ライト・ブリンガー 蒼光 第一部 第四章

第四章 「光の決意」

 一時限目が終わり、光は手早く次の授業の準備を済ませた。
「間に合って良かったよ」
 目の前に座る修が体を光に向けて言う。修が教室に入ったのは一時限目の開始直前だったため、光とはまだ会話していなかった。
「また本でも読んでたのか?」
 そう答えた光だが、いつもと雰囲気が違うのを感じ取ったのだろう。修が眉を顰めた。
「……何かあったか?」
 光が能力者に覚醒している事を知っているからこその、鋭い質問だ。いつもであれば、光は呆れ顔で答えるのだが、今日は感情が篭っていなかった。いつも言っている台詞を選んだだけ、といった感じだったのだ。
「……判るか、やっぱり」
 一つ溜め息をつき、光は答えた。
「何があった?」
 修の問いに、光は横目で霞を示す。
「彼女、能力者だ。それも、“ROV”の主力」
「……本当か…?」
 光の答えに、修が信じられないといった様子で訊き返してくる。だが、光がこういう真面目な話をしている時に嘘や冗談を言うような人間でない事は修には判っているはずだ。特に、相手が修であれば尚更だ。
「昨日、帰りに戦っているところに出くわした」
 光は一言付け加え、霞に視線を向けた。その霞は、いつも通りの無表情で空を眺めている。昨日の怪我の具合は服の上からでは判らない。
「……それで?」
「待て、ショート始まる」
 更に状況を知ろうとする修に、光は待ったをかけた。教室内に担任教師が入ってきたからだ。それは、ショート――SHRの始まりを意味しているのだ。
「……まずは、皆に伝えておくべき事がある」
 ここ一年三組担任は岡山政雄なる教師だ。この学校の教師達の中でも若い方で、体育等を受け持ちそうな印象があるが、物理や化学を主に受け持っている。
「昨夜から東間が行方不明になっている」
 一瞬にして教室内がざわめいた。岡山はそれが自然に静まるのを待ち、続きを口にする。
「知っての通り、東間は一人暮らしをしていた。だから、今朝、学校から連絡を入れてみるまで不在が判らなかった」
 普段から東間とは全く会話をしていない光には初耳だった。“VAN”にいた事を考えると、家族と暮らすという事は難しいとも思っていたから、何かしら理由があって一人暮らしをしていたと考えるのが妥当だろう。組織の一員として動くには、一人暮らしの方がいろいろとやりやすいだろうからだ。
(…………)
 光は密かに霞へと視線を向けた。視線は外から背けているものの、感心の無さそうな表情は相変わらずだ。
「捜索願はもう出ているから大丈夫だとは思うけど、皆からも何かあったら連絡するように」
 そう言って、岡山はその話題を打ち切った。
(……大丈夫、か……)
 だが、捜索願が出されても、東間が見つかる事は永久にないだろう。何せ、東間は霞がその死体すらも消してしまっているのだ。それを目の前で見ていた光には、岡山の言葉は気休めにもならない。もっとも、岡山本人は気休めを言っているつもりは全くないのだろうが。
 SHRはそのまま終わり、岡山は数人の生徒と少し会話をしてから教室を出て行った。
「東間っつーと、スポーツ万能のあいつか?」
 光の目の前の席に座る修が振り返り、早速東間の話題を持ち出してきた。
「ああ」
 それに対して光は一言で答えた。出来ればその話は学校にいる間にしたくはない。東間を霞が殺した、等と喋っている会話を誰か他の人間に聞かれたらまずいだろう。
「……行方不明、ね……何かあったのかね?」
 行方不明には二種類のタイプがある。何か理由があって自ら姿を眩ませるものと、何かの事件に巻き込まれて、連れ去られる場合の二種類だ。大抵の人間は自ら行方不明になろうと思うような事はないため、後者になる場合が多い。
「……修、東間の事だけど」
 光が声を潜めて修に囁いた。修は直ぐに光に顔を近付け、音量を落とした声を拾おうとしてくる。
「あいつ、“VAN”の構成員だった」
「……お前、戦ったのか?」
 修の表情が引き締まる。それにつられて、自然と光の表情も真剣なものに変わる。
「最初は、霞が戦った。途中から俺が介入して……」
 光は事の次第を話した。出来る限り正確に内容を話したが、流石に内心は語っていない。相手が修とはいえ、気恥ずかしい部分が多いからだ。特に、戦闘後は霞を家まで連れて行ったとしか言っていない。
「……なるほど」
 修は考え込むように呟いた。東間との戦いが光にとっては自らの意志で決めた戦いだ。今までの戦闘はどれも向こうからの一方的な攻撃に対する防衛でしかない。
「俺には、殺せなかった」
 光は呟く。霞はあっさりと割り切れていたのに、光は戦闘を終わらせる事を望みながらも、敵対相手を殺す事を躊躇った。これは、危険な状態だ。もし、同じように光が襲われた場合、光が相手を殺さない限り相手は光を攻撃し続ける。たとえその時周囲に人がいなくとも、時間が経てば人が通るかもしれない。戦闘を見られるわけにもいかないのだ。更に、相手に止めを刺す事が出来ない光は、一方的に攻撃を受ける事になり、そうなってしまえばそのうち光は負けるだろう。それが解っているというのに、それでも相手を殺す事への躊躇いが消えないのだ。
「……俺には、それに関しては何とも言えないな」
