に苦悩することも継続していく。
『開発』や『研究』は更なる次元へと多元宇宙の偶然が「強制終了」するまで加速していくだろう。
このろくでもない、人生の現実を自分がどう捉えるかは、
自由だ。
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