ライト・ブリンガー 蒼光 サイドエピソード3
サイドエピソード3 「空と海の狭間で」
――蒼は私の一番好きな色。
それはヒカルの色。私にとって、自由の象徴だから。
海に行きたい、と言い出したのはユキだった。
「よし、行くか」
突然のことに目を丸くするヒカルを余所に、シュウは即答していた。
「せっかくの夏だもん」
ユキが言うには、そういうことらしい。
風物詩、ということなのだろうか。もう八月も終わろうとしているが、時期的には可能なのだろうか。
「九月半ばぐらいまで大丈夫な海水浴場があるから、そこにすればいいんじゃないかな」
その日のうちにヒカルがコウジとカオリに相談したところ、そんな返事が戻ってきた。
シュウの持つ力は移動手段としては使わないことになった。というのも、海水浴場のような人目のつきやすい場所への移動に使うのはまずいだろう、との判断だ。私の力で周囲から隠して移動することもできると進言したが、却下された。
「皆で行くのも楽しいんだよ」
ユキは笑顔でそう言った。
曰く、そこに至るまでの過程も大切らしい。楽をするのもいいけど、味気ない、と。
それに、戦いやそれに関係することでもない限り、ヒカルたちは力を使うことを良しとしていない。普通にやれる部分は普通に、というのはもっともな意見だった。
ただ、私は水着を持っていない。カオリもユキも、体格的に水着を借りることはできない。唯一シェルリアのものなら着れそうではあったが、生憎とVANを裏切ってヒカルについた彼女も水着の持ち合わせはなかった。
海に行くという話が出た翌日、私はユキとシェルリアの二人と一緒に水着を買いに行くことになった。
買い物自体、私には新鮮なもので、店の中を見て回るだけでもかなり面白かった。目的は水着だったが、ほとんど身一つでVANを抜け出してきた私は普段着も何着か購入することになった。
あれほど無頓着だったのが自分でも嘘のようだった。
色んな服をユキとシェルリアの二人と見て、議論して、試着した。興味がなかっただけあって、ファッションに疎い私には流行といわれてもピンとこない。自 分の好みで選んだらシェルリアには地味だと言われた。私からすれば、シェルリアは逆に派手だと感じる。対してユキは可愛い服が好みらしい。実際、試着する と似合っていた。
当初の目的の水着と、普段着となる衣服をいくつか購入して、その日は帰宅した。水着は当日、海で着るまで見せないのが決まりらしい。
ヒカルには「明日まで内緒」とだけ答えておいた。ユキにそう言うようにいわれたのだというと、ヒカルは納得したようだった。
そして当日は大所帯で行くことになった。
私とヒカル、ユキとシュウはもちろん、シェルリアだけでなくコウジとカオリも行くことになったからだ。だが、何より驚いたのはシェルリアが誘ったセイイ チも同行することになった点だろう。半ばシェルリアに強引に連れてこられたようだが、息抜き、という点には異論がないらしい。
電車を乗り継いで、目的の海水浴場へと向かう。電車の中でのユキは終始楽しそうだった。確かに、ユキの言う通り、時間が経つにつれて私も楽しみに思うようになっていた。
VANに居た頃、何度かビーチを見たことがあった。私自身がその場に行ったことはなかったが、力を使って視覚だけを飛ばして、海を見たことがある。
だが、生身で訪れる海はまた印象が違った。今まで見に行った土地ではないというのもあるだろう。自分自身がその場にいるという臨場感もあるのだろう。
ただ、印象を変えた一番の要因は私の隣にヒカルがいたということだろう。ヒカルたちと一緒に遊びにきた、というのが、私にとっては最も重要なことのように思えた。
白い砂浜と、蒼い海、蒼い空。晴れ渡った空は美しく、それを反射してきらめく海も、綺麗だった。
「結構、人いるもんだな……」
砂浜を眺めて、ヒカルが呟いた。