 修の言葉に、光は頷いていた。それは光自身が割り切らねばならない事であり、たとえ親友の修でも、強制的に割り切らせる事は不可能だ。それでも、心を動かす材料にはなるだろうが、それでは光自身が考えて決断した事にはならない。光としても、この事に関しては自分自身の力だけで乗り越えなければならない壁だと気付いていた。
「――修、一つ教えてくれ」
「何だ?」
 光は躊躇いながらも、修に口を開いた。
「もし、お前が俺の立場なら、お前は人を殺せるか?」
「そうだな、そうしなければ俺が死ぬなら、殺っているな、恐らく」
 光の問いに、修は頷いた。修は、具現力で相手を殺す事を割り切れる、と。
「……そうか」
 甘い考えなのだという事は光自身解っていた。だが、それでも割り切れないのだ。甘い考えというのは大抵、それ以上ない理想的な考えの事だ。理想的過ぎるからこそ、選びたくはなるが、その通りに事を運ぶのは極めて難しく、大抵の場合は不可能だ。頭では解っていても、目の前に現れた選択肢が二つあれば、理想的な方を選びたい。
「――おい、授業始まるぞ」
 修が小声で光に囁いた。直後、授業開始のチャイムが鳴り、教師が入ってきた。光は考えを一時中断し、授業に意識を向けた。
 その古典の時間。教師が朗読する古文を耳に入れず、光は窓の外へ目線を向けていた。完全に顔を窓に向けていないのは、あからさまに窓へ顔を向けていては、教師に目を付けられる事があるからだ。
(……思い通りに行く事なんてない、か…)
 最近思い出した、ずっと昔に聞いた事のある言葉。誰が言った言葉だったのか、今となっては思い出せなくなってしまっている。何か懐かしい感じがするのは気のせいだろうか。
(……本当に、そうだよな)
 光はそう思った。思い通りに行った事は、今までに一度もなかったような気がする。運動は思い通りに体を動かせないし、勉強も思い通りにはいかない。自分にとって都合の良い展開になった事はあるが、それですら、完全な思い通りになった事は全くといっていい程ないのだ。誰しもそうなのではないだろうか。思い通りになったと思う事でも、必ずどこかに差異が生じるものだ。それが決して相容れない現実と理想の差なのだから。
 ふと、霞に視線が向かった。左手で頬杖をつき、つまらなさそうな表情でノートにシャーペンを走らせている。確か、霞の成績はかなり高かったはずだ。能力者として命を狙われながらも、真面目に勉強をしているのだろう。続いて、目の前の修に視線が向かった。背中しか見れないが、恐らく机の影で隠した文庫本を読んでいるのだろう。肘が机の上に乗っていないのが真後ろの光にも見えたからだ。
 光はまた視線を外へ向けた。雲は少なく、澄んだ青空が広がっている。それを眺めて、光は授業中の暇な時間を潰した。

 放課後、光は生徒昇降口の脇にある比較的広い場所に並べられた自転車の前に立っていた。そこに並べられているのは駐輪場調査に引っかかった違反駐輪の自転車だ。光達、風紀委員が昼休みを半分削って回収してきたものだ。
「……昨日よりは……減ったかな」
 光はその自転車の列を眺めて呟いた。駐輪場調査の初日である昨日よりは、今日の方が違反駐輪自転車はいくらか少なかった。中には、昨日回収されているのに、持ち主が取りに来ていないものもあった。そういった自転車は最終日である明日も取りに来なかった時点で、放置自転車と認識され、処分される事になっている。
「暇だな……」
 溜め息をつき、光は自分の携帯電話を取り出し、時間を確認した。違反駐輪自転車の見張りは時間制であり、今日は下校時刻からの一時間が光の受け持つ時間帯だ。昨日はもっと遅い時間帯だったため、今日はまだ良い方だ。無論一人ではなく、三年生の先輩が一人、この時間の受け持ちになっている。
「……本、貸してやろうか?」
 生徒昇降口脇の縁石に腰を下ろし、修が言う。今日は昨日と時間帯が違うため、待って貰っているのだ。その間、修は文庫本を読んでいた。
「今持ってるのは?」
 暇潰しに読書は良い方法だ。興味がある本ならば、暇潰しでなくとも読める。
「ええと、自衛隊の戦力、が午前中に読み終わって空いてる」
「……やっぱ止めとく」
 修の答えに、光は読書を諦めた。修はいつ読み終わっても良いように、常に二冊以上の本を携帯しているため、今読んでいない本がそれという事は、他に本はない。流石に光にはそのタイトルに興味は見出せなかった。
「そうか?」
 修が手元の文庫本に目を戻した。それを見て、光は溜め息をつき、丁度自転車を取りに来たであろう生徒の対応に戻った。違反駐輪で回収された自転車を受け取りにきた持ち主の名前とクラス、自転車の防犯ナンバーをプリントに書き、自転車を明け渡す。それが今の仕事だ。
 それから十数分経ち、見張りの交代の時間となった。プリントを交代の相手に渡し、生徒昇降口の脇に置いておいたバッグを掴み、文庫本をしまった修と共に帰路に着いた。
「――火蒼」
 学校の敷地内を出た辺りで、光は背後からの声に引き止められた。
「……朧先輩…?」
 振り返った光の前にいたのは、同じ風紀委員で、先程まで一緒に見張りをしていた三年生だった。やや長めの前髪に整った目鼻立ち。黒っぽい色の服装の、全体的に落ち着いた雰囲気を持つ青年だ。名を、朧 聖一といい、数少ない光が信頼する人間の一人だ。
「お前は監視されている」
「……え!?」
 聖一の言葉を、光は一瞬理解出来なかった。
「恐らくは“VAN”だろう。“ROV”は監視等しないからな」
「それは、一体……?」
