ライト・ブリンガー 蒼光 第五部 第四章
第四章 「蒼き閃光の使い手」
まだ朝の早い時間に、光たちはシェルリアの前に立っていた。いや、正確には彼女の墓だ。
予定時間よりも早く戻って来た聖一の言葉で、光たちは次の敵がシェイドという人物であることを知った。同時に、シェルリアの死を聞かされた。
シェルリアの亡骸を、光たちは埋葬した。土の中に埋め、その上に石を乗せただけの簡単なものだったが、光たちにはそれぐらいしかできない。
セルファと有希は涙を流していた。同じ女性である二人は、シェルリアとも親しくなっていたのだから当然だ。さすがに、アルトリアも黙り込んだままだ。
修は固い表情で立ち尽くしている。聖一の表情もどこか暗い。
そして、光は険しい表情でシェルリアの墓を睨みつけるように見つめていた。
光を慕って仲間になってくれたのが彼女だ。修のように、それまで光との面識は一切なく、セルファのように始めからVANを敵視していたわけでもない。VANの中にいながら、光と戦った上で仲間となってくれた存在は彼女が最初だったかもしれない。
そんなシェルリアの死を、信じられなかった。
彼女の力は決して弱いものではない。それは実際に戦った光自身が一番良く知っている。その彼女がこうも簡単に殺されてしまうものなのかと疑った。
聖一は相手が悪かったのだと言った。VANの中で、恐らくはアグニアの次に強い能力者がシェイドなのだと聖一は話した。同時に、今回は逃げるべきだとも進言した。
(シェルリア……)
涙は出ない。
悲しくないわけではない。戦っていくと決めた時から、全員が仲間を失う覚悟は心のどこかでしている。光自身が命を落とす可能性だって十分にありうるのだ。もちろん、セルファや修が死ぬ場合もある。だが、だからというわけでもない。恐らく、セルファか修が死んだとしたら、光の精神状態はもっと酷く揺さぶられている。
決して、シェルリアの存在が小さいわけではない。ただ、セルファと修だけは光にとっては特別な存在なのだ。
「……不運だったわね、彼女も」
その場に割り込んで来た声に、光たちは振り返った。
黒い、VANのスーツを着込んだ女性が歩いて来るのが見えた。その女性の顔を、光は知っていた。
「まさか、深輝(みき)姉(ね)ぇ……?」
光の言葉に、誰もが振り返った。
火蒼深輝、それが彼女の名前だ。
「大きくなったわね、光君……」
優しげに目を細める深輝に、光は混乱していた。
「でも、何で……!」
光の記憶が間違っていなければ、彼女は既に死んでいるはずだ。
火蒼光一と涼子の二人が殺されて命を落とした後、深輝もまた事故で死んだのだから。深輝は光一のいとこにあたる。光と晃が生まれてから、彼女が事故死するまで何度も顔を合わせていた。光と晃も深輝を姉のように慕っていたし、彼女もまた光たちを弟のように見てくれた。
「最後に会ったのはいつだったかしらね……」
光とすれ違い、深輝はシェルリアの墓を見つめる。
光一と涼子の葬式が最後だったかもしれない。あの時の深輝の悲哀に満ちた顔は忘れられなかった。まるで自分まで死んでしまったかのように、表情を無くしたまま、ただ目から涙を溢れさせていた。
「本当に、お父さんにそっくりね」
振り返って、深輝はくすりと笑った。
光はただ深輝を見つめている。睨んでいるのか、喜んでいるのか、哀しんでいるのか、自分でも解らない。彼女が生きていたことに驚いた後、深輝の身に着けている服を理解した。いや、先に服を見ていたから、彼女が生きていることを素直に喜べないのだろう。
深輝は、VANの人間ということなのだから。
「どうして、その服を……」
聞かずにはいられなかった。
何故、深輝がVANにいるのだろうか。あれほど光一と涼子の死を哀しんでいたはずの深輝が、二人の死の元凶であるVANに身を置いているのだろう。
まさか、光と戦った時、既に晃はVANに深輝がいることを知っていたのだろうか。だから、光の仲間となってVANを裏切ることはしなかった。