見れば、砂浜には多くの人が海水浴にきているようだった。ビーチパラソルがいくつも見受けられ、波打ち際で遊ぶ子供たちや、水着姿の男女が多く行き交っている。
「盆を過ぎればクラゲが出るって良く言うよな」
シュウの言葉に、ヒカルが顔を顰める。
「クラゲ?」
ヒカルの表情に気付いて、私は聞き返していた。
日本の海のシーズンというのは八月半ばまでということなのだろうか。
「小さい頃、海に来た時、クラゲに刺されたんだよ」
あまり良い思い出ではなかったらしい。ヒカルは渋い表情で答える。
「ま、もし刺されたら有希に治してもらえ」
冗談めかして笑うシュウに、ヒカルは鼻を鳴らして歩き出した。
「じゃあ、着替えて集合、ってことで」
カオリの言葉に頷いて、男女に分かれてそれぞれの更衣所へと向かう。
コインロッカーに荷物を入れて、カーテンで仕切られた個室の中で水着に着替える。着替えをまたコインロッカーに入れて、鍵付きのブレスレットを身に着けて砂浜へと戻る。
ヒカルたちは少し早く着替え終わったようで、ビーチパラソルを設置しているところだった。ビニール製のレジャーシートを砂浜に強いて、パラソルを立て る。ロッカーに入りきらないクーラーボックスをシートの重し代わりにしつつ、交代制で休憩しつつ荷物番をすることになっている。
ヒカルは濃紺のトランクスタイプの水着だった。特に装飾もない簡素なものだ。運動が苦手、とは言っていたが、体付きはそこそこだった。確かに筋肉質には 見えないが、そこまで華奢にも見えない。力を使っていたとはいえ、今まで強敵を相手に戦ってきたのだ。表面には出ていないが、それなりに肉体は鍛えられて いるはずだ。
シュウの水着もトランクスタイプだった。こちらは黒い色のものだ。運動がそこそこ得意らしいシュウの方が肉体的には引き締まっているように見える。もちろん、比較的、ではあるが。
セイイチは左右に白のラインが入った黒のトランクスタイプの水着だ。さすがに彼は体も鍛えているようで、一番体付きが立派だった。程良く引き締まっていて、均整も取れている。
「あ、セルファ」
ヒカルが私に気付いた。
「どう、かな……?」
私は自分の体を見て、ヒカルに視線を向けた。
私が買ったのは蒼いセパレートの水着だった。その上に、碧色のパレオを腰に巻いている。
私自身、お世辞にも、ナイスバディとは言えない。体を鍛えたことはないから、筋力はなく、華奢だ。細身だと言えば聞こえはいいが。胸も特別大きいわけではない。
「あ、いや、うん、似合ってるよ」
頬をかきながら、ヒカルが言う。やや赤くなっているように見えるのは気のせいだろうか。
「そ、そう?」
何だか照れ臭い。
「あ、もういるし。お待たせー」
後ろから声がして、振り返るとユキとシェルリア、カオリがこちらへ歩いてくるところだった。
ユキは白いワンピースの水着だった。フリルのスカートがついていて、とても可愛らしい。ただ、胸は私よりもなかった。
「……スク水じゃなかったか」
本当に小さなシュウの呟きが、私には聞こえた。
「当たり前だろ……」
ヒカルが溜め息交じりにシュウを小突いた。
「でもまぁ、これはこれで可愛いから良し!」
「もう、修ちゃんたらぁっ」
何故かふんぞり返るシュウに、ユキは頬を赤らめて照れる。
「いいわね、相手がいるのって」
シェルリアは苦笑しながら、そう呟いた。
この中では一番スタイルが良いのは彼女だった。胸も年齢の割には大きく、形もいい。細身ではあるが、程よい肉付きで、バランスが取れている。少し羨ましいぐらいだ。露出の高めなビキニを身に着けた彼女は外国人ということもあって、既に周りの目を引きつつある。
「おばさんには肩身が狭いわね」
カオリも苦笑いを浮かべていたが、こちらはシェルリアとは意味が違う感じだった。