 光は問う。話が見えてこない。“VAN”や“ROV”という単語が出て来た事と、光に話し掛けた事から、光が能力者である事を知っていて、更には二つの組織の事も知っているようだ。
「先に言っておくが、俺は中立だ。半ばお前と同じ立場にいる」
「じゃあ、先輩も……?」
「ああ、能力者だ」
 驚きを隠せない光に、聖一は頷き、更に続けた。
「俺の具現力は姿を隠す事が出来てな、情報収集には丁度良いんだ。それで得た情報を両組織に売る事で中立を維持している」
 情報提供する代わりに不可侵の存在にする事を約束させているのだ。恐らくは、姿を隠すという能力は戦闘に向いていないのかもしれない。もし、戦闘に不向きな能力であれば、戦闘をしている組織としては使い辛いものになるという事も考えられる。
「外にいる時は気をつけろよ、まず監視されていると考えて良い」
 聖一の言葉に、光は息を呑んだ。修も絶句している。
「恐らく、閃光型について刃か楓から聞いているだろ?」
 光は頷いた。具現力の中では攻撃能力の高いものだという事は聞いている。
「一つ、お前に教えておかなければならない事がある。ほとんどの者は知らないが、閃光型の戦闘能力の高い理由だ」
「理由……?」
 戦闘能力の高い理由ならば既に刃と楓から聞いているはずだ。
「具現力の暴走については知っているな?」
 光は頷いた。霞との会話で知った事だ。自分の精神力で制御できる限界を超えた力を使うと起きる、周囲に攻撃エネルギーを発散させてしまう現象だ。
「暴走は具現力により違いが出る。通常型であれば周囲に攻撃エネルギーを振り撒く事になる」
「……てことは、閃光型は違う、と?」
 そこで修が口を挟んだ。その指摘に聖一は頷いた。
「閃光型の暴走は、他の具現力とは全く違う。他のほとんどの具現力が制御出来なくなるのに対し、閃光型は制御不能になる事はまずない」
「どういう事だ?」
 修が問い返す。光もその横で同じ疑問を考えていた。制御出来なくなるから暴走なのではないのだろうか。
「閃光型の暴走は、一定のレベルまではオーバー・ロードと呼ばれる」
 オーバー・ロード、直訳すれば、過度の引き出し、だ。
「閃光型の具現力が他の具現力と違うのは、力を発生させる力場を必要としない事だ。つまり、精神力をそのまま物理的な力に変換出来るという事だが、これは、精神状態によって攻撃能力が変化する事を意味する」
 精神力が物理的な力にイコールで結ばれるとすれば、精神力の持ち方で変換出来る力にも差が出来るという事だ。それは、精神状態で効力が上下する事に繋がっている。
「他の具現力でも精神状態で上下するが、閃光型は他のものとは比較にならない程の影響力を持つ。他の具現力は力場内部にエネルギーを流し込んでいるが、精神状態によっては、そのエネルギーが力場の制御限界を超えてしまう。それが暴走だ。だが、もともと力場で精神エネルギーを包む必要の無い閃光型は、基本的に制御限界がなく、暴発しない。だが、これが問題だ」
「……リスクがある、と?」
 今度は光が問い返した。際限がない、というのは不自然な事だからだ。閃光型だけが無限に力を使えるというのもおかしな話だ。
「元々、具現力の源は精神力だが、その精神力の根源は生命力だ。具現力を使い過ぎれば精神力が消費され、生命力を消費する事に繋がる。暴発という事がない分、閃光型は生命力を消費しやすい」
 精神力が枯渇しないのは、根源が生命力であるからなのだろう。疲労する事があっても、少し休めば精神的な疲労は回復してしまうものだ。
「生命力の消費は、寿命を縮める。そして、オーバー・ロードはその消費が著しい。元々、精神力をそのまま攻撃に使える閃光型は、意志の強さで攻撃能力が左右される。強く思う事で、精神力を消費して力を上乗せしている」
 聖一の言葉に、光ははっとした。戦闘中、何度か自分の体が速く動いて欲しいと思う事があった。そして、その時のどれもが、思った通りに身体能力が上昇した。あれもオーバー・ロードの一種だったという事だ。
「もっとも、一時的な戦闘能力の上下は特に問題はない。が、感情が抑えられなくなった時、オーバー・ロードがその真価を発揮する。身体能力も攻撃の威力も普段の数倍に跳ね上がる。その状態では、精神力の消費は普段の比ではない。無論、下手をすれば生命力もかなり減少する結果を招く。そして、最も危険なのが、オーバー・ロードの最終段階だ。これは、生命力を全て消費する自爆技になってしまうし、上手く生き延びても精神崩壊を起こしているだろう」
 光も修も、聖一の言葉に絶句する。力場の制御限界というのが、一種の安全装置になっている普通の具現力と違い、そのセーフティのない閃光型には際限なく精神力、果ては生命力を消費し過ぎてしまう危険性があるという事だ。文字通り、オーバー・ロードなのだ。更には、生命力を全て消費してしまう事もあるらしい。
「生命力を全て消費する時、閃光型は周囲にエネルギーを振り撒く。街の一つや二つは軽く消せると考えて良い程の威力がある」
 恐ろしいまでの破壊力に、光は愕然とした。そんな事が可能な程の威力を秘めた力を、光は持っているのだ。そして、今までに使っていたのだ。
「戦う時は冷静になれ。お前自身のためにもな」
 聖一の言葉に、光は頷いていた。
「でも、何で教えてくれるんです……?」
