忘れていく日々、時々回顧
夏休みということで、奥多摩へ行ってきました。
コロナ禍の中、都内から出るのも気が引けて。
最後に行ったのが、気がつけば12年前。本当に久しぶりの奥多摩。
20年くらい前、大学生だった頃はなぜだかよく行っていました。やれGWだ、夏だ、秋だと奥多摩に行く日々。もうすっかり忘れていましたが、なんだか思い出が込み上げますね。
暑くても、寒くても、箸が転がっても笑い転げていたあの頃。
どうでもいいことで喧嘩して、空気悪い車内、安くて大量に買える肉。はしゃいで歌って隣の人に怒られるロッジ。
全てが奇跡のようにキラキラした大学時代。
周囲には本当にご迷惑をおかけしました。今更ながら申し訳ない。
でも、私今その当時の誰とも連絡とってないんですよね。
別に喧嘩別れしたわけでもなんでもなくて、就職して、転勤したり、転職したり、結婚したり、離婚したり、なんだかんだみんなライフステージが変わることが沢山あって。いつの間にか集まることもなくなりました。
今でも思い出すこと、みんなにもあるのかな。
私は奥多摩に行くまで忘れていました。20年って長いね。だって生まれたての赤ちゃんが一丁前に成人になるんだから。
泣いて笑ってドキドキして。もう2度とこない青春時代。
思えば恋人同士には「別れ」があるけれど、友達って「別れ」がない。
恋人でも自然消滅とかまぁまぁあるけれど、「終わったんだよね?」みたいな気持ちの区切りはあると思う。
でも友達って、余程の仲違いがない限り別れたつもりなんてなくて、いつの間にか、潮が引くように気がついたらなくなっていて。そして、新しい出会いがあり新しい友がまたやってくる。
もちろんずっと連絡している友達や幼なじみがいなくはないけれど。そっちの方が珍しい。
SNS時代の今の子はずっと繋がっていくのかもしれない。それはそれで負担そうだけど、またライフステージが巡れば再会できる可能性がずっと高いと思うと、それはそれで羨ましい気もします。
忘れないことなんてきっとないけれど、今目の前にある現実もきっといつか忘れてしまうと思うと、とても大切な記憶だと思う。
マスクばかりの夏。
楽しみもやりたいことも全部奪われてしまうのではないかと思う不安もある夏。
だけど、夫がいて息子がいて。
大好きと言ってくれる純粋な思いに触れられるのはきっと今だけだから。
忘れたくないなぁ。