彼女もそこまでスタイルは悪くないのだが、本人からすれば若さというものが埋めがたいらしい。カオリもオレンジと白のセパレートの水着だ。コウジの隣に腰を下ろす。
「さてと、じゃあ泳ぎに行くか」
シュウの言葉に頷いて、それぞれ動き出した。
シュウとユキが波打ち際へ、セイイチもゆっくりと海の方へ歩き出し、シェルリアは周りを見回しつつ売店の方へと向かうようだ。
最初の荷物番はコウジとカオリが受け持つとのことで、私はヒカルと一緒に砂浜を歩き出した。
「セルファは泳いだことってあるの?」
「大丈夫、泳げるよ」
ヒカルの問いに、私はそう答えた。
VANにいた頃に多少はスポーツもしたが、一人きりでは楽しめず、どれも長続きはしなかった。ただ、プールで泳ぐことは嫌いではなかった。一人で水の上に浮いていたり、気の向くままにゆっくり泳いだりするのは、何となく好きな方だったと思う。
「ヒカルは?」
「泳ぐのだけは、得意なんだ。人並み、って程度だけどさ」
ヒカルはそう言って笑った。
病弱だった頃に、スイミングスクールに通っていた時期があったらしい。水泳で心肺機能を鍛えるのが持病に良いとかで、泳ぐことは人並み以上にできるようになったとのことだ。
運動全般が苦手と言っていたから、少し意外だった。
「ま、クラゲに刺されてから海には来たことなかったんだけどね」
苦笑しつつ、ヒカルは言った。
どうやらそれがトラウマになっているようで、海に対して苦手意識を持っているようだった。
「じゃあ、本当は来たくなかった?」
もし、私やユキのわがままに付き合っているだけなのだとしたら、申し訳ない。
「いや、セルファと一緒なら……」
それでも海にきたのは何故かと問われて、ヒカルは小さくそう呟いた。
「後はクラゲに刺されなければ、ね」
私が目を丸くするのを見て、ヒカルは悪戯っぽく言った。
「さ、泳ごう」
私の手を引いて、ヒカルが海へと足を踏み入れる。
まだ、夏の暑さは続いている。海の水温は心地が良かった。
ゴーグルを付けて、泳ぎ出す。
言うだけあって、ヒカルは泳ぐのが上手かった。平泳ぎの方が得意らしい。足がつかない場所まで泳いで、海の中に潜ってみる。泳いでいる人の姿が沢山見えた。たまに、小さな魚が泳いでいるのを見つけた。
しばらくそうやってから、腰までぐらいの浅瀬へ戻ってゴーグルを外す。唇を舐めると、海水の塩辛さが口の中に広がった。
「少し休憩しようか」
ヒカルの提案に頷いて、海から上がる。
水の中ではあまり感じなかったが、体が重い。少し疲れたようだ。改めて運動不足だと実感した。
座り込んで大きく息を吐く私を見て、ヒカルは小さく笑う。
「アイス買ってくるよ」
そう言って、海の家と呼ばれる売店の方へとヒカルが歩いていく。
周りを見回すと、大勢の人が行き交っている。これでもピーク時よりは少ないらしい。
それでも、こんなに人の多いところにきたのは初めてかもしれない。VANも人は沢山いたが、建物の中ということもあって、こんな賑わっているような空気はなかった。
とても新鮮だった。
そんな中に自分が紛れ込んでいることが、何となく嬉しい。お姫様のような扱いではなく、ただの女の子のように存在していられるのが嬉しいのだ。私は、きっとそうありたかったから。
「お、そこの君、可愛いねぇ」
不意に、声をかけられた。
「外国人じゃないか、日本語分かるかな? キャンユースピークジャパニーズ?」
「え? 私?」
私の前に回り込むようにして、三人の男が覗きこんでくる。
「お、日本語話せるじゃーん。ね、一人なら俺たちと遊ばない?」
良く肌の焼けた茶髪の青年がにっと笑いながらそう誘ってくる。
「あの、あなたたちは……?」
声をかけられるとは思っていなかった。それに、今までまともに人と会話をしたことのない私は声をかけられることにも慣れていない。どうすればいいのか分からなかった。
「な、大勢のが楽しいって」