 光は問う。元々、光が聖一を信頼しているからといっても、それは光の視点からであって、聖一は光をどうとも思っていないとも考えられるのだ。そうなれば、いくら光が聖一と普通に会話を交わせるとしても、結局は他人なのだ。わざわざ、そんな具現力の根本的な事を教える必要はないはずだ。
「同じ中立という事もあるが、お前自身、自分の具現力の特性を知っておいた方がいいだろう。使い方を謝れば、ここら一帯が吹き飛ぶ可能性もあるからな」
 聖一自身の命にも関わる、という事なのだろう。それならば納得せざるを得ない。
「話を戻すが、それだけの力をお前は持っているからな、余程の事がない限り、お前は中立を維持出来ないだろう。現に、監視がついている」
 光自身が考えていた以上の強大な力。戦力としてはこれ以上ない、極上の人材だ。敵に回せば最悪の障害となり、味方にすればこの上なく心強い。そんな存在であるが故に、中立という立場は曖昧過ぎるのだろう。
「気をつけろよ、お前も、友人もな」
 聖一はそう言うと、光達に背を向けて歩き出した。光も修も、それを見送る事しか出来なかった。
 やがて、光と修もその場を後にした。
「……刃や楓は知ってたのかな……?」
 ぼそりと、光が洩らした。閃光型のオーバー・ロードについて、“ROV”の彼らは知っていたのだろうか。知っていたのだとすれば、何故教えてくれなかったのだろう。
「……さぁな」
 修は肩を竦めた。教えない方が良いと判断したのだとしても、不思議はない。凄まじく強大な力を突然手に入れてしまったら、誰でも困惑するだろう。元々、戦闘能力としては高い方だったため、覚醒しただけでも光はかなり混乱したのだ。それより更に数倍の力が秘められていると、あの場で説明されていたら余計に混乱したかもしれない。
「具現力、使っててさ、少し判ったんだ」
 光は修に言う。
「意思が最も関係してるってのは、練習したから解ってた」
「練習、したのか?」
 修が確認するように問うてきた。
「いざって時に使えないと困るから」
 光は右拳に視線を向けて答えた。戦闘能力が高くなっても、それに自分の感覚が追いつかないのでは上手く体を動かす事も出来ない。命を狙われているのだから、自分の身ぐらいは守れるようにならなければならないのだ。自分の身も守れないようでは、自分の望んだ生き方も出来なくなってしまう。
「ま、そうだな。それで?」
 修も納得したようで、続きを促してくる。
「けれど、使い過ぎでそんなリスクがあるとは思ってなかった」
 何かしら副作用のようなものはあると考えていたが、聖一から聞いたところでは、生命力を消費するという危険性があるのだという。
「長生きすりゃ良いってもんでもないだろ?」
「まぁ、間違っちゃいないけど……」
 冗談めかして修が言うのに、光は乾いた笑みを浮かべる。長生きしたからといって、それが必ずしも幸せに繋がるとは言い切れない。現に、修は三十歳まで生きれれば良いと、言っていた事があったし、それも本気のようだ。光としても長生きが幸せとは考えていない。
「でもさ、あれ聞いちゃうと余計に戦いたくなくなるな」
 光は溜め息を漏らした。別に、戦いたいと思っているわけではないが、防衛のためでも戦う気が失せてしまう。
「具現力使っててさ、もっと速く動きたいと思えば思う程、速度が上がるんだ」
 その意思の規模がある線を超えた時、オーバー・ロードになるのだ。精神力を使い過ぎるという事は、それだけ具現力で精神力を引き出す事になる。光の場合、強く念じるだけで精神力を引き出す事が出来るのだ。一歩間違えれば、死んでしまうかもしれない。そうでなくとも、死期を早めてしまうかもしれない力だ。それを行使して戦う事に、抵抗を感じ始めていた。
「それでも、考えは曲げないんだろ?」
 修の問いに、光は頷いた。
「俺はどっちにも行かないし、進んで戦闘はしない」
 これだけは断言出来る、光の信念。この考えを変えてしまったら、今までの苦悩が無駄になってしまう。それに、今更考えを変えるつもりもない。
「それがはっきりしてれば、大丈夫だろ」
 修は頷いて言った。
 サイクリングロードに差し掛かり、光は空を見上げた。日が沈む少し前程度の夕焼けが、ところどころに残っている雲を赤く染めていた。
(……俺は、これからどうすればいいんだろう…)
 光は、修に気付かれないように溜め息を洩らした。これ以上戦いたくないとは思っていても、“VAN”は見逃してはくれないだろう。閃光型の具現力が強力な理由を理解したからこそ、“VAN”のように戦力を集めている組織が放って置かないだろうという事が予想出来た。仲間にならないのであれば、排除しようと考える。それは、一見無茶苦茶に感じても、実際は合理的な考えだ。敵にならないのだから、損はなくなるからだ。まだ、完全に具現力を使いこなせているとはいえない光ならば、その力を十分に発揮出来るようになる前に消した方がリスクは少ないのだ。
「……おい、光」
「ん?」
 修の呼び掛けに、光はいつの間にか俯いていた顔を上げた。修が視線で前方を示す。その視線を追って、光は修の言葉を理解した。
 前方に、一つの影が立っていた。その、目の部分が燐光を帯びているのが、暗くなりつつある視界の中でははっきりと見て取れた。
「……“VAN”…!?」
 光は息を呑んだ。
 瞬間、人影が光達の方へ駆け出してきていた。「――修、荷物頼む!」
 光は肩に掛けていたバッグを修に放るようにして預けると、一歩前に進み出た。
(発現っ!)