いや、違う。深輝の存在を知っていたなら、考慮の対象にはなっていただろう。もしも彼女がいなかったとしても、晃はVANを選んだ可能性がある。
「……一応、確認しておくわ」
ゆっくりと目を閉じて、深輝は告げた。
「VANに入る気は、無い?」
「無い。それだけは、絶対に」
光は即答していた。きっと、深輝も光をVANに勧誘してくるに違いない。彼女の身に纏った服を見た瞬間から、いずれこの質問が来るであろうことは予測していた。
答えは決まっている。VANは潰すと決めた。今更、仲良くなどできるはずもない。シェルリアも殺されたばかりだ。
「晃君、お兄さんはいるのに?」
「兄貴と俺は違う」
晃は光ると違う。覚醒した状況も、考えも、何もかも、光と同じではない。
「昔から、そうだったわね」
深輝の言葉に、光は俯いた。
晃の弟として見られるのが厭で仕方がなかった時期があった。逆に、その頃は晃を光の兄として見られるのも厭だった。兄弟という括り方ではなく、光も晃も一人の人間として見て欲しい。そう思う時があった。
「……今の俺には、俺の考えに賛同してくれる仲間がいる」
修や聖一は光の考えを理解し、戦う力を貸してくれている。シェルリアもそうだった。セルファは元々、VANを潰したい、VANから逃れたいと思っていた。光と目的が一致したこと、互いに惹かれあっていることで巡り会い、力を貸しあう関係だ。
皆が光を中心に集まっている。この状態で、光がVANに寝返ることなどありえない。仲間の思いを裏切ることになる。何より、セルファと敵同士になるなど、考えられない。
「そう」
一瞬、深輝の瞳が優しげに揺らいだのを、光は確かに見た。
「じゃあ、戦うしかないわね」
深輝の表情が引き締まる。光だけでなく、周りの仲間たちにも緊張が走る。
「一対一がいいわ。手は出さないでくれるかしら?」
「あんたが手を出さないって保障は?」
「私一人しかここには来ていないわ。付近に部下は誰もいない」
問いを返す修に、深輝は切り替えした。
部下がいない、ということは少なからず彼女は部隊を率いる立場にあるということだ。部隊長クラス、と考えていいだろう。
「私は、火蒼深輝。第一突撃部隊長」
名乗り、深輝は身体を青色の輝きに包んだ。光と同系色だった。もし、光の力に力場破壊が含まれていなければ、青色になっていたかもしれない。そう思わせる色だった。
第一突撃部隊長、それが深輝の立場らしい。特殊部隊を除けば、最高位に位置する役職だ。それだけ、深輝の力が強いということだろう。
「確かに、周りには誰もいないみたいだね」
力を解放し、光は呟いた。
周りにある気配は全て光の仲間たちのものばかりだ。敵意を向けてくる気配は一つもない。ただ、深輝を除いて。
「さぁ、かかってきなさい」
深輝の言葉に、光は目を細めた。
今まで死んだとばかり思っていた親戚と殺し合わなければならない。何をしているのだろう。家族を守ることも光の目的の一つだったはずだ。だが、光は晃を敵に回した。これから晃が仲間になる可能性はある。だが、それをあてにはできない。
確実に仲間になった者以外の力を頼りにすることはできないのだ。
「深輝姉ぇ……!」
光はゆっくりと足を踏み出した。
VANを抜けて光たちの仲間になるつもりはないか。その質問を飲み込んだ。聞いてはいけないと思った。深輝は第一突撃部隊の隊長なのだ。彼女はこれまでに数多くの人間を手にかけてきたはずだ。ある程度の実績がなければ隊長は務まらないはずだから、彼女は既にVANの人間だ。
問う必要などない。
彼女はシェルリアを殺したVANの人間の一人なのだから。
地面を蹴った足が、光の身体を加速させる。踏み込む度に勢いを増し、光は一瞬で深輝との距離を詰めた。細く息を吐き出して、拳を振るう。
深輝が動く。青色の軌跡を残して、光の拳をかわしていた。光の横に回り込むように立ち位置をずらしている。
(速い……!)
