ライト・ブリンガー 蒼光 第六部 第六章
第六章 「修」
カーテンの隙間から差し込んだ陽光に、光は目を覚ました。部屋の中はまだ薄暗く、陽射しが当たっているのは光の顔ぐらいだった。時間的にはまだ昼前だが、朝とは言い難い。十時を過ぎたぐらいだった。
ゆっくりと身を起こした光は、直ぐ隣で眠っているセルファに視線を向けた。
普段は年齢以上に大人びた表情を見せているが、やはりセルファはまだ少女だ。こうして見ていると、安らかな寝顔には、まだあどけなさが残っているのが判る。無防備に眠る表情は可愛いものだった。
「……はぁ」
裸に近い自分の格好に、光は昨夜のことを考えて小さく息を吐いた。
(全部終わってからにしようと思ってたんだけどな……)
生きるための理由として、最後までとっておくつもりだったことだった。戦い終えて、生き延びることができたなら、と、そう思うことで戦う力に変えようとしていた。生き延びたいと思うための要素にするつもりだった。
(俺、死ぬかもな……)
アグニアと戦って、相打ちになって死ぬかもしれない。一瞬、そう思えてしまった。
もしかしたら、セルファはアグニアと戦って光が死ぬことを覚悟しているのかもしれない。だから、アグニアの下へ辿り着く前にすることで、子を生そうとしたのかもしれない。子供ができれば、光が死んだとしてもセルファは生きていける。いや、生きたいと思えるはずだ。光の存在を、後の世代に伝えていくことができるのだから。そして同時に、光との子供なら、きっとセルファにとっては大切なものになる。
そこまで考えて、光は苦笑する。いくらなんでも考え過ぎか。
そう考えてしまう自分が打算的過ぎて少々嫌気が差した。
(……それとも、これはこれで、かな)
考えを切り替えてみる。見方を変えれば、より生き残ることに意識を向けられそうな気もする。
子を生したとしても、光が死んでいいという理由にはならない。自分の子を見たいとも思う。なら、光は今よりももっと生きるために足掻かねばらならない。
同時に、早くアグニアを倒さなければならない。アグニアがいることで、光たちの生活が脅かされているのだ。こんな状態の世界に、自分の子を放り込みたいなどとは思わない。
(違うよな、きっと)
首を小さく左右に振る。
セルファは今の気持ちを紛らわしたかったのかもしれない。光もそうだ。辿り着かなければならない目標は見えていても、そこへ続く道の果ては見えない。寿命を削ることを良しとしなくても、寿命を削ってでも戦わなければならない矛盾を抱えて、多くの願いを託されて、ひたすら走り続けてきた。
歩くことも、立ち止まることも、ほとんどしていない。穏やかな日々なんて、数えるほどしかない。いつも、敵に備え、襲撃の準備をして、戦うことを考えてきた。疲れていたのも事実だ。
セルファはセルファで、彼女なりに思うところは沢山あっただろう。親と戦うことを選んだ思いや、ダスクやリゼと戦わなければならない現実があっても、それでも光と共に暮らす未来を望んでいる。
嬉しいことだ。応えてやらなければならない。応えてやりたいと思う。
(そのために、俺に、できること……)
光は、セルファを起こさないようにゆっくりとベッドから抜け出る。
眠ったままのセルファが寒くないようにベッドの掛け布団を整えてから、光はバスローブを脱いで私服に着替える。下着を身に付け、シャツを着込み、ズボンを穿く。上着としてトレーナーを着込んだ。
日が差し込んでいるカーテンの隙間をなくして、光は部屋を出るためにドアの方へと向かう。
部屋を出る前に、一度だけセルファに視線を向ける。気持ち良さそうに眠っているセルファの寝顔を見て、決心を固めた。
ドアを開けて、通路に出ると、隣の部屋のドアをノックする。