 光が目を閉じて念じた瞬間、蒼白い閃光が閉ざされた視界を覆った。体の感覚が鋭敏になり、知覚が拡大された事を感じ取り、具現力が開放された事を認識する。
(――速いっ!)
 人影の踏み込みは予想以上に素早かった。目を開けた光の目の前に、人影が殴りかかって来ていた。突き出される拳の前に、咄嗟に交差させた両腕を滑り込ませる。交差させた部分の防護膜が厚みを帯びた。意識してではなく、身を守ろうとする防御衝動がさせた本能的な事だった。
「ぐっ!?」
 鈍い衝撃とともに、光は後方へ吹き飛ばされた。背中から道に倒れ、そのまま数回転がり、うつ伏せで止まる。防いだ腕の、丁度拳の当たった部分に鈍痛が走った。外見的な傷はないが、衝撃によるダメージは結構なものだ。防護膜で防いでいたとはいえ、痛みの残る程の衝撃を受けたというのは、相当の攻撃力だ。
「光っ!?」
 修が声を上げた。今までの戦闘では、光の方が明らかに攻撃能力が高かったのだ。それを吹き飛ばせるだけの一撃を放てる相手というのは、今回が初めてだ。
「大丈夫っ!」
 自分にも言い聞かせるように言い、光は立ち上がる。
 人影は、大柄で体格の良い体付きの男だった。身に着けている黒いスーツは、以前、フィルサが着ていたものと同系統のもののようだ。その目は赤い燐光を帯びているが、その赤さは霞の紅さとは違うものだった。
(……こいつ、強い……)
 冷や汗がこめかみから頬へと伝って行くのが判った。最初の一撃で、相手の攻撃能力が相当なものである事を認識した。
 と、男が掌に赤い光弾を作り出した。そして、それを投げるようにして光へと向けて撃ち出す。
「――っ!?」
 光は咄嗟に横へ跳ぶようにして逃れた。飛来した光弾は、光の脇を通り過ぎると、空気に溶けるようにして掻き消えてしまった。遠距離攻撃である。光は、まだ格闘に関する能力に慣れただけで、遠距離攻撃には慣れていない。恐らくは念じるだけで良いのだろうが、使った事のない力の使い方をするのは難しい。
「くっ!」
 二発目の光弾を、防護膜を厚くさせた拳で打ち払い、弾く事で避ける。光弾に拳を打ち付ける瞬間の衝撃が、手を痺れさせた。男は容赦なく三発目を放ち、光はそれを拳で弾いて防ぐ。空気が弾けるような音と共に弾かれる光弾。
「く……このっ…!」
 何発目かの光弾を、半身になって避け、そのまま一回転するようにしながら、右手に力を集めさせた。光弾をイメージすればする程、掌には蒼白い閃光が生じ、輝きを増していく。回転の方向にその腕を大きく振り払い、光弾を投げ付けるようにして撃ち出した。放たれた光弾と、男の放つ赤い光弾がぶつかり合い、小さな爆音のような音と共に消滅した。
(……出来た…俺にも撃てる!)
 光は乾いた唇を舐めた。脈拍も少し上がっているようで、緊張感が体に張り付いているようだ。呼吸も少し荒い。
 遠距離攻撃が自分でも出来る事を確認し、対抗手段を確保する。
(――けど……)
 対抗手段を確保した事で、戦闘の幅は広がった。だが、問題は光自身がまだ相手を殺すという事を躊躇っている事にある。戦闘は即急に終わらせたいが、自分達が死んで戦闘が終わるというのは最悪だ。一番理想的なのは、相手の戦意を喪失させて撤退させる事だが、東間の事を考えると、それは上手く行きそうにない。結局のところ、戦闘を終わらせるには敵対相手を殺すしかないのだが、光としてはそれが厭なのだ。
 男が掌に生じさせた赤い光弾を打ち出してくる。それを打ち消すために光は掌から蒼白い光弾を放った。
「――何っ!?」
 先程と同じ感覚で放った光弾は赤い光弾を打ち消す事が出来ず、威力を削っただけで消滅してしまった。咄嗟に光は体を射軸からずらして回避する。
(……力負けした!?)
 感覚的に、相手の攻撃の威力は今までのものと変わってはいない。そして、光も威力を低くして迎撃を放った感覚はない。となると、光の能力自体が相手よりも劣っているのか、当たり所が悪かったという事になる。
(……まさか、攻撃力が落ちた!?)
 当たり所が悪かったという感覚はないし、はっきりと中心に直撃するのが見えた。となると、光の能力が下がったという事になるが、回避の時の身体能力は低下していなかった事から、戦闘能力の低下ではないはずだ。
 考えているうちに、男が光に接近戦を挑んで来ていた。拳を覆う防護膜を厚くさせて威力を高め、それを光の顔面に目掛けて突き出してくる。光が首をずらして回避した直後、男が回し蹴りに転じた。殺気のようなものを感じ、光は身を屈めてその蹴りを回避した。回し蹴りの回転力を消さずにそのまま男は突きを繰り出し、寸前で光が身を反らして回避する。
(……くそっ…)
 内心で毒づき、光は距離を取ろうと地を蹴った。後方に逃れる光に、男が光弾で追撃をかける。空中では回避が出来ず、両手の防護膜を厚く張り、それで光弾を叩き落す事で攻撃を凌いだ。着地を狙った攻撃は防護膜を厚くした足先で蹴り飛ばして防ぎ、何とか距離を取った。
(とにかく、攻撃しないと……!)