パーマの青年に手を掴まれて、半ば強引に立たされた。
「あ、これって……もしかして、ナンパ……?」
はっと気付く。
VANにいた頃に読んだ本や漫画とかと似た展開だ。
「おっ、分かってんじゃーん」
一番筋肉質な青年がにこやかな笑みを浮かべる。
「えっと、その、私、待ってる人がいるから……」
何と言えばいいのか迷って、ついそう言ってしまった。言ってから気付く、読んだ本でも同じように答えて、聞き入れて貰えなかったことに。
「そんなこと言わずに……」
強引に手を引き寄せる青年に、身を引こうと抵抗するも、相手の力が強過ぎて効果がない。囲まれていて、逃げ出せそうにはない。
いや、力を使えば不可能ではない。彼らを欺くことなど容易い。だが、こんな人目の多い場所で力を使っていいものだろうか。
「セルファ!」
パーマの青年が腰に手を回そうとした直後、ヒカルの声が響いた。
びくりと青年が手を引っ込め、私は手を掴まれたままヒカルの声の方へ振り返る。
「ヒカル!」
ソフトクリームを両手に持ったヒカルが駆け足で近付いてくる。
「おっと、セルファちゃんて言うのかー」
「あれ、君の彼氏?」
「ふーん、なんかぱっとしないねぇ」
三者三様の感想を述べ、ヒカルを見下ろす。三人とも、ヒカルより長身だった。ぱっと見でも、ヒカルより体格が良く見える。
「セルファちゃん俺たちと遊びたいってさ」
「そんなこと言ってない!」
思わず、大きな声を上げていた。
意外だったのか、三人は目を丸くする。
手を振り払おうとして、できなかった。
「な、俺たちと気持ちいいことしようぜ? あんなの忘れるぐらい良くしてやっからさ……」
下卑た顔で筋肉質な青年が私の肩を掴もうとする。
身を捩ろうとした瞬間だった。
「――触んな」
それは静かな声音だった。だが、低く、威圧するような声だった。
はっとして見れば、ヒカルの眼が、据わっていた。あれは敵を見る時と同じ眼だ。それが、三人に向けられている。
「セルファは、俺の女だ」
本気でヒカルが怒っている。
手が緩んだ隙に、私は身を引いてヒカルの傍へと駆け寄っていた。
「おいおい、凄まれちゃってるよ?」
三人はへらへらと笑いながら、視線をヒカルへと集中する。
命の遣り取りをしたことのない者だから、ヒカルの威圧が効いていないのだろう。戦場の空気を知っている者なら、あれは背筋が凍るほどのプレッシャーを与えられるはずだ。
小さく、ヒカルが溜め息をつくのが聞こえた。彼自身も気付いたらしい。
どうすればいいのか私が迷っておろおろしていると、ヒカルは優しく微笑んでくれた。
「誰か溺れてるぞ!」
突然、誰かの叫ぶような声が聞こえた。
その瞬間、誰もが海を見た。
遠くの方で水しぶきが上がっている。小さな子どものようだった。
「セルファ、これ持ってて!」
ヒカルは私の両手にソフトクリームを持たせると、駆け出していた。
「ヒカル!」
私の声に振り返ることもなく、ヒカルは迷うことなく海へと駆けていく。
「行っちまったぞ、あいつ」
金髪の青年が唖然として呟く。
「……あの状況で彼女置いてくとか、有り得なくね?」
パーマの青年は我にかえったようで、私の方へと一歩近寄ってくる。
私はそれから離れるように身を引いた。
「ね、放っておかれちゃったんだし、俺らと行こうぜ?」
筋肉質の青年がまた近寄る。
「貴方達は、助けに行かないのね」
私は海の方へ視線を向けて、そう呟いた。
水しぶきの上がっている場所に見える人影が少しずつ沈んでいくように見えた。
他にも何人かが海に向かって行ったが、ヒカルが一番早い。恐らく、力場を体の内側に張り巡らせるセーフモードを発動している。その泳ぐ速度には誰も追い付けず、あっという間に溺れている子どものところへ辿り着いていた。
「いや、だってライフセーバーとかもいるっしょ?」
「自分たちの方が近いのに?」