最初の一撃は牽制のつもりではあったが、命中させるつもりが無かったわけではない。威力と速度は全力ではなかったが、八割ほどの力は込めていた。
深輝の膝蹴りを右の掌で受け止める。同時に、左肘を深輝へと打ち込んだ。深輝は上体を捻って肘打ちをかわし、受け止められた膝に力を込めて強引に光を弾き飛ばした。
数歩分の距離を後退し、光は右手を一閃する。三発の光弾を放ち、もう一度後方へ跳んで距離を取る。
深輝は防護膜を厚くさせた両手で光弾を相殺し、光との距離を詰める。右のハイキックを左腕で受け止め、右の拳を突き出す。深輝が光の拳を首を反らしてかわし、右脚を引く腰の捻りを使って左手を突き出してきた。
光は左手で深輝の手首を叩き落とし、そのまま肘打ちへと転換する。深輝は光の肘を膝蹴りを打ち上げて反らし、足を伸ばすようにして蹴りに転じる。光は左脚を軸に、右脚を引いて身体を回転させた。蹴り上げをかわしながら、裏拳を繰り出す。
深輝が両手で裏拳を受け止めた。光は力任せに腕を振り抜き、深輝を吹き飛ばす。地面に手を着いて、そこを軸に身体のバランスを変化させて深輝は体勢を整えた。
「……基礎はできているわね」
小さく、深輝が呟いた。
今までの戦いで、光は実力を付けて来た。戦いの合間に、独学ではあるが自分の力も訓練している。今ならオーバー・ロードせずとも力場破壊も使いこなせるはずだ。
戦闘の基礎は一般人よりは会得している。
「けれど、真っ直ぐな攻撃ばかりでは私を倒すことはできないわよ」
深輝が駆け出した。拳を固め、光へと迫る。
身構えた光を見て、深輝は大きく跳躍した。光の真上を深輝は跳び越える。そして、自分の背後に生成していたいくつかの光弾を光へと突撃させる。光は左手を薙いで光弾を放ち、力場を破壊して深輝の攻撃を打ち消しながら、背後へと着地する深輝に向き直る。
深輝の行動がフェイクで、本命を自分の背後に配置したのだ。ただ、深輝は光の背後へと移動することができる分、自分に有利な状況を作り出すことができる。確かに、これも作戦としては在りだ。
光は深輝の回し蹴りを屈んでかわし、足払いをしかける。同時に、深輝の首の高さに閃光の鞭を作り出して水平に薙ぎ払う。
「あなたは基本しか知らないのかしら」
深輝が呟く。
後方宙返りをしながら、深輝は足払いと鞭をかわした。僅かに距離が開いた。
光は足払い直後の屈んだ体勢から強引に地面を蹴って身体を前へと進める。両手を地面に着いて、重心を更に前へと押し出す。腕に力を込め、防護膜で筋力を補い、光は倒立からの踵落としを放った。だが、深輝は横へと逃れてかわす。足が地面に着くと同時に両手で上体を跳ね上げ、身体の上下を元に戻す。
深輝の蹴りを、光は腕で受け止めた。瞬間、深輝の足が纏っていた防護膜が輝いた。まるで蹴りが受け止められていないかのように、足の形をした青い閃光だけが光に叩き付けられる。
「うぁっ!」
反射的に厚くした防護膜がダメージを相殺する。だが、ダメージはゼロではない。衝撃波を浴びたように、光は吹き飛ばされた。防護膜を厚くさせていなければ、致命傷を負っていたかもしれない。
右肩から地面に突っ込んだ光へ、深輝が光弾を放つ。光も光弾を放ち、相殺を狙う。だが、深輝の光弾は光のそれがぶつかる直前に分裂し、直撃を避けた。そして、光の反撃をかわした上で分裂した光弾は元に戻り、直進する。
光は防護膜を厚く張った腕を光弾に叩き付けようと振るう。だが、深輝は光の腕が触れる寸前に光弾を四散させる。腕が通過した後で光弾は再び集約し、更に距離を詰めてくる。
(……戦い、難い……!)
今まで戦って来た能力者たちとは全く違う感覚だった。
深輝が血縁者であるということとは別に、彼女の戦い方が今までの能力者とは一線を画しているのだ。純粋なエネルギーを扱う閃光型の能力者には発動形態以外に特徴というものは乏しい。自然型や特殊型のような能力特性はなく、単純な破壊力を自在に操れるだけだからだ。
攻撃手段は格闘による直接攻撃か、光弾や光線といった遠距離攻撃のどちらかが一般的だ。
しかし、深輝は格闘に遠距離攻撃の手法を混ぜている。直接攻撃のために振るった腕や脚から遠距離攻撃を放ち、至近距離で炸裂させる。今までの敵には見られなかったスタイルだ。
元々、これまでに光が戦って来た能力者は自然型か特殊型だった。単体で攻撃手段が複数考えられるものだったのだ。
それに、光の力場破壊では深輝の攻撃全てを掻き消すのは難しい。力場を破壊すること自体は十分可能だが、閃光型の力は一点だけ力場を壊されたとしても効力を失うことがない。力場破壊が触れた部分だけエネルギーが消失するだけなのだ。今までのように、点で破れば全て掻き消せるわけではない。深輝の発生させた力場全てを破壊しなければ、完全に打ち消したとは言えないのだ。
力場破壊は最強の防御能力であることは間違いない。ただ、完全無欠ではないというこだ。力場破壊能力を持っているからと言って、光は無敵ではない。負ける可能性も、殺されてしまう可能性もある。
そして、力場破壊能力を持つ光に対して、閃光型を持つ深輝は最も効果的な相手であるとも言える。
(やってみるか……!)