 防いでいるだけでは戦闘は終わらない。こちらからも攻撃を仕掛けなければならない。
 光は掌に光弾を生じさせ、その腕を横に振り払うようにして撃ち出した。回避行動を取るであろう事を見越して、すぐに二発目を掌に生じさせる。男が回避行動を取り、その移動先へと二発目を撃ち込む。寸前で男は動きを止め、二発目を回避すると、光弾で反撃を繰り出してきた。
(……どうする…?)
 光は自問した。牽制のために光弾を撃っても、当てる気がなければ力も入らない。別に狙っていないというわけではなく、当てる事が致命傷になる可能性の高さを考えると、上手く狙いがつけられないのだ。結局のところ、相手を殺すという事に思考を切り替えなければ上手く戦えないのだ。
「……強いか…?」
 修の声に、光は視線をその声のした方向へ向けた。
「……強い、けど……」
 光は口篭った。
「無理はするな、逃げるのも手だぞ…?」
 気遣うように、修が言う。
(――逃げる…?)
 光ははっとした。逃げるという選択肢で助かるのは光だけだ。光が修を抱えて逃げても、相手は簡単に追い付けるだろう。それに、人一人抱えた状態で応戦するのも難しい。更には、逃げたとしても、行く宛てはないのだ。それに、相手が組織である事を考えれば、逃げ続ける生活を選んだ場合、定住は出来ず、ちょくちょく居場所を変えていかなければならない。そうなれば、過酷な生活が待っている。また、もし見つかった場合、応戦出来ない修は足手まといになってしまう。
「……逃げるわけにはいかないよ」
 光は小さく呟く。修に聞こえているかどうかは気にしていなかった。自分自身に言い聞かせたのだから。
(でも、このままだと……)
 光は男へと視線を移した。
(殺すしか、ないのか…?)
 逃げるという選択肢を捨てた時点で、戦うしかない。そして、戦う事を選んだ場合の戦闘の終わらせ方は、相手を殺すしかない。霞との一件で、思い知らされた事だ。
(くそっ!)
 それでも覚悟の決まらず、光は内心で毒づいていた。
 と、男が光へと突撃してきていた。咄嗟に半身に体をずらして突きを避け、続いて繰り出される足払いを軽く跳んでかわす。着地後を狙ったハイキックを、腕で力の向きを逸らして無力化させた。
「――ぐっ!」
 ハイキックを腕で凌いだために開いてしまった体に拳が突き刺さった。衝撃が下腹部から背中へと突き抜け、光の体が浮いた。そのまま男は拳を突き上げるように振り切る。その勢いで光は後方へと吹き飛ばされ、道を転がった。
「が……げほっ……」
 咳き込みながら、光は手を地面につけた。追撃が放たれるまえにう動けなければ、光の命はない。何とか顔を上げると、男が掌をこちらに向けていた。その掌に、赤い光弾が生じた。
「…くっ――」
 呻き声が漏れた。恐らく、今放たれたら避けられないだろう。致命的な部分への直撃は避けなければならないという本能が働き、腕に力が加わるが、腹に受けた衝撃が全身を痺れさせているようで、上手い具合に力が安定せず、体を持ち上げようとしている腕が小刻みに震えている。
「光っ!」
 男の掌から光弾が放たれる直前、その腕に修が体当たりをしていた。狙いが逸れ、光弾がコンクリートに穴を穿った。
 すぐに修は男から離れようと後ろに下がった。その修へ、男が赤い瞳を向けた。
「――!!」
 男が修に歩み寄り、その首を掴んだ。修は勿論の事、光も声が出なかった。
「……ぐ…」
 修の呻き声が漏れた。
(――!!)
 瞬間、光の腕に力が加わり、跳ね上がるようにして光は立ち上がった。体が軽く、知覚速度が引き伸ばされているのを感じた。体の内側から強い力のようなものが湧き上がる感覚があった。
 修の表情が少しずつ歪み、呼吸がし辛くなっていくのが判った。光は地面を蹴った。吹き飛ばされた距離を一瞬で駆け抜け、修の首を絞める男の右腕を掴む。
「………」
 光は無言で男の顔を睨み付けた。殺気の篭った視線が男を射抜き、それに男が一瞬表情を変えた。光が手に力を込めると、男の腕が軋んだ。骨の軋む感触が、鋭敏になった感覚にははっきりと感じ取れた。男の手から力が抜け、修が解放される。
「光……」
「――修、もう、覚悟は決まった」
 気遣うような修の声に、光はきっぱりと答えた。光が戦うのは、自分と、その周りの生活を守るためだったはずだ。光が戦闘を終わらせる事が出来なければ、周りに被害が出る事を忘れていた。今も、光が最初から相手を殺すつもりで戦っていなかったから、修が殺されかけたのだ。相手の命を取るか、親友の命を取るか。見ず知らずの人間よりも、光にとっては修の方が大切なはずだ。ならば、修に危害を加えようとした目の前の男の命は切り捨てる。
 光は腕に更に力を込めた。瞬間、骨の折れる厭な音が周囲に響き渡った。光が男の腕を握り潰したのだ。握り潰され、粉砕された骨の一部が皮膚を突き破り、男の腕を赤く染めて行く。
「――ッ!」
 男が苦悶の表情を浮かべるのを、光は先程同様、殺気の篭った目で見つめていた。
「ふんっ!」