冷やかな私の目に、三人が言葉を詰まらせる。
「そんなことより、俺らと遊ぼうぜ?」
「人の命がかかってるのに、そんなこと、なんだ?」
責めるような私の言葉に、三人は顔を見合わせた。みるみる表情が変わっていく。
海では、ヒカルが子どもの下へ辿り着いていた。
ヒカルは周りを見回して、水中に潜ったようだった。何かが絡まっているのだろうかと思った次の瞬間、ほんの一瞬だけ、蒼い光が見えた気がした。それは本当に一瞬で、水面が光を反射したのと見間違えるぐらい、一瞬の出来事だった。
「下手に出てればいい気になりやがって……!」
「もう強引に連れてっちまおうぜ」
獣のような表情で三人が私に迫る。
私はそれをどこか醒めた目で見つめていた。もう、絡まれた最初の頃のような戸惑いはなかった。
ちらりと海の方を見れば、ヒカルが子どもを背中にしがみ付かせてこちらへ泳いでくるところだった。
「私はあなたたちには釣り合わないわ」
浅瀬に辿り着いて子どもを下ろすヒカルを見て、私は三人へ言い放った。
「ああいう行動を起こせないなんて、小さいのね。それとも、貴方達は満足に泳ぐこともできないの?」
両親だろうか、子どもの下へ一組の男女が駆け寄っていく。子どもも二人に飛びつくようにして、泣き始めた。
親二人がヒカルに何度も頭を下げている。ヒカルは乱れた呼吸を整えながら、それに応じていた。
「なんだとっ!」
掴みかかろうとする男の手をすり抜けて、私はヒカルの方へ駆け出した。
「ありがとうございます、本当に何とお礼を言ったらいいか……」
「いえ、ほんとに気にしないで下さい……」
何度目かのお礼に、ヒカルは苦笑しながらそう答えていた。
「ヒカルっ」
自然と私の顔には笑みが浮んでいた。
「次からは気を付けろよ?」
泣き止んだ子どもに、ヒカルが笑いかける。随分と急いだのだろう、少し疲れたような笑みだった。
子どもは小さく、だが確かに頷いた。それを見届けて、ヒカルはその場から離れるように歩き始める。私はヒカルの隣に並んで、右手のソフトクリームを差し出した。
「あ、ごめん、ありがとう」
ヒカルは右手の水気を払って、ソフトクリームを受け取った。
「何か、嬉しそうだね?」
私の表情を見て、ヒカルが呟いた。
「……だって、私の思った通りの人だったから」
少し溶け始めたソフトクリームに口を付ける。冷たさと甘さが口の中に広がって、心地良かった。
「……助けられるのに、動かなかったら、後悔しそうだったからさ……」
言いたいことに気付いたのか、ヒカルは少し照れ臭そうにそう言った。
自分には十分助けるだけの力がある。だが、目立ちたくないとか、面倒だとか、そういう理由で動かなかったとしたら、それで命が救えなかったら、後悔する。だから、迷わず動いたのだろう。
せめて、自分の手が届く範囲で命が失われるところを見たくない。たとえ自分の心のためだとしても、誰かを救おうと思えるのは立派なことだと思う。
「一瞬、力、使ったでしょ?」
「……うん」
私の囁きに、ヒカルは頷いた。
あの時、男の子の足にはロープが絡みついていたらしい。ロープは地面に食い込んでいて引き抜けず、男の子が溺れまいともがくことで余計に絡みつき、少し ずつ深みにはまっていく状況だったようだ。解く暇も惜しいと、ヒカルは自分の力を一瞬だけ発動させてロープを切断したようだ。
「あの子が気付いてなければいいんだけどな……」
ヒカルが苦笑する。
周りで見ていた者には、光が反射したぐらいにしか見えていないはずだ。きっと、大丈夫だろう。
「んふふ、美味しいね」
私がにこにこしながらソフトクリームを食べるのを見て、ヒカルの表情も緩む。
「おい、まだ俺らの話は終わってねぇぞ……」
「まだいたのか……」
後ろからかけられた苛立った声に、ヒカルがうんざりしながら振り返る。
今にも掴みかかろうとする金髪の男に対して、ヒカルが身構えようとした時だった。