光は目前まで迫った光弾に意識を向けた。
力場破壊は理性で導く力だとジェーンは言った。光弾は深輝の力だ。深輝の力を否定する。望むのは、自分と、仲間たちの安全だ。何を守るのか、何のために守るのか、光の考えは既に決まっている。
光が身に纏う防護膜が白い輝きを帯びる。
深輝を殺すことを躊躇ってはいけない。それが、セルファや修の命を脅かす可能性が高いから。誰が相手であろうと、敵であれば捻じ伏せる。兄である晃でさえ、殺そうとした。やってできないはずがない。
倒すのだ。深輝を。
光の知っている深輝は、もういないのだから。
「おおおおおっ!」
光は吼えた。自分自身を鼓舞するかのように。
自分の目の前の空間に力場破壊能力を波紋のように伝わらせる。円形に、盾として白い輝きを放つ。光弾が掻き消されて消失する。
跳ね起きた光は、駆け出した。
深輝のハイキックを大きく跳躍してかわす。跳び越えながら真下の深輝へ閃光を放ち、拡散させて八方向から攻撃する。滑り込むようにして閃光の下を潜り抜けて包囲から脱出する深輝の背後に着地し、回し蹴りを放った。腕で受け止める深輝に、光は足からエネルギーを飛ばす。
深輝がやってみせたのと同じ攻撃を、光は放っていた。
光は閃光型の戦い方を知らない。今までの戦いは独学で乗り越えて来た。だが、今、目の前にいる深輝は閃光型の能力者だ。第一突撃部隊長という立場を考えれば、彼女は閃光型における戦闘のプロとも言い換えられる。ならば、深輝の戦い方を光がラーニングしていけばいい。彼女の戦い方の全てを吸収し、自分のものにすればいい。
そうすれば、光が負けることはないだろう。深輝と同じ家系から受け継いだ力以外に、光にはもう一つの力があるのだから。
深輝の口元に笑みが浮かぶ。
「少しはできるじゃない」
呟いて、深輝は距離を取ると、両手を大きく左右に開いた。
周囲に閃光が迸り、粒子ほどの小さな光弾が無数に散布される。それが嵐のように渦を巻き、光へとぶつかってくる。一つ一つの威力は小さく、防護膜を突き破ることはできない。だが、大量に浴び続ければ防護膜が消耗してしまう。突き破ることはできずとも、防護膜のエネルギーを僅かずつでも相殺する力があるのだ。
光は自分の周囲に閃光を振り撒く。雨のように閃光を地面へ突撃させながら、絶え間なくエネルギーを発生させていく。光目掛けて飛来する粒子を迎撃しながら、深輝へも攻撃を向ける。
「深輝姉ぇっ!」
突き出した拳を、深輝は光の手首を腕で弾いて反らした。反らされた腕から光弾を放つと同時に、深輝の肘が光の首筋を掠める。深輝の首の後ろを光弾が突き抜けた。
深輝が踏み込んでいなければ首を貫いていた軌道だった。
「……やるわね」
鼻先が触れ合うほどの距離で、深輝が囁いた。
その瞬間、光は深輝の瞳の奥に優しい輝きを見た。
「深輝姉ぇ……!」
光は悟った。
初めから、深輝は光を殺すつもりはなかったのだ、と。何かおかしいとは思っていた。今までのように、殺気を感じることが無かったのだ。敵意に近いものはあったが、違うものだ。いや、周りにVANの人間がいなかったから比較できなかっただけだ。比較していれば、直ぐに気付いただろう。
「何で、VANにいるんだ……!」
光の叫びに、深輝はゆっくりと身を退いた。
「それが、この世界のためになると思ったから、かしらね……」
溜め息をつくように、深輝は言葉を紡いだ。
「いいえ、全ては復讐」
先ほどの言葉を否定して、深輝は光を見つめる。
彼女の目には揺るぎがない。今日、出会ってからずっと、彼女の視線は真っ直ぐなものだ。まるで、敵とは思えないぐらいに。
「光一兄さんが死んだ時、私は直ぐにVANの仕業なんだと気付いたわ」
光は目を見開いた。
深輝は、光の両親が死んだ時、既にVANのことを知っていた。孝二しか知らないはずの真実を、どうして深輝が知りえたのだろうか。疑問は、直ぐに彼女の答えによって解消された。
「光一兄さんたちの両親が事故で亡くなって、孝二兄さんは怪我をした。お見舞いに行った時、光一兄さんが話しているのを聞いたのよ」