 光が男の腕を握ったまま、腕を振り払うように引き離すと、男の腕が肩から千切れた。そのまま光は男の右腕を投げ捨て、左拳を突き出した。間一髪でそれを避けた男が、後方に逃れるようにして距離を取る。残っている左手で赤い光弾を撃ち出すが、光が放った蒼白い光弾はそれを貫通するように打ち消して突き抜け、男はそれを身を反らして回避する。光は男との距離を一瞬で詰め、右拳を突き出した。間一髪でかわした男が回し蹴りを繰り出すが、光はそれを手刀で打ち払った。その足は弾かれず、光の手刀で叩き折られ、そのまま千切れ飛んだ。赤い飛沫を撒き散らし、千切れた足が宙を舞った。間髪入れずに、光は追撃の拳を打ち込む。男は、それを防護膜を厚くさせた左腕で受けたが、光の拳はその腕を圧し折り、そのまま男を殴り倒した。
「ぐぁ……!」
 男が呻き声を洩らした。それを見下ろし、光は右手に意識を集中させた。掌から一筋の閃光が剣のように伸びた。それを下から切り上げるように振り上げ、男の体を縦に両断した。削り取られるようにして、閃光の直撃を受けた部分が消失する。断面は形容し難い程にグロテスクだったが、光はその光景を意識しなかった。
「消え失せろ」
 ぽつりと呟き、光は振り上げた閃光の剣を掌の一点に収縮させる。その、圧縮したエネルギーを死体にぶつけるようにして解き放ち、死体を消滅させた。離れたところに落ちている腕も消し去る事を忘れない。霞が東間の死体を処分したときの方法を見よう見まねで実践したのだ。道端についてしまった血は消す事は出来ないが、そこに人間の体さえなければ大抵の人は蛇や鼠等の小動物が野良猫等に狩られた、又は自転車に撥ねられたのだろうと考える。
「……ふぅ」
 光は溜め息と共に具現力を閉ざした。入れ替わった感覚にふらついた光を、駆けつけた修が素早く支えた。
「大丈夫か?」
 修の問いに光は無言で頷いた。
「……もう、迷いなんてないよ」
 預けていたバッグを受け取りながら、光は答えた。
 相手を殺すという事自体は厭な事である事は変わらない。しかし、迷っていては全て最悪の方向へ流れてしまう。それに気付いたからこそ、光は躊躇う事を止めた。
「降りかかる火の粉は全て消してやるさ」
 光は小さく呟いた。
「これで少しは安全になるな」
「え?」
 修の言葉に、光は思わず聞き返していた。光が相手を殺す事が出来ると安全とは、どういう事なのだろうか。
「お前があいつらを殺せる事が判れば、慎重にならざるを得なくなるだろ?」
 その修の回答に光は納得した。
 攻めてきた相手が殺されたとなると、光がそれなりに戦闘能力を扱えるようになったという事であり、光の戦闘能力を恐れている組織としては迂闊に攻撃出来なくなるという事だ。そうして、光が十分に戦える事を示す事で相手からの攻撃が減る可能性があるのだ。それは、修や光の家族の身が危険に晒される可能性が低下する事に繋がる。
「そうだな、戦闘回数が少なくなるのは助かるな」
 戦闘を仕掛ける頻度が減れば、戦闘回数も減るだろう。そうなれば光も人をあまり殺さなくとも良くなる。それは光には有難かった。いくら相手を殺す事への躊躇いが消えても、人殺しは人殺しでしかないのだ。避けたい事に変わりはない。
「それにしても、いつの間にあんな事出来るようになったんだ?」
 修が感心したように訊いてくる。恐らく、光が使った具現力を剣形に形成させた事だろう。
「……少し練習してたけど、俺の場合はやっぱり、意思みたいだよ」
 少し考え、光はそう答えた。具現力には種類が数多くあるようで、現に今まで見た具現力は全て違うものだ。刃は雷だったし、フィルサは水が操れた。東間は灰色の刃のようなものを放つ事が出来たし、霞は紅いエネルギーを自在に操作していた。先程の男は格闘戦を主にしていたから、格闘戦向きだったのかもしれない。そして、光の場合は、蒼白い閃光を、自分の意思で自在に操れる事だ。身体能力も強く願う事で跳ね上がる。そう考えると、光が話せるのは自分の具現力の場合のみだ。他の具現力を使う事が出来ないのだから、光が自分の具現力を使って感じた事とは必ず差異が生じるからである。
「閃光型の特性なのかねぇ?」
「さぁ…どうだろ?」
 修の問いに光は肩を竦めた。光の周囲に閃光型の具現力を持っている者はいないようだし、自分以外の閃光型の事は、自分以外の該当者に尋ねるしか手はない。無責任な事はあまり言いたくなかったし、光自身も他の人はどうなのか知りたかった。
「……意思って事は、相当な戦闘能力になりそうだな」
 小さく、修が呟いた。
「何で?」
「だって、お前は他の奴より意思強そうだし」
 訊き返した光に、修は即答した。
「そうかなぁ?」
「やるって決めたらとことんやるだろ、お前は。そういうのはいざって時に強いもんだからな」
 修が言う。光は、自分の好きな事、決めた事はとことんやるタイプの人間だ。だが、それ以外にはあまり執着はせず、飽きっぽい。確かに、一つの事に対して、やらなければならない、やると決めたのであれば、光は突き進む。長所であり、短所である部分だが、意志が強いと言われれば間違っているようにも思えない。
「まぁ、こればっかりはやらないわけにはいかないし、やると決めた事でもあるからな」
 自分を含め周囲の生活を保つ事、それが光が決めた事だ。そして、それをやらなければ、光だけでなく、修の命も危ない。人生そのものもかかっているのだからやらないわけにはいかないのだ。
「……ん、ここまでだな」
 分かれ道のところで光は呟いた。ここを曲がれば光の家へ、真っ直ぐ行けば修の住むアパートへ向かう道になっている。
「……光、無理はするなよ?」
 気遣うような修の言葉に、光は軽く笑みを返した。
「大丈夫、覚悟は決まったし、辛くなったらお前に愚痴るよ」