「修、俺だ」
時間的には起きているはずだ。ノックに気付き、近付いていると予想して光は呼びかけた。
「光か? どうしたんだ?」
ドアの開けて、修が顔を出す。
「話があるんだ」
いつになく真剣な光の表情に、修も何か感じ取ったように見えた。
「珍しいな。まぁ、とにかく入れ」
修に促されて部屋の中に入る。
「あ、セっちゃんの具合は大丈夫でした?」
「うん、大丈夫だったよ。ありがとう」
ベッドの一つに座っていた有希に、光は微笑み、頷いた。
部屋の中には、他にアルトリアがいた。部屋に備え付けられたテレビのチャンネルをいじっている。元々アメリカ人であるアルトリアは英語のテレビ番組を普通に見ることができる。中等部の有希には、セルファの力などで翻訳してもらわなければまともに意味を理解するのは難しいところだろう。それは高校を一年の一学期で辞めた光や修にも言えることではあるが。
ただ、ここ一、二ヶ月ほどは日本国外にいることが多いため、何となくではあるが相手の言いたいことが判るようになってきた。
「先輩は?」
「情報収集に出てる。昨日の今日だしな」
予想はしていたが、聖一はいないようだ。
第一特殊特務部隊が全滅したことで、VANやそれに関わる組織には影響が出るはずだ。それを調べ、今後の動向を調査する足掛かりにするために情報収集に出たらしい。
「そっか……」
聖一がいる時なら用件も一度で済むのだが、既に出てしまったのなら呼び戻すのも気が引ける。
とりあえず、修と話すだけでも今はいいだろう。
「話ってのは?」
「ああ、これからのことなんだけど」
修の言葉に、光は決意を胸に口を開いた。
「VANの本部に、直接乗り込みたいんだ」
修だけでなく、有希とアルトリアも目を丸くして光に注目する。
「……待て、どういうことだ?」
理解しかねると言った表情で、修は光に問う。
それは、修が考えてきた戦略から逸脱する行為だ。参謀役として色々と作戦を立ててきた修からしてみれば、光の発言は不意打ちだっただろう。
「このままじゃ、駄目だと思うんだ」
光は言った。
このまま、ゲリラ戦を続けても光たちが勝利を得るには長い年月が必要になる。一年経ったとして、この戦いを終わらせられるのか判らない。
VANの蜂起によって、世界中に能力者の存在が認識された。それにより、一般人が能力者という存在に触れやすくなったのは事実だ。一般人が恐れ、避けるとしても、今まで以上に身近な場所に能力者が現れる可能性が出てきた。
結果、能力者として覚醒する人々は増えているはずだ。どの国のメディアでも能力者たちの動向は注目されているし、一般人の感心も少なくはない。覚醒する者が増えれば、この争いは激化していく。ROVは勢力拡大のために動き回っているし、VANも着実に能力者を取り込んでいる。
この戦いの最中で覚醒する者はROVかVANに分かれると言っても過言ではないだろう。そのぐらい、戦力の奪い合いが起きている。
光たちがゲリラ戦として襲撃し、VANの能力者を葬る速度は決して早いものではない。敵部隊の規模にもよるが、襲撃を行うことができれば一部隊分の戦力を減らすことができるのはほぼ確実と言ってもいいだろう。だが、敵の情報を掴むのも難しくなってきている。
聖一が飛び回っているが、情報屋として中立の立場を保っていた頃よりも明らかに情報は少ない。光の側になったことで、聖一はレジスタンス側と見られている。それまでと違って、聖一が情報収集をできる幅が減ったのは確実だ。聖一の情報ネットワークも、VANに潰されつつあるに違いない。もしかしたら、ROVなどのレジスタンスが意図せず潰してしまったこともあるかもしれない。
「早く戦いを終わらせたい」
光は言った。