深輝は、ゆっくりと語り始めた。
光の両親は、VANに逆らって生きた。ずっと、守りに徹することで生き延びてきたのだ。だが、光一と涼子は自分たちの家族を守ることができなかった。どうにか救うことができたのは、光一の弟である孝二だけだった。
そして、光一は決意する。家族に迷惑がかからぬよう、涼子と共に暮らすことを。同時に、孝二には全てを話して、VANや能力者のことは全て忘れたもの、知らないものとして過ごさせることを。
昔から、光は親戚の存在をほとんど知らないまま過ごしてきた。だが、最近になって光一と涼子の真相を知って納得した。親戚の存在を知らないのは当然なのだ。光一の両親も、涼子の両親もVANの手によって殺されているのだから。そして、光一も涼子も親戚から離れて暮らすことを望んだのだ。
真相を知る孝二と、偶然ではあるが聞いてしまった深輝の二人を除いて。
怪我の治療のために入院した孝二に語った話を、深輝は聞いていたのだ。だから、深輝は全てを知っていた。その上で光一や、光たちと付き合っていてくれたのだ。
「だから、光一兄さんと涼子義姉さんが死んだって聞いた時、ピンときたの」
葬式の時に彼女が見せた表情には、様々な想いがあったのだ。
「それから暫くして、私は覚醒した」
当然、VANは深輝に接触を図る。
そして、深輝はVANに所属する道を選んだ。
「……知っていたなら、何で……」
言って、気付いた。
「知っていたからよ」
そう、深輝は光一が殺されたことを知っているのだ。いや、光一が負けたということを知ったのだ。
自分一人が逆らったところで、能力が光一とほとんど同じに等しい深輝に勝ち目はない。VANを倒すことは、深輝には不可能だったのだ。
「気持ちで負けていると言われるかもしれないわね」
深輝は苦笑した。どこか、自嘲気味に。
精神力が強さに結び付くのであれば、たった一人で何十人分もの力を発揮することも不可能ではない。ただ、それは相手にも言えることだ。光一の精神力は半端なものではなかったと聞く。VANを壊滅寸前にまで追い込んだ能力者だと、前に聞いた。そんな光一と涼子を打ち倒し、息の根を止めるだけの力量を持った能力者がいたということだ。
覚醒したばかりの深輝には、VANと戦うだけの知識も技術も無かった。同時に、光一のように涼子というパートナーがいたわけでもない。VANと戦うには、条件が揃っていなかった。
「その点、あなたたちは素質十分ね」
深輝がセルファや修へ振り返る。
最強の能力者アグニアとセイナの間に生まれ、両親の力を全て受け継いでいるセルファ。空間破壊能力という、セイナの天敵とも呼べる力に覚醒した修。稀有な治癒能力を持って生まれた有希。攻撃力は乏しいが、諜報活動に長け、実際にVANとROVの双方に対して情報の横流しをしていた聖一。今は亡きシェルリアと、昨日新たに加わったアルトリア。
皆、光にとっては頼もしく、かけがえの無い仲間たちだ。
そして、光自身も仲間たちと同じだ。アグニアを瀕死にまで追い詰めた光一と涼子を親に持つ、光。
深輝に比べれば、遥かに優秀なチームだ。そして、能力の高さという条件も揃っている。
「最初は、VANの中に入って、アグニアを殺すつもりだったわ」
VANの内側から、トップであるアグニアに近付いていく。優秀な部下を装い、安心し切ったアグニアを仕留めるつもりだったのだ。
だが、深輝にはできなかった。
「けれど、アグニアは誰をも寄せ付けない高みにいる」
正確には、誰もが近付けないほどの存在感を持っているというべきだろう。深輝には、アグニアの前に立つことすらできなかった。一目見た瞬間に、自分が太刀打ちできぬ領域にいる存在なのだと悟ってしまったのだ。
「きっと、光一兄さんと涼子義姉さんにはあなたたちがいたから、戦えたのね……」
光一と涼子には、命に代えても守りたい家族があった。即ち、光と晃だ。光たちが安心して暮らしていける世界を創るためには、VANを叩くしかなかったのだろう。いくら光一と涼子だけが能力者であったとしても、邪魔な二人を叩くために光や晃が狙われる可能性も十分にありうる。
