ライト・ブリンガー 蒼光 第四部 第二章

第二章 「失われる平穏」

 八月の下旬。長野では夏休みが終わり、既に学校が始まっている。
 机に左手で頬杖をつき、火蒼光(かそうひかる)は黒板の文字を眺めていた。白いチョークで書かれた数式を見て、小さく溜め息をつく。
「どうすっかな、これから」
 声に出さず、口の中で言葉を転がす。
 兄、晃(あきら)が家を出て一ヶ月が経った。
 夏休みの間、光は今後のことについて考え続けていた。このまま、普通の生活を続けていては目的を達成できない。今の生活を捨てずに目的を達成するのは難しい。
 VANを潰す。
 光の目的はそれだ。
 生活を見出し、家族を掻き回し、身近な存在を奪っていったVANと、光は戦う決意をした。そのためにどうすればいいか、親友とも話し合いを続けている。
 目の前の座席に座る、親友・矢崎修(やざきしゅう)の背中を見る。光とは親友であると同時に、共に戦う仲間でもある。
 彼の力を使えば、今の生活を続けながらVANと戦うことは不可能ではない。だが、それでは修の負担が大き過ぎる。同時に、隠し切れない傷を負った場合や、精神的に消耗し過ぎた場合には登校ができなくなる。
 戦うことを選んだのだから、中途半端に二重生活をするわけにはいかない。
 だが、今の生活を捨てたくないと思うのも事実だった。戦いの世界、命の遣り取りをする世界へと足を踏み入れた光には、平穏な生活は何ものにも代えがたい時間なのだから。
 加えて、光が取り戻したい理想の生活でもある。
 家族に能力者であることが知られてから一ヶ月が経った。晃のいない生活に、家族は慣れつつある。家族は晃が戻ってくることを信じ、願っている。だが、光の心の中には不安があった。
 このまま、晃が敵になったら。
 光は、晃を殺さなければならない。光が自分の信念を貫いて戦う限り、誰が相手でも立ち止まることはできない。それが、血を分けた兄弟であっても。
 抵抗感がないといえば嘘になる。だが、それでも光は晃と戦うだろう。敵として、VANの構成員として光の前に立ち塞がるのであれば、戦う以外に道はない。光はVANを敵と認識したのだから。
 もっとも、戦っている最中に晃が心変わりしてくれれば丸く収まるかもしれないが。
 どの道、このままの生活ではVANを潰すのは難しい。本格的にVANと戦うのなら、学校を辞めて戦うことに集中するべきだ。学校に通い続けていたら、生徒も戦いに巻き込みかねない。
(やっぱり、辞めなきゃ駄目か……)
 溜め息を漏らし、首を動かして窓の外へ視線を向ける。
 青く、晴れた空がある。緩やかに白い雲が流れ、平穏な時間をゆったりと刻んでいるように見えた。暑い教室の中を、風が通り抜けていく。
 と、窓の外に一斉に線が走った。窓一つ一つに対し、一本ずつの割合で、黒いロープが垂れ下がる。ゆらりと、ロープが後方へと揺れ、一気に窓へと近付いてくるのが見えた。
「――修っ!」
 光が立ち上がって叫ぶのと、黒い影が教室に飛び込んでくるのは同時だった。
 窓ガラスが一斉に砕け散り、教室内に悲鳴が響き渡る。窓際の生徒が突入してきた黒い人影たちに吹き飛ばされ、教室内の机を押し倒していく。突然のことに他の生徒は席を倒し、廊下側へと固まった。中には既に廊下へと飛び出して逃げようとしている者もいた。
 教師の顔が凍り付き、生徒達は恐怖に顔を引き攣らせながら悲鳴をあげる。
 押し倒された机の上に広げられたノートや筆記用具がぶちまけられる。
 教室の中央近くにいるのは、光と修だけだった。
「VAN……!」
 クラスメイトの留学生、シェルリア・ローエンベルガが目を丸くしながら呟いた。綺麗な金髪は背の半ば辺りで切り揃えられ、整った顔立ちを青い瞳が飾っている。
 彼女も、光の協力者だ。
「……くっ」
 小さな呻き声。クラスメイトの紅霞(くれないかすみ)だ。腰まで届く艶やかな黒髪に鋭い双眸を持つ、引き締まった身体の少女だ。