光たちがVANの戦力を削る速度と、VANが能力者の仲間を増やす速度、どちらが早いだろうか。全体を見ればVANの戦力を削る速度の方が速いかもしれない。だが、光たちだけを見るなら、襲撃が可能になるまで、敵の情報を掴むまでに時間がかかるというのが現状だ。
こちらから仕掛けられる状況になる頻度は少ない。
戦いを長引かせても、犠牲者が増えるだけだ。一刻も早くこの争いを終わらせて、戦うこと無く過ごせる生活を手に入れたい。
「無茶言うなよ、真正面からぶつかって行けるだけの戦力なんてないだろ」
修は首を縦には振らなかった。
確かに、今までは修の言うことに頷いてこれた。VANの本部に直接乗り込むということは、そこに存在する全ての能力者と同時に戦うことを意味する。
一般隊員ぐらいならともかく、隊長クラス全員を同時に相手することとなれば、さすがに厳しいと言わざるをえない。まともに考えて、戦力差がありすぎる。
「戦力なら、ROVにも協力を頼むつもりだ」
「それにしたって数は違う。協力してくれるかも判らないだろ」
光の言葉を、修は否定した。
確かに、ROVに応援を頼んだとしても、数は圧倒的にVANの方が上だ。今まで、明らかに反抗勢力であるROVが存在し続けているのは、四天王と呼ばれる刃たち四人の存在があればこそだ。四人の具現力は自然型の最強種と呼ばれるほどに強力で稀有な能力だ。彼らの戦闘能力は凄まじく高い。彼らが先陣を切って戦うことで、ROVという組織の存在を守り、広めて行っているのだ。
だが、彼らは光たちとは違う。
高い戦闘能力を持ち、地道に増やしてきた戦力を味方に着けることができれば、心強いものではある。だが、彼らが光たちの申し出に快く賛同してくれるとは限らない。
ROVはVANを潰すためだけに存在し、その目的のために集まった者たちでもある。光たちとは行動理念や組織形態が違う。
「説得するさ。それに、刃なら協力してくれると思う」
光にはどこか確信に近いものを感じていた。
VANを叩き潰すためだけに、刃はROVに身を置いている。そして、刃は光のことをVANを倒すための切り札だと見ている。ならば、光がVANを倒すために全面対決を仕掛けると言えば、刃はROVの総力を挙げてその戦闘に参加してくれるのではないだろうか。
恐らく、刃はVANを壊滅させる日を夢見て生きてきたのだろうから。ここ最近、特訓として刃と手合わせをした時に、そう感じることがあった。
刃が光をまだそのレベルにはないと判断したなら、ゲリラ戦による抵抗活動を止めて、特訓に集中してもいい。刃を認めさせることも必要だろう。そもそも、刃を超えなければ光はアグニアと戦えるレベルにはなれないのだろうから。だが、それをクリアすることができれば刃は光が戦う際に大きな力となってくれるはずだ。光が刃以上の戦闘能力を身に付け、アグニアを倒しに行くとなれば、刃にとっても悪い話ではないのだから。
「……だとしても、真正面から突っ込むのはリスクが高過ぎる」
現実的に考えれば、VANの本部に乗り込んでいくのは困難だ。
修の力でアグニアの暗殺を狙うとしても、身を隠している間はこちらからも攻撃ができない。攻撃する瞬間にはどうしても、身を晒す必要があった。
セルファの力で存在を悟られぬようにしたとしても、恐らく同じ空間干渉能力を持つセイナには気付かれるだろう。超越の力でその部分を隠すことができるのか、光には判らない。
アグニアを倒すためには、アグニアと戦うことは避けられない。まして敵陣の最奥部なのだから、アグニア以外にも敵は周りに大勢いるはずだ。アグニアと一対一になればまだ良いが、アグニアの他にも能力者がいるとなれば勝つことは難しい。アグニア単体ですら、オーバー・ロードをし続けることができるなどと、破格の戦闘能力を持っているのだから。