現に、同じ理由で美咲という少女が犠牲になった。修が攫われたこともあった。家族を掻き回されもした。
光一と涼子は、光と同じ結論に達したのだ。いや、光が両親と同じ結論を出したのかもしれない。
大切なものを守るために、VANを叩く。そのために、命を懸ける。
「私には、それがなかった」
深輝には、命に代えても守りたいと思うものがなかった。大切なものはある。だが、どんなことよりも優先させたいと思えるほどのものではなかった。
光一と涼子が死んだことで、光と晃もとりあえずは安全になった。守る必要はなくなったのだ。戦うだけの理由が無い深輝には、VANに真っ向から挑むほどの決意はできなかった。あわよくばアグニアを殺そうという考えも、実際に彼と出会うことで自分には無理だという結論に行き着いた。
「そんな時、聞いたのよ。アグニアがあなたたち兄弟を密かに危険視しているって」
能力者として覚醒していない、覚醒するかどうかも判らない光と晃をアグニアは危険視していた。光一と涼子の息子である、という理由だけで。いや、光一と涼子の力を受け継いだ能力者になりうるかもしれないという可能性を危惧していたのだろう。事実、光と晃は父親の閃光型と母親の力場破壊を併せ持った能力者となった。
「最初は、ほんの小さな賭けだった」
覚醒した光と晃が、VANに抵抗するかもしれない。VANを敵と見做し、かつての両親のように戦うことを決意するかもしれない。深輝にとっては望みの薄い賭けだった。
もし、光と晃がVANと戦うことを決意したのなら、様々な問題にぶつかるはずだ。
「だから、私は決めたのよ。あなたを鍛えるために、強くなると」
先に覚醒し、VANと接触した深輝には解っていたのだ。
能力者たちのいるVANに行かなければ、本当の戦い方というものを学べないことを。能力者同士の訓練や、研究などが行われているVANに入ることで、深輝は自分の力について正しい知識を得た。そして、応用の範囲も把握することができた。
だが、もしもVANに入ることを拒んでいたなら、実力をつける前に始末されていただろう。
「鍛える……俺を?」
光は呆然と深輝を見つめていた。
今まで、具現力を身体に慣らすことから力の使い方まで自力で試して学んできた。最初は、刃たちに助けられた。オーバー・ロードで強引に敵を捻じ伏せた。修の覚醒に助けられた。ROVとの共闘で敵の部隊を殲滅し、聖一やシェルリアとの戦いが良い経験となった。
自分の力だけでは、ここまで辿り着くことはできなかっただろう。
深輝は、仲間のいなかった光、なのかもしれない。
だからこそ、光がVANに抗うことを決めた時、深輝は敵として現れることにしたのだ。光と戦うことで、閃光型に可能な本場の戦い方を見せつけ、教える。
「予想以上だわ、光」
ふっと微笑んで、深輝が言った。
「良い条件に恵まれたわね」
優しい響きに満ちた深輝の言葉を、光は素直に受け取ることができずにいた。
深輝は、光の味方だった。ただ、不安だった。彼女の言葉遣いが、口調が、息遣いが優し過ぎることが。どうして、これから共に戦って行こう、という力強い言葉が返ってこないのだろう。
「深輝姉ぇ……」
「光、あなたは、アグニアの前に超えなければならない者がいるわ」
光の言葉を遮って、深輝が告げた。
「……シェイド、だよね」
シェルリアの墓に視線を向け、告げる光に、深輝は首を横に振った。
「確かにシェイドもそう。だけど、何より超えなければならないのは、あなたの両親よ」
アグニアを瀕死に追い込むことはできた。VANを壊滅寸前にすることはできた。だが、光一と涼子はアグニアを殺すこともできず、VANを消し去ることもできなかったのだ。