「目障りだ、失せろ」
鋭い声が飛んで、一人の青年が割り込んだ。
切れ長の、鋭い目つきの青年だった。木刀を持ったその体はかなり引き締まっている。腹筋も割れているし、三人組の誰よりも鍛えられていた。
「……刃!」
ヒカルが目を見開いた。
ハクライ・ジンだ。レジスタンスのリーダーでもある。
「何だ何だ? 青春中の少年少女を邪魔する不届き者かぁ?」
面白いものを見るように、もう一人青年が後から現れる。野性味のある、熱気に満ちた目つきの青年だ。肉体的にはジンよりも彼の方が鍛えられているように見える。
「あなたは……!」
エンリュウ・ショウだ。
「なんだおまえら?」
「いきなり割り込んで来やがって、正義の味方面か?」
臆することなく、三人組が好戦的な言葉を吐く。
「女の敵は殺していいわよ二人とも」
「ちょっと瑞希、それは言い過ぎ……」
後から遅れてやってきたのは、ヒムロ・ミズキとカナカゼ・カエデだった。ミズキは青を基調に赤のラインが入ったタンクトップとスパッツのようなセパレー トの水着姿だった。引き締まった体と、十分なボリュームの胸が絶妙なバランスを見せている。カエデは翡翠色のオーソドックスなビキニの水着を身に着けてい る。年齢相応の胸に、こちらも良く引き締まった体付きをしている。
二人とも、シェルリアに負けず劣らずスタイルが良い。
「お、良い女いるじゃーん」
三人組がいやらしい笑みを浮かべる。
「へぇ、俺らのパートナーを奪おうってか?」
凄惨な笑みを浮かべるショウとは対照的に、ジンは終始冷ややかだった。
「邪魔しちゃってごめんねー、掃除は任せて」
ミズキが私たちに囁く。
「何で四人がここに?」
「翔が言い出したのよ」
ヒカルの疑問に、カエデが苦笑しながら答えた。
ショウの提案にミズキがまず乗り、強引にカエデとジンも連れてきたらしい。
見れば、もう決着はついていた。ジンが木刀を軽く払うだけで、男の一人が昏倒する。ショウの正拳突きがもう一人を吹き飛ばし。逃げようとした最後の一人をジンの木刀が叩き伏せていた。
「あの娘に手を出していたら、命は無かっただろうな」
ふっと、冷笑を浮かべて、ジンはそう告げていた。
あの娘、というのが私を指しているのだと気付いて、どきりとした。ジンもショウも、赤子の手を捻るように三人を薙ぎ倒したが、もし私が何かされていた ら、それをしていたのはヒカルだっただろう、と。いや、きっと私の身に何かあればヒカルは力を使うことも厭わなかった。あの時見せたヒカルの本気の眼は、 その意志の表れだ。
「ま、今回は俺らも遊びにきてるだけだから、他意はないぜ」
ショウが言った。
レジスタンスとしてここにいるわけではない、と。
「でも、ちょっと見直したわね。俺の女、なんて結構言うじゃない」
ミズキの茶化すような一言に、私もヒカルも顔が赤くなる。
「見てたのかよ!」
「いざって時は助けてやろうとは思ってたさ」
ヒカルの言葉にショウが笑いながらそう言った。
「その必要もなかったとは思うがな」
ジンが溜め息交じりに呟き、歩き出す。
「水差してごめんなさいね、私たちのことは気にしないでいいから」
苦笑いを浮かべて、カエデはそう言うとジンを追った。
しばし唖然として、私とヒカルは四人が歩いていくのを見つめていた。
「あの四人も来てたんだ……」
ヒカルの言葉に、私は頷くしかなかった。
溶けきる前にソフトクリームを平らげて、ヒカルと私はコウジたちの下へ戻ることにした。
戻ってみると、パラソルの横にはシュウが仰向けに寝転んだ姿勢で首から下を砂に埋められていた。その隣に腰を下ろしたユキは何故か満足気な顔でオレンジジュースを飲んでいた。
「何やってんの?」
「結構あったかいぞ」
ヒカルの問いに、シュウは平然とそう答えた。恐らく、ユキが埋めたのだろう。