理論の上で光の持つ力に敵は無いとは言え、その力を扱うのは一人の人間だ。その反応速度を超える動きや、対応し切れないほどの大量の攻撃に晒されれば危うい。力場を掻き消せるとは言え、無敵というわけではないのだ。同じ閃光型の能力者や、力場から攻撃効果を発生させて力場外部にも影響を与えることのできる具現力は力場破壊能力に対しても有用だ。
「なら、一つ聞いてもいいか?」
光の言葉に、修は無言で肯定する。
「……お前の見積もりだと、VANを叩くのにあとどれだけかかるんだ?」
「それは……」
問いに、修は口篭った。
常に変化し続ける状況を正確に予測するのは難しい。今いる仲間たちの中では、修が最も先を読む知恵があった。普段から読んでいた軍事関係の本などで、光よりも戦略というものを理解している。だが、どんなに優れた軍師でも完璧に情勢を読むことはできない。ましてや、まともな戦略の通じない能力者の組織を相手にしているのだから、予想だにしなかった状況になることだって十分にありえる。
この戦いを終わらせられるのがいつになるのか、修にだって予想できないはずだ。
「俺は、もうこれ以上戦いを長引かせたくない」
日本では、有希の父親が残した自衛隊内の能力者部隊に協力を取り付けている。だが、彼らは防衛で手一杯だ。戦力としては数えることができない。彼らには孝二や香織を密かに護衛するよう頼んである。VANが二人を攻撃してきても、彼らが光たちの代わりに守ってくれる。だが、相手によっては耐え切れない場合も十分考えられる。
だから、一刻も早く孝二と香織の身の安全を確保するのであれば、光がアグニアを倒す以外に手はないのだ。
もちろん、二人のためだけではない。
戦うことを決意はしたが、可能ならば戦闘は避けたい。相手を殺して、その命を踏み越えて前に進まなければならないのが、嫌だった。そうしなければならないとしても、できることならそんなことをせずとも暮らしていけるようになりたい。セルファと共に、毎日を笑って過ごしたい。
「修だって、そうだろ?」
早く戦いを終わらせて、平穏な日々を手に入れたい。そんな思いは修も抱いているはずだ。でなければ、光と肩を並べて戦ってはいない。それに、修にだって有希という彼女がいるのだ。
(……それに、俺には、もう時間がないんだ)
修の作戦のまま戦っていったとしたら、光は寿命を使い切ってしまいかねない。相手が光よりも強いことだけでなく、今回のように仲間が危険に晒されて激昂し、オーバー・ロードしてしまうこともあるだろう。
光に無茶をさせまいとゲリラ戦を提案してきたことも理解しているつもりだ。修は全員が生き延びられる可能性が最も高く、かつ確実に敵との距離を詰められるように作戦を考えてきた。
だが、寿命を削りすぎた光が勝つためには、真正面からアグニアに向かって行った方が確実だ。残りの寿命が多いほど、オーバー・ロードの時間も効果も大きなものになるのだから。
「だからこそ、着実に戦っていくべきだろ」
修が言う。
寿命のことを隠し続けている光には、説得力が足りないかもしれない。だが、そのことを話そうとは思わなかった。
「どうしても、反対か?」
「ああ、こればっかりはな」
光の問いに、修ははっきりと答えた。
「そっか……なら、俺は一人で行くよ」
薄々、こうなるんじゃないかとは思っていた。修なりに皆のことを考えてのことだとは理解している。だから、無理についてこいとは言えない。修は修で頑固だ。
一人でも、刃を説得してROVを味方につけて、VANへと乗り込むつもりだった。
「待て、そんな無謀なことはさせんぞ」
修の表情が険しくなるのが目に見えて判った。
「俺が納得するような理由を言わないってことは、何か隠してるんじゃないのか?」
