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西国三十三所リスタートの旅〜第一番 青岸渡寺(那智山)〜

パンデミックの影響で2年ほど中断していた西国三十三所巡りを復活しました。
今回向かったのは和歌山県は那智勝浦にある青岸渡寺。9月24日〜25日の1泊2日で行きました。

★青岸渡寺について

西国三十三所の第一番札所。
インドからやって来た裸形上人が4世紀頃に創建したと言われています。
熊野三山の1つ、熊野那智大社に隣接しており多くの参拝客を集めています。

ちなみになぜ西国三十三所の第一番札所になったかというと…。
花山法皇が、那智の滝の上流にある二の滝で千日の修行をした後に西国三十三所巡礼に出発したから、と言われているようです。

★行く前からトラブル続き

この青岸渡寺、というか熊野那智大社や那智の滝などもひっくるめた那智山。
かなり前から「行きたいなー」と計画はしていました。
確か最初に行こうとしたのは2020年。
結婚1周年だけど行きたいところある?と聞かれて、
「那智山!!」
と答えた私…。
そこから行く気満々で準備していた矢先、あの皆さんご存知な世界的パンデミックが発生。さすがに県外への旅行は断念せざるを得なくなり、見送ったのでした…。

そして時は流れ2022年。
「もう行っても良くね?」
という話になり、9月頭の週末に行こうかという事で話が進み始めたのですが…。

・最初に行こうとしていた日に夫に用事ができてしまったため、9/24に延期。

・本来行く予定だった日の前夜に夫の車のエンジンが故障。動かなくなり修理工場へ。

・元々この車で行くつもりだったけど修理がかなり長引きそうで使えない、という事で私が普段メインで使ってる軽四で行く事に。
ただこの車にはETC車載器とナビがついていないため急遽ETC車載器は取り付けてもらいました。ナビはスマホで代用する事に。

・準備完了かと思いきや台風が接近中というニュースが。地図を見ると自分達が行くであろうあたりに進路がかすっている…。
→台風接近中ではあるけどギリギリ自分達が行く日には抜けそう…という淡い期待にかけて行く事を決断。

・出発前日。タイヤに空気を入れていたらラスト1本でコンプレッサーのホースに穴が。
とりあえず応急処置して使おうとしたら今度はブレーカーが落ちた。らしい。(空気を入れていたのは夫だったため。)

行く前から色々あったため、
「もしかして那智の神様に拒否されてるのでは…。」
とかかなり悩みましたが、楽観的な夫は「大丈夫大丈夫〜」と言ってたし、そもそも色々あったけど決定的に行けない、というほどの出来事はなかったので、結局は行く事にしたのでした。
(本当に拒否されてる場合はどう頑張っても辿り着けないとか、道に迷って行くのに時間がかかり参拝時間を過ぎて入れないとか、物理的にダメな状況に追い込まれるらしいです。)

その結果、台風が抜けて2日間は暑いくらいの快晴。行って良かったと思える旅になったため、とりあえずはホッとしました。
一体なんだったんですかね…あれ…。

★急に変わる空気感

兵庫県にある自宅を出てから休憩を挟みつつおよそ5時間。昼過ぎにようやく那智山に到着。
つづら折りみたいな坂道を上った先に駐車場がいくつかありましたがどれも満車。
多分最後の方かな…という感じの駐車場まで来てようやく車を停める事が出来ました。
道中、走っていると明らかに途中で空気感が変わり、
「なんか空気感変わったよね?」
みたいな話を夫としていました。
夫は、
「なんか浄化されてそう。」
みたいな事を言ってました。
ちなみに私も夫も霊感の類とかは全くありません。
が、神社やお寺に行った際に、
「空気が澄んでる感じがするなあ。」
とか思う事はよくあります。
ちなみに場所によっては何も思わない時もあります…。

ちなみに道にはお土産屋さんや食事が出来るお店などが並んでいて、歩いている人も車もかなり多かったです。

★参拝へ

駐車場の近くに石段がありました。
ここを上ってお参りするらしい。

…やっぱりこういう場所の石段って長いですよね…。
息切れしながらどうにか上りました。
しばらく上ると左側は熊野那智大社、右側は青岸渡寺と道が分かれます。
とりあえず御朱印の時間が気になるため(多分大丈夫だけど)先に青岸渡寺に行く事にします。

また石段を上って、

青岸渡寺に到着です。
ちなみに熊野那智大社は隣接しているためすぐに行けます。
行けますっていうか、多分神社やお寺に詳しくない人だと知らずに行き来してそう…みたいな距離感です。
元々熊野三山の信仰と合わさって、明治時代頃までは青岸渡寺と熊野那智大社は一体化してる感じだったようです。
神仏習合っていうやつです。
ただ、明治時代になり神道と仏教を分けるべき!みたいな感じになってしまい、別々になったという事らしいですが。