 初めて人を殺した事に対して、光が必要以上に罪悪感を感じているのではないかと考えたのだろう。罪悪感がないといえば嘘になるが、気持ちを切り替えられたから、吹っ切れたからこそ、明るさを取り戻せたのだ。そして、辛い時は今までも光は修に愚痴を零した。逆に、修が愚痴を光にぶつけた事もあった。
「そうか、じゃ、また明日な」
「おう」
 軽く手を上げて修に答え、光は家への道を歩き出した。恐らく、今ならば今までと同じように振る舞えるだろう。

 光は家の前までくると、躊躇う事なく玄関を潜った。
「ただいま」
 心なしか明るい声が自然に出た。
「今日も遅かったな?」
 丁度階段を下りてきた晃が言う。
「委員会の仕事、昨日より時間が早かったんだよ」
 そう答え、靴を脱ぐとバッグを階段の端に置いて手洗いやうがいを済ませるとそのまま夕食に加わった。
「そういや、最近お前ゲームとかしてないな?」
 唐突に晃が口を開いた。
「んー? 忙しくて疲れたんだよ」
 料理を口に運びながら、光は答えた。当然だが、忙しかった内容については何も言わない。晃や孝二に問われたら、委員会の仕事、と答えるだけにしておく。それが一番受け流しやすく、実際に委員会の仕事もしているから嘘でもない。
「一段落したし、またやるよ」
 委員会の仕事がそんなに忙しいのか訊かれる前に、光はそう言った。それ以上詮索させないための言葉でもあったが、今日は少しぐらいゲームをしようと考えていた。今までは気持ちの整理がつかず、揺れていたからゲームやパソコンを使うだけの心の余裕がなかったのだ。だが、気持ちの整理さえついてしまえば大丈夫だ。それに、今までと変わらぬ生活を続けるためには、光がゲームやパソコンを使う事も大切な事である。考えていた以上に、ごく自然な受け答えが出来た。食事を終えると階段のところに置いたバッグを掴んで自分の部屋に向かった。その部屋に入ると光はベッドの上に寝転がった。
(……これで、俺も人殺しだ)
 光は小さく溜め息を漏らす。知人以外の取るに足らない人間、まして光達の命を狙う敵の命だとしても、殺さないに越した事はない。れっきとした殺人なのだから、たとえ死体や証拠がないとしても犯罪である事に変わりはないはずなのだ。
(けど、そうでなければ何も守れやしない)
 相手を殺す、消す事で自分にとって大切なものを守る。もう、それしか方法はなかったのだ。相手は本気で殺しにかかってくるというのに、光は相手を殺したくはなかった。それは自惚れだ。本気で戦ってくる相手が弱いはずはないのに、それを凌げるだけの力を持っていたから、相手を殺したくないという甘い考えに走っていた部分もあるのだろうから。
(思い通りに行く事なんてないんだからな……)
 そんなに都合良く事が起こり、収拾するはずがないのだ。そして、光は相手を消す事を選んだ。本気で向かってくる相手は、光に精神的にもダメージを与えようともするだろう。それは修や家族にも組織の手が伸びる可能性を示していた。放っておけば、取り返しのつかない事になってしまう。ようやく、光はそれに気付く事が出来た。
(……俺がやるしかないんだ)
“VAN”と戦えるのは、今は光しかいない。それなのに、光が戦う事を躊躇えば攻撃を受け続けるだけだ。それは、いずれ家族や修を巻き込み、光だけでなく彼らの命さえ奪ってしまう。それを防ぐためには、戦える者が戦うしかない。見ず知らずの人間の命と、友人や家族の命がどちらが大切なのか、と問われれば光は間違いなく後者を選ぶ。大抵の人間は、本当に大切な者達以外の命は重要視していないものだ。強盗殺人や、凶悪犯罪も、他者の命を軽視していなければ出来るものではないし、普通の人間はそんな犯罪者の命を内心では軽視しているものだ。光も例外ではなく、犯罪者や汚職を繰り返す政治家等に死んで欲しいと思った事もある。それであれば、光にとっては“VAN”の者達の命は家族や修より重いものではない。実際に命のやり取りをして、その戦闘の緊迫感と自分の命の危機感のために忘れていたが、光がもし、それを客観的に見ていれば、相手を殺す事を考えていただろう。恐らく、修は光よりも冷静に事態を見れていたから、自分ならば相手を殺していると答えられたのだ。戦闘に巻き込まれて、プレッシャーを感じていただろう光の代わりに、修は自分が冷静でいなければならないと考えたのだろう。逆の立場になった時、光が冷静にサポートする側だった事があったのを、光は思い出した。
(……動揺してたんだろうな、俺も)
 吹っ切れた事で、以前よりは冷静さを取り戻した気がした。冷静さを欠いていたとは思っていなかったが、気付かない部分で動揺があったのだろう。そうでなければ光はもっと早くに敵を排除する事が出来ていただろうし、修を危険な目に合わせる事もなかったはずだ。そして、動揺していたからこそ、今まで通りに振る舞う事が出来なかった。
 光はベッドから起き上がり、明日の授業の準備を済ませた。それが終わると、着替えを済ませて、ゲームとパソコンのある部屋に入った。先に晃がいてパソコンを使っていたため、光はテレビとゲーム機の電源を入れた。
(これで、今まで通りの生活に近付ける)
 光は知らぬ間に微笑んでいた。


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