長い付き合いだけあって、さすがに修は鋭い。
きっと、修を納得させられるだけの理由がなければ、彼の立案した作戦を跳ね除けるような行動をしないと理解しているのだ。
「場所、変えないか?」
質問には答えず、光は言った。
「……そうだな、そうするか……」
その意図を汲み取ったのか、修は応じてくれた。
「修ちゃん?」
「ちょっと二人だけで話し合ってくるよ」
心配そうな声をあげる有希にそう言うと、修は空間を切り裂き、穴を開けてその中へと入って行った。
光も後を追い、人気のない平原へと場所を移す。光が来たのを確認して、修が空間の穴を閉じる。有希やアルトリアを含め、周りを巻き込まぬように。
「俺はこれ以上、誰かが死ぬのを見たくない」
ぽつりと、呟く。
敵であろうと味方であろうと、人の死を見たくない。それは光の正直な思いでもある。いずれ、自分もそうなってしまうからかもしれない。ただ、これ以上、争いを繰り返しても、そこにある命の遣り取りに意味を見い出せない気がした。戦うだけの理由と覚悟はあるが、命を落としたとして、そこに意味や価値を見い出せるだろうか。
そんな戦いを吹っかけたアグニアが許せない。
「……殴り飛ばしてでも止めるぞ。みすみす死なせたくないからな」
修は具現力を解放したままだった。
「骨折ぐらいは、許せよ」
光も力を解放し、修に視線を向ける。
随分と落ち着いている。光も修も、思いのほか冷静だった。
わざわざ、障害物の少ない平原にしたことがそれを証明している。周りの建物や人間たちに危害を加えないように、巻き込まないように、何もない場所を選んだのだろうだろうから。
こんな展開になるだろうことも、予想はしていた。いや、恐らくはこうなるだろうと踏んでいたのかもしれない。力で納得させるのは光も修も望むやり方ではないが、思いの強さを見せるには、これしかないと感じていた。
互いを理解し合っているからこそ、相手の言動に裏を見ようとしてしまう。その言動が本気であるかどうか、深読みしようとしてしまう。どれだけ真面目な顔をしてみせても、それが偽りであるかもしれないと疑ってしまう。親友だからこそ、そういうことをするのではないか、しているのではないか、欺くための演技なのではないかと思ってしまう。
どちらからともなく、歩き出す。一歩ごとに力を込めて、次第に加速していく。
修よりも光の方が早い。具現力としての特性が違うのだから、当然だ。だが、修は力場を展開し、自分の身体を転移させながら光へと向かってくる。空間を壊し、跳び越えて、ジグザグに位置を変えながら向かってくる。
光は真っ直ぐに走った。
修の姿が消える。その瞬間に、光の知覚が周囲に展開される修の力場を感知する。三十近い数の力場が周囲に生じる。光の身体を細切れにすることも厭わない場所に。
光は周囲に純白の閃光を振り撒いた。力場破壊で防ぐと踏んでいるからこそ、修は半ば殺す気でかかってきているのだろう。その覚悟に、光は奥歯を噛み締めた。
今回ばかりは、修を否定しなければならない。仲間を想う修の作戦を否定して、光はVANの本部へと乗り込まなければならない。そのためには、まず修を乗り越える必要がある。最強の能力者と謳われるアグニアを倒すためには、光自身も同じだけの強さを手に入れなければならない。相手が修だから、親友だからと、揺らいでしまうような決意では届かない。
(……いや、修が優先するのは、安全性なんだろうな)
確実に、安全に、戦っていくことを修は考えているのだ。これ以上、人の死を見たくないのは修も同じに違いない。だから、修は時間をかけてでも確実に戦うことを選んだに過ぎない。オーバー・ロードという切り札に寿命というリミットがある光は、早期終結を望んでいるだけだ。
(けど、俺には……!)