中の観音様にお参りして無事に御朱印をいただいた後、熊野那智大社にも参拝しました。

行くまでの色々のせいか正直那智山の神様に受け入れてもらえてるのかが心配だという事もあり、
「ここまで来れるようにして下さってありがとうございます。」
という事をお伝えしておきました。
…まぁ、普段からあんまり願い事はしないタイプですが。

そういえば青岸渡寺の参拝するところに、
ここはお寺なので柏手を打たないで下さいみたいな事が書いてあったのが印象的でした。

★那智の滝へ

青岸渡寺から那智の滝はちょっとだけ見えます。

ですがせっかくなら近くで見たいので那智の滝まで行く事にしました。

案内に従って結構急な石段?みたいな場所を下りて行くと、先程車で通って来た車道に出ました。
そこでさすがに空腹がピークになって来たため、近くにあった食事処で軽く昼食を食べ、那智の滝(熊野那智大社別宮飛瀧神社)へ


鳥居をくぐり参道を歩いているとなぜか子鹿がいました。
一瞬、奈良公園みたいなのを想像して、
「へぇ、那智の滝にも鹿がいるのか。」
と勝手に納得していたんですが、後から考えたら絶対たまたま迷い込んだ野生の鹿ですよね…。
ちなみに鹿の写真を撮ろうとしたところ逃げられてしまって上手く写せず、代わりに通行人のおじさんが写ってしまったため、写真はボツにしました…。

そうして那智の滝に到着。
水しぶきがすごい。
日本一の落差を誇る滝です。

水のある景色っていいですよね。
私、川とか滝みたいな"流れる水の景色"が好きなんですよね。
人も多いし長居は出来なかったですがいつまでも眺めていられるような、心地の良い場所でした。

那智の滝も見る事ができたし車に戻ろうか、と歩いていたんですが、その間にも坂を上って行く車をたくさん見かけました。
その時点で15時前くらいだったと思うんですが、さすが有名な場所は人がたくさん来るのだなぁと思いました。

★後で知った事ですが

これは帰って来てから知った事なんですが。
平安時代の歌人、和泉式部が熊野詣をした際の言い伝えがありまして。
熊野本宮大社までもうすぐ、ってところで月の障り(生理)になってしまいました。
今の価値観では考えられない事ではありますが月の障りは穢れ、みたいな考え方があって神社に参拝するのはいけない事みたいな感じだったそうです。
(ただ、生理の時に参拝してはいけないってのは穢れじゃなくて気枯れ、って事だったみたいな説もあります。
不浄だから、みたいな意味ではなく、「生理の時は体調的にも結構しんどい状態だから、神社に参拝などはせず家でゆっくり休みなさい」って事だったとかいう話もありますが…。話が脱線するのでこの辺で。)

で、近くまで来たけど穢れた状態では参拝出来ないと嘆いて歌を詠んだその日の夜、夢に熊野権現が現れて、
「もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき」
と歌を詠んだそうです。
ざっくり言うと、「月の障りとか気にしないよ!」みたいな感じです。
おかげで和泉式部は無事、参拝できたとの事です。
熊野は女性だけでなく、当時差別されていた病気の人も普通に受け入れていたようです。
熊野本宮大社は今回行った場所とはまた違う場所ではありますが、熊野三山の一つという事で…。
熊野の神様は懐が深いんですね…。

★まとめ

長々と色々書きましたが、最後の和泉式部の話を知った後、
「最初トラブル続きだったけど、それは神様が拒んでるとかではなく、その出来事があった事で色々と好都合だったのかな…。」
と思いました。

そもそも私、夫の車を運転できないんですよね…。
いや、頑張ったら運転できるんだろうけど結構大きい車なんで、自分の運転技術的に自信がないというのが正しい。
だからその車で行ったら、途中夫が疲れてもちょっと交代はしてあげられないな…という感じなんです。
ですが自宅から那智山は遠いです。
今回は自分の車だった事もあり道中交代しながら帰って来ました。
だから夫的には運転交代できて負担もマシだったのかな…と思います。(とはいえ7割くらい運転してもらいましたが…。)

また、ETC車載機については前々から付けたいなとは思っていてカードは前に作ってはいたんですが、この出来事があってようやく取り付けました。
これで行こうと思えば色んな場所に気軽に行けます。

あと、この一連の出来事があってから色々考えた結果、前々からやろうと思っていたこの西国三十三所巡りの記録をまとめようと行動に移す事が出来ました。
前から「いつかまとめたい」とは思っていたんですが、古い写真を引っ張り出して来たり、SNSなどを遡って前に書いた記録を改めて見直さなきゃいけなかったりで気が重かったんですよね…。
ですが今回、ようやく重い腰を上げる事が出来ました。

今後もちょっとずつ記録を進めていこうかと思います。