「よし、頭も埋めよう」
「それは死ぬ!」
ヒカルの言葉にシュウがぶんぶんと首を横に振る。
どうやら、コウジたちと荷物番を交代したらしい。
「結構前だけど、朧先輩が女の子に声かけられてるの見たぞ」
「まぁ、先輩かっこいいから……」
シュウの言葉に、ヒカルは苦笑しつつそう呟いた。私は男に絡まれたが、逆もあるらしい。私の場合はヒカルがいたから拒否したが、セイイチは相手がいない。彼はどうしたのだろうか。周囲を見回しても、セイイチの姿は見えなかった。
「そういえば、刃たちが来てたぞ。完全に遊びにきてるらしいけど」
ヒカルはそう言いながら、丁度シュウの股間辺りに砂を盛り始めた。
それを見てジュースを吹き出すユキ。笑い転げるユキを見て、シュウが事態に気付く。
「ちょ、おま、何をする!」
「ふはは、抵抗できまい!」
「ぬおお! やめろぉー!」
首をぶんぶん動かして抵抗しようとするも、砂に埋もれたシュウは何もできない。ヒカルはそれを意地悪そうに笑いながらどんどん砂を盛っていく。
途中で私も耐え切れずに吹き出した。ユキと一緒に笑い転げる。
何も考えずにただ面白くて笑ったのは本当に久しぶりだった。ただ、笑い過ぎてちょっと苦しかった。
「写真、撮っとくね」
「やめてぇぇぇぇぇ!」
笑い過ぎて目尻に涙を浮かべたまま、ユキは携帯電話のカメラを起動してシュウに向けた。見れば、腰の高さぐらいまで砂が盛られている。
シュウの叫びも空しく、可愛らしいシャッターの電子音が響く。ヒカルは腹を抱えて笑い転げていた。
「後でその写真データ頂戴」
「うん、いいよー」
「だめぇぇぇぇぇ!」
ヒカルの言葉にユキは笑顔で応じ、シュウが絶叫する。
ひとしきり笑った後に、コウジとカオリが戻ってきた。二人ともシュウの様相を見て大笑いしていた。それから掘り出されたシュウはげんなりしていた。
それからは、シュウとユキも一緒に行動した。浅瀬でビーチバレーみたいなことをしてみたり、波打ち際で砂を弄んだり、海に入って泳いでみたり。
本当に、楽しかった。
帰る間際になって、セイイチとシェルリアが戻ってきた。セイイチはあまり変わった様子はなかったが、シェルリアは何だか上機嫌だった。心なしか、肌がツヤツヤしていた気もする。
「楽しかったぁー……」
帰りの電車の中で、ユキが笑顔で呟いた。
「うん、楽しかった……」
私も自然と、そう応じていた。
「先輩とシェルリアはどうだった?」
「まぁ、悪くはなかったな。それなりに楽しめた」
「また行きたいわね。中々いい男にも会えたしね」
ヒカルの問いに、セイイチとシェルリアがそれぞれ答える。素っ気なくはあったが、微笑を浮かべているあたり、セイイチも楽しめたようだ。シェルリアは含みのある笑みを浮かべていた。
「ねぇねぇ、二人とも、これ見て」
何を思い付いたのか、ユキが携帯電話の画面を二人に見せる。
「ぷっ、なにこれ」
吹き出すシェルリアの隣で、セイイチもくくっ、と喉を鳴らして笑っていた。
何を見せたのか気付いたシュウが止めに入り、ユキが携帯電話を隠す。
慌てるシュウを見て、皆が笑う。
「でも、楽しかったよ。セルファが一緒だったから、かな? ま、クラゲにも刺されなかったしね」
ヒカルが小さく呟いた。最後の方は照れ隠しのように思えた。
「また、こようね……」
はしゃぎ過ぎたかもしれない。疲れがどっと押し寄せてきて、眠くなってきていた。
数分もしないうちに、私はヒカルに寄りかかるように眠りに落ちていた。
後でコウジとカオリに聞いた話だが、私が眠ってしまった後、ヒカルも寝てしまったらしい。ユキとシュウも寝てしまっていたようだ。
疲れたけれど、楽しい一日だった。こんな日常がずっと続いて欲しいと、心の底から思った。
私も、これからはこんな毎日を手に入れるために、VANと戦うんだ。ヒカルと、一緒に。
想いは、また強くなっていく。