光は拳を強く握り締める。
目指すものは同じだ。光も、安心して過ごせる日常が欲しい。だから、そのために、光は今、この時に危険を冒してでもVANを潰そうと考えた。修のように、今現在の安全性も考えつつ戦うという戦略からはみ出そうとしている。
互いに懐へ飛び込むように接近し、拳を突き出す。修は途中で空間に穴を開けて光の背後から拳を伸ばす。光は力場の位置で攻撃の位置を予測して身を逸らし、その動きから裏拳、回し蹴りへと連続でカウンターを繰り出す。修は空間に穴を開けて器用にかわしていく。背後へと跳ぼうとする修の力場を、光は力場破壊で掻き消した。新しく空間に穴を開ける修の力場を掻き消し、光は飛び蹴りを繰り出す。上体を逸らしてかわす修が生じさせる力場を、光は周囲に白い閃光を振り撒いて掻き消した。着地から足払いへと転じる光へ、修は軽い跳躍からの回し蹴りを返す。下方から修の足を弾くように叩き上げる。空中で回転する身体を、修は空間破壊で地面へ戻し、すぐさま反撃してくる。
方向や位置などお構いなしに、修の攻撃が光へと向けられる。その全てを力場破壊で打ち消して、光は周囲を閃光の帯で薙ぎ払った。空へと逃れた修へ、光が蒼い光弾を投げ放つ。だが、その光弾は修の身体を透過した。
(なに……?)
回避行動すらしなかった修にも驚いたが、当たらない自信があったということだ。
まともに考えて、空間型の修は力場破壊能力を有する光に対して勝ち目はない。力場で空間を包まなければならない修の力は、光の力によって攻撃効果を掻き消されてしまう。
それを防ぐために、修は自分の防護膜を力場として空間破壊効果を発動させたのだ。力場と防護膜は実質的に同じものだ。防護膜を力場として力を発動させることは不可能ではない。修は防護膜を力場とし、自分の存在する空間を僅かにずらしているのだ。故に、今の修は物理的な攻撃の一切を受け付けない状態にある。
そのまま、力場をいくつも展開する修に、光は力場破壊を行使する。回避先へ執拗に力場を展開させていく修に対して、光は距離を取ろうとはしなかった。今までなら間違いなく後退していた。だが、今、退くことはしたくなかった。
力場破壊で防護膜を消すためには、そこに込められた精神力を上回る力を出さなければならない。修の防護膜を掻き消せるだけの意志があることを、光は証明しなければならない。
(修……っ!)
敵意は生まれない。今まで、身近な存在だった修だ。敵意なんて湧く相手じゃあない。それでも、手を抜かずに戦っている。
だが、このままでは戦い自体が終わらない。互いに決定打がないのだ。
修を超えなければならない。
心の奥底を奮い立たせる。今持てる力の全てよりも、もっと強い力を、光は欲した。
きっと、このままの戦い方でVANと戦っていれば光たちは全滅してしまう。オーバー・ロードにより寿命を使い切ってしまった時、光がどうなってしまうのかは判らない。だが、戦うことができなくなるということだけは確実だ。そうなれば、まともに敵を殲滅していける者は修しかいない。光と違い、具現力の特性がはっきりしている修は、弱点となる能力者をぶつけられたら勝ち目がない。
修の戦い方では、光の寿命が尽きてしまう。そうなれば、修だけで皆を支えて行けるとは思えない。光が戦線離脱した時点で、セルファは戦力からは外れるだろう。きっと、生きることを選んでくれたとしても、戦うことはしないだろうから。
ここで、光が負けるわけにはいかない。修を生かすためにも、皆を守るためにも、光は親友に意志を示さなければならない。
憎悪や敵意ではなく、希望や願いで本能の扉を抉じ開ける。たとえ今、ここで寿命を削るとしても、その力がなければ前へ進めない。だから、光は心の底から力を欲した。
「修ぅーっ!」
突き出した拳から前方へと純白の閃光を解き放つ。視界が真っ白に染まる。修の防護膜を強引に削り、掻き消して、閃光は突き抜けた。
「ひぃかぁるーっ!」