光がVANを、アグニアを倒すのならば、両親を超えなければならない。両親以上の力と、仲間でVANに立ち向かっていかなければならない。今のVANは光一と涼子の襲撃を乗り越えた組織なのだ。かつて、光の両親が乗り込んだ時よりも強靭なものになっているのは間違いない。ならば、光一と涼子の力を完璧に受け継いで使いこなすだけでは駄目だ。両親を超える使い方と、力の強さを示さなければならない。
光だけの、力を。
「シェイドは強い。彼を超えられないようではアグニアと戦うのは夢のまた夢よ」
アグニアに鍛えられた閃光型の能力者、シェイド。シェルリアを倒したという事実だけなら、光と同等の力量と言える。だが、聖一によればシェルリアをあしらう際にシェイドは本気を出していなかった。本気で戦ってシェルリアを倒した光よりも上の存在と見て間違いない。
「シェイドは、今までのようにはいかないわよ。彼は、私よりもずっと強い」
深輝は告げる。
今までの光は、目の前に現れる敵を倒し、乗り越えることで少しずつ実力を着けてきた。現れた敵以上の力に辿り着くことで、打ち勝ってきたのだ。だが、それは光の前に現れた能力者たちが順々に現れてきたためでもある。
シェイドに当たる前に深輝と戦えたのは幸運だったというべきだろう。
「だから、まずは私を超えてみなさい」
優しい微笑と共に、深輝は言った。
「深輝姉ぇ……?」
「私を殺してみせなさい」
「そんな……!」
「あなたの決意はそんなものなの?」
衝撃的な言葉に後退る光へ、深輝が言い放つ。
「……あなたの中では、私は既に死んでいた人間でしょう? それが元に戻るだけよ」
深輝は事故で命を落としたのだと、光は聞いていた。葬式にも参列した記憶がある。遺体はVANがどうにかしたのだろう。あの時、光たちは深輝を死んだ者と認識していた。
今、ここで深輝が死ねばそれが元に戻るだけだ。
(一緒に戦うことは……)
口を開きかけて、光は気付いた。
駄目だ。
深輝を仲間に勧誘するなど、光にはできない。
口の動きを見てか、深輝が哀しげに笑った。
「そう、私はVANの部隊長。今までに多くの人間を手にかけてきた」
たとえ、光を鍛えるためとはいえ、深輝は既に数多くの人間の命を奪ってきている。そして、その意味合いは光や修とは決定的な違いがある。
光たちは大切なものを守るため、それを脅かす能力者を殺めて生き延びてきた。だが、深輝は違う。自分の実力を着けるため、立場を向上させてより自由に動けるようにするために、能力者に限らずVANにとって邪魔な人間を殺してきたのだ。中には、光たちと同じようにVANに敵対する能力者もいたことだろう。
第一突撃部隊長という、特殊部隊を除いての最高位に位置する深輝なら、それに見合う働きや戦果、実力がなければならないのだから。
光には、深輝を赦すことはできない。
思想的な理由で離反したシェルリアとも、そもそも戦場には出ずにお飾りであったアルトリアとも意味合いは違う。自分の目的のためだけに、多くの人間を巻き込んだのだ。それがたとえ光のためだとしても。いや、光のためだからこそ、赦せない。
それは、深輝が光のためだけに多くの人間を殺してきたと言うことなのだから。
共に戦えたとしたら、どれほど心強いだろうか。だが、深輝も初めから強かったわけではない。強さの裏には、それに見合う数の屍がある。
そして、その犠牲は光が望むものではない。
だが、何より、深輝自身が望んでいないようにも思えた。
「もう、私はVANから逃れることはできない」
「俺は……」
何か言うよりも早く、深輝が手を伸ばした。
光ではなく、セルファの方へ。放たれた閃光が、セルファの頬に触れて消える。セルファの頬を、一筋の血が伝って行くのが見えた。浅い傷だ。有希なら直ぐに治せる。
「――深輝っ!」
握り締めた拳が蒼白い輝きを増す。
「……光、もう、理屈ではないのよ」
深輝は光に殺されることを望んでいる。だが、光には躊躇いがあった。晃も、修がいなければ自分の手で殺していた。自分でそう望み、決めたことではあったが、やはり辛い。
本当に、いいのだろうか。深輝も光にとっては掛け替えの無い人間であることは確かだというのに。
