田舎のスーパースター
昨日幼稚園の頃からの幼なじみから電話があった。
私たちは関西の小さな田舎町出身だが、私は関東、彼は東北で暮らしている。
彼とは一切恋愛関係はないが、ずっと気が合って仲が良く、思春期特有の男女の隔たりとかもなかった。
よく深夜にバイクに乗せてもらっては、田んぼみちで口に入る小虫にワーワー文句を言いながら夜を明かしていた。
高校は私は地元の進学校、彼は地元の最底辺校に入学したのだが、彼は「この環境にいたらヤバいと思った。」と言って、数ヶ月で高校を中退。その後は土木関係の仕事を転々とし、私が大学生だった頃、「高校ぐらいは出ておかないとと思う。」と言って、働きながら定時制の高校に通って卒業した。
彼とは選択してきた学校や職業は全然違うのだけれど、共通するのは、
「誰になんと言われても自分が正しいと思う道を行き、失敗しながらも前を向いて歩いている」ところだと思う。
彼は20代前半で前妻と子供を残して単身東北に行き、16から入った土木の世界で今も頑張っている。今年からは個人事業主になったそうだ。
そんな彼からは忘れた頃に電話がかかってきて、近況報告をしあうのが常。彼はいつも言ってくれる。
「お前は昔から頭良かったからなー。」
「お前は本当にすごい。」
「俺もお前みたいな人生歩みたいわ。」
彼の言葉には嫌味が全くない。本心からそう思ってくれている。
中学の頃から夢だった仕事を辞めて、今はフリーランスをしているということも、「さすが。なかなか辞めたいって言って何年も足踏みしている奴も多い中、お前はいつも確実に前進してるよな。」と肯定してくれた。
ふと私は、社会人になってからこんなに他人に肯定されることってあったかな?と思った。研究や業務は得意分野だから、結構褒められることは多かったけれど、
ADHD的な細かいミスや、私の天才的な社会性のなさで普通の人は言わないことを言っちゃうところとかを咎められることが多かった。「理解不能」「あり得ない」とか。
教育においても、「ほめる」ことは重視されがちだけれど、一方で教え導いていく、今よりも発展させていくことをかんがみると、ほめるだけではやっぱり足りない。
けれど、私は久々に自分を全肯定してくれる彼に救われた。
田舎の小さな学校で成績が良かった。そんな人世の中にはいっぱいいて、大学や職場では自分よりできる人なんてゴマンといる。
それに、学力と仕事の能力は違う。私はいわゆる勉強はできても世渡りは苦手なタイプだから、学生時代までの評価は学生時代で期限が切れているだろう。
それでも彼は中学時代頃の私を尊敬してくれていて、あの頃のままの気持ちで向き合ってくれた。そのことが嬉しかった。
田舎には、高卒で大企業に勤めているとか、高校時代甲子園に出たとかでいまだに尊敬の眼差しを向けられているおじさんたちがいる。(マイファーザー)
その頃の日々を語る目はとってもキラキラしている。
広い世界に出ると、さらに上には上がいるから、田舎にいた頃すごいとされていたものは実は別にすごくないことを知る。
けれど、それを無理にアップデートする必要はないよな。
本物に触れる、真実に触れることだけが何も全てではない。大切なのは自分が何を信じ込むか。
自分を有用だと信じ込むのも私の勝手だし、無用だと信じ込むのも自由だ。
どうせなら私は有用な人間で、世の中に大きなインパクトを与えるために生まれてきたと思っても良いよね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?