叫び、修が再び具現力を解放する。
空間破壊で目の前に飛び出した修が、右拳を突き出す。光は左手で修の拳を打ち払い、同時に力場破壊を炸裂させる。修の手首の骨に罅が入り、防護膜が消失する。それでも、修は具現力を展開し、光の背後へと跳んだ。光の回し蹴りを、修は左手で受け止める。力場破壊の閃光と共に、防護膜が掻き消される。修の左腕の骨に罅が入る。だが、修だけでなく、光も吹き飛ばされていた。
力場破壊で具現力が封じられる前に、修の掌底が光の脇腹に命中していた。防護膜を力場とし、自分の右手を気付かれぬように移動させて。罅の入っていた右手首が砕けるのも構わずに。
吹き飛ばされながら、修は再び防護膜を張り直し、空間を跳び越えて接近する。光も着地するよりも早く体勢を整え、地に足を着けた時には駆け出している。
視線を逸らさずに真っ向からぶつけあい、光は拳を、修は回し蹴りを繰り出す。それがぶつかり合う瞬間だった。
「やめてぇぇぇえええええっ!」
その場に絶叫が響いた。
光と修は硬直し、声のした方へと同時に視線を向けた。
「セルファ……」
そこにいたのは、セルファと有希だった。
部屋からいなくなった光と修が心配になって、有希がセルファに言ったのだろう。
「……事情はユキから聞いたわ」
俯いて、セルファが言う。
「だったら判るだろ、本部への突撃なんて無謀なことはさせたくないんだ」
身構える修の目の前に、セルファは力を使い一瞬で移動していた。光を守るように、修の前に立ちはだかる。
「ヒカルは、オーバー・ロードする度に寿命を削っているわ。だから、これ以上戦いを引き延ばすのは危険なのよ!」
「な……!」
顔を上げたセルファは叫んだ。その言葉に修は絶句する。
「セルファ!」
意図せず、咎めるような声になってしまった。
「あなたも何で教えてあげないのよ! またオーバー・ロードして、これ以上命を削らないでよ!」
だが、光へ振り返ったセルファは泣いていた。涙を流しながら、怒りを露わにして光の胸に顔を埋める。
光はセルファの背中に手を回して、目を閉じた。
「……何で、そんな大事なことを言わなかった?」
修が問う。隣には有希が心配そうに修の身体に触れている。恐らく、傷の治療をしているのだろう。有希の身体を防護膜が包んでいる。
修の方はもう戦う気はないらしく、具現力を閉ざしていた。
「長い付き合いだからな、もし、俺の寿命が減るって知ってたら、修は俺を戦わせようとはしなかっただろ?」
恐らく、オーバー・ロードによって光の寿命が削られていると知っていたなら、修は光が戦うことを良しとはしなかっただろう。全ての戦闘行動を自分が背負い込んで戦おうとしていたかもしれない。
「これは、俺の戦いでもあるんだ……」
だが、修に全てを任せる訳にはいかない。
この戦いの根底には、光の両親とVANの戦いがある。そして、発端となったのは光の覚醒だ。修に全てを任せるなんてできやしない。自分自身が戦わなければ、光の気持ちの行き場がなくなってしまう。同時に、オーバー・ロードしなければ切り抜けられなかった場面だっていくつもある。
「……それで、どれぐらいの寿命を使ったんだ?」
これからの戦いでオーバー・ロードをしなければいい、と修は言わなかった。光のオーバー・ロードに助けられた場面はあったし、何よりも光が自分自身の戦いだと感じているように、いつでも決め手となってきたのは光の力だったのだ。
今後、光がオーバー・ロードしなければ勝てないような能力者が現れる可能性は十分にありうる。VANとの決着が長引けば長引くほどに、シェイドのような強い能力者が育つ可能性は増えていく。そうなった時、光のオーバー・ロード抜きで切り抜けられるようになっているだろうか。
光一人の成長速度よりも、シェイド並の能力者が何人も育つ速度の方が速いかもしれない。VANは組織なのだ。光たちのような極少数の個人グループと違って能力者の鍛錬も効率良く行えるだろうから。