「もし、あなたが私を超えられないようなら、私はあなたの大切にしている全てを消すわよ。勿論、私自身もね」
光の心を見透かすかのように、深輝は告げた。
セルファや修だけでなく、孝二たちも手にかけるということだろうか。そして、最後には自分自身をも始末する。光にとっては最悪のシナリオだ。仮に、全てを犠牲にして深輝を生かしたとしても、彼女は自害するというのだから。
「嘘でも、怒るぞ」
それが光を怒らせ、深輝を殺させるためについたものだという可能性もある。いや、嘘だと言って欲しいだけかもしれない。深輝が、光の守って来た全てを奪うなどと言うはずがないと、そう思いたいだけだ。
「嘘になんてしないわ。私を殺せないようじゃ、この先には進めない」
光の守って来た全てと、深輝を天秤にかけるしかない。答えは既に出ている。何せ、守って来た全てを捨てても、深輝は救えないのだから。
「シェルリアは無駄死にだったわね」
「俺を怒らせて戦わせるつもりなんだろ?」
深輝の言葉は光に突き刺さってくる。本気で戦うとなれば、どちらかが死ぬまで続く戦闘となる。
「……私を休ませてくれないのなら、彼女に死んでもらおうかしら」
深輝の視線がセルファに向かう。
セルファの肩がびくりと震えた。
深輝の瞳の中に冷たいものが増えていく。彼女は、オーバー・ロードしていた。防護膜がこれまでになく輝きを放っている。どこか虚ろな視線の中に、深輝は確かな殺気を漲らせていた。特定の人に向けたものではなく、漠然とした、全てに向けられたかのような殺気を。
「そんなに、死にたいのかぁっ!」
光は叫んでいた。
涙が頬を伝う。止め処なく流れる涙に呼応するかのように、光の中から力が溢れ出してくる。深輝を止めなければならない。どんな手を使っても、深輝を止める。
どうあっても、言葉はもう通じない。深輝がそれを拒否している。
深輝がセルファを殺すというのなら、光はそれを否定する。深輝の存在全てを否定してでも、セルファを守る。今の深輝は、敵だから。光にとって、セルファが何より大切だから。
地面を蹴った瞬間、深輝が動く。蒼白い閃光が尾を引いて弧を描き、光の蹴りの軌跡を描く。深輝の身体が青い残像を残して消える。回し蹴りから閃光を解き放ち、扇状に前方の空間をエネルギーで切り裂いた。背後に裏拳を放ち、回り込んだ深輝を牽制する。
深輝の背後から無数の光弾が放たれ、光はそれを一瞬で全て掻き消した。オーバー・ロードによって増幅された、力場破壊で深輝の力を打ち消す。
深輝の放った蹴りを、光は掌で足首を受け止めて押さえ込んだ。そのまま脇に足を抱え込み、強引に捻る。深輝は捻られた足と同じ方向に身体を回転させながら、もう一方の足を光へと向けた。光の手刀が深輝の足を両断した。膝の下辺りから足が離れ、宙を舞う。赤い血しぶきを撒き散らし、足が地面に落ちる。
その間に、光は抱え込んだ足を引き千切っていた。足を抱えたまま、深輝の下腹部に蹴りを放つ。同時に、抱え込んだ足を捻る。蹴りを防ごうと手を伸ばす深輝へ、光は足先から閃光を放つ。深輝の両手が閃光の膜を作り出し、光の攻撃を防いだ。だが、その直後には膜に光の蹴りが突き刺さる。オーバー・ロードによって引き出されている力を、オーバー・ロードによって増幅させた力場破壊とエネルギーで貫く。腹に突き刺さった蹴りに、深輝の身体が吹き飛ぶ。光が掴んで放さなかった足だけを残して。
股関節の辺りから足が千切れ、夥しい量の鮮血が飛び散る。
光は足を投げ捨て、吹き飛ぶ深輝へと駆け出していた。
深輝の放つ閃光や光弾は、力場破壊で全て潰した。エネルギーを剣状にして振るう深輝へ、光は大きく引いていた右手を突き出した。光の手は純白の輝きに覆われていた。
深輝の剣を掻き消し、彼女の防護膜すらも消滅させる。そして、純白の輝きは一瞬にして蒼に染まる。
光の拳は、そのまま深輝の胸を貫いた。
「本当に、大きくなったわね……」
深輝は最後に、そう囁いて微笑んだ。
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