「これで、六十年は使ってる……」
答えたのは、セルファだった。
修との戦いで、光はオーバー・ロードをした。その上で、修の防護膜を何度も掻き消した。セルファを助けるために、ヴァイラスに対して行ったオーバー・ロードと合わせて、また十年の寿命を削ったということか。
初めから共に戦ってきた修だ。意志の強さ、精神力は光にも匹敵するほどのものに違いない。実際に戦ってみて、そう思った。今まで戦った能力者は、防護膜を掻き消された瞬間に敗北を悟り、絶望の表情を浮かべていたのだ。だが、修は防護膜を破壊されても再び力を解放して向かってきた。修が光の力を知っていたというのもあるだろうが、捨て身に近い行動になるとしても突っ込んでくるだけの思いがあるのだ。
「そんなに使ってるのか……!」
修はショックを受けたようだった。
光がオーバー・ロードした回数はそれほど多くない。それでも、これだけの寿命を消費するのだ。ほんの数秒のオーバー・ロードで何十日という寿命を削ることになる。それだけの精神力が込められているのだ。凄まじい戦闘能力が発揮できるのも当然と言える。
「アグニアと戦うために、オーバー・ロードは必須だ。だから……」
もう時間がない、その言葉は言わなくても伝わっただろう。修は驚きを隠せない様子で、視線を彷徨わせている。
「……少し、考えさせてくれ」
伏せておいたことも含めて、光が抱えていた思いは全て修に伝わったはずだ。アグニアとの対決を先延ばしにしても、光にはメリットが少なくなりつつある。
無言のまま、光たちはもといたホテルへと戻ってきた。修は有希と共に、光はセルファと共に、それぞれの部屋へと。
カーテンの締め切られた薄暗い部屋の中で、光はベッドに倒れ込んだ。仰向けになって、天井を見上げる。
「どうして、シュウと戦う必要があったの?」
セルファが咎めるような口調で尋ねてくる。仲間同士で戦ったことに、少し怒っているらしい。光と修の仲の良さを見てきたから、戦うという行動に発展したことが信じられないのかもしれない。
そんなセルファとは対照的に、光の頭は冷めていた。
「……あいつはあいつで、頑固だから」
光は苦笑した。
自分の意志の強さを強引にでも認めさせてやらなければ、修が一度決めた考えを変えることはないだろう。客観的に見れば、光の勝ちだったと言えるかもしれない。ただ、意志の強さでは修も負けてはいなかった。結局、伏せていた寿命のこともばらして、修はまだ納得し切っていないのだから。
「親友なのに……」
「だからこそ、本気でぶつからなきゃ、失礼だろ?」
光は優しい口調で言った。
そういえば、セルファには親友と呼べる人物はいなかった。ダスクやリゼは確かに良き理解者ではあったが、親しい友達という関係には見えない。光の下へ来てからできた有希が初めての友達だったかもしれない。
「……俺さ、思ったんだ」
暫しの沈黙の後、光はぽつりと呟いた。
「刺し違えてでも倒す、じゃ駄目だって」
「え……?」
光の言葉に、セルファは驚きと不安の入り混じった声を上げた。
「絶対に、生き残るんだ」
身を起こして、光は続けた。
アグニアを倒して、この戦いに勝利し、そして生き延びる。相打ちでもいいからアグニアを倒したい、という思いは消えていた。相打ちでは、意味がない。そう思うようになっていた。
「責任、取らなきゃいけないもんな」
言って、光は歯を見せて笑う。
昨夜のことを思い出したのか、セルファの顔が真っ赤になる。目を丸くして、顔を赤くするセルファが可愛くて、光はもう一度笑った。視線を彷徨わせるセルファを見つめる。
照れ隠しなのか、セルファはリモコンを手にとってテレビをつけた。
だが、その直後、温かな空気は一変した。
テレビの画面には、アルトリアの顔と名前が映し出されていたのだ。
それも、死者として。
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