 彼女はROVという、反VAN組織に身を置いている。この場でVANの者達に対抗して戦うべきか、迷ったのだろう。ここで戦えば、霞が能力者だと知られてしまうから。
「どうする?」
「決まってんだろ」
 修の問いに、光はきっぱりと答えた。
 侵入者たちは地面に散らばった文房具やノートに構わず、辺りを一瞥する。教室の端にいない光と修を見て、彼らは目を細めた。
「少しでも、被害を減らす!」
 呟いて、光は具現力を解放する。
 蒼白い輝きが身を包み、身体能力と知覚能力を大幅に引き上げる。
 もはや、被害を出さないというのは不可能だ。ならば、少しでも大勢の生徒を助けるしかない。たとえ、光たちが能力者であるとバレても。
「考えるのは後、だな」
 修も光に頷いて、力を解放した。闇色の輝きが修の身体を包む。
「狙いは、私たちでしょうしね」
 シェルリアも力を解放する。瞳が黒に変化し、敵を見つめる。
 光たちの変化に、周りの生徒たちが息を呑んだ。彼らに振り返らず、光は床を蹴った。
 床、椅子、机と小刻みに足場を蹴って、光は侵入者たちの中央へと飛び込んだ。VANの構成員たちが動く。目の前の三人が光へと駆け出し、他の者達は光の隣を通り過ぎていく。
 着地と同時に両手を左右に開くように振るい、接近してきた三人を纏めて吹き飛ばした。放たれた蒼白い閃光の帯が侵入者たちの上半身と下半身を分断する。
 鮮血を撒き散らしながら崩れ落ちる侵入者たちを見て、生徒たちが悲鳴をあげた。
 振り返った光の耳に、窓ガラスが割れる音が響いた。廊下の方からだ。
「修っ! シェルリアっ!」
 仲間の名を呼んで、光は駆け出した。
 部屋の中にいた残りの侵入者を、シェルリアが体術で退ける。そこへ光が閃光を撃ち込んで息の根を止めた。血しぶきが教室に飛び散る。
 腰を抜かし、恐怖に震えるクラスメイトたちに目もくれず、光は廊下に飛び出した。
「くそっ、どれだけの人数がいるんだ!」
 毒づいて、光は周囲を見回した。廊下の窓は半分以上が砕けていた。
 恐らく、あらゆる窓からVANの能力者が侵入してきたのだろう。廊下は逃げ惑う生徒と、VANのスーツを着た者達がいる。VANの能力者たちは無差別に力を振るい、校内は混乱していた。
 巻き込まれた生徒も何人か見えた。片腕を失い、のた打ち回る者や、片足を失って床を転がっている者、頭を吹き飛ばされて絶命した者。地獄のような状況だった。
「修、どうにかできないか!」
 隣に立った修に、光は問う。
 校内には相当な数の能力者がいる。光には多数の力場が感知できていた。他の階や、別の棟、校舎内の至る所に能力者の気配がある。
「外に出すとしたら、全員になっちまうぞ」
 言いながらも、修は力場を展開させていた。
「障害物が多過ぎる、その方がいい!」
 光の言葉に頷いて、修は自身の力を発動させる。
 修の持つ力は、空間破壊能力だ。文字通り、空間を破壊する特殊型の具現力である。力場を張り巡らせた任意の空間を破壊することで、別の空間に繋げることができる力だ。厳密には、力場を張った場所から目的地までの空間を破壊しているわけだが。
 その力を、修は校舎の床に張り巡らせていた。
 満遍なく張り巡らされた力場が空間を壊し、校舎内にいた人間全員を校庭へと転送する。床が抜けたように足場が消失し、一瞬の浮遊感と共に校庭に着地する。
 校舎内にいた人間全てが校庭に放り出される。机や椅子なども多少含まれていたが、校舎内の人間が転送できたなら問題はない。
 生徒や教師たちは突然のことに目を丸くしているばかりだ。だが、直ぐに状況を把握して恐怖に表情を歪める。
 修は全員を校庭の一箇所に集めていた。その中から能力者だけを再度転送し、一般人から距離を取らせる。
「よし、後は任せろ。行くぞ、シェルリア!」
「ええ!」
 光が飛び出し、シェルリアが続いた。
 修は流れ弾が一般人に届かぬように防御に回らせる。力場をかなり広範囲に張ったため、消耗が一番大きいのは修だ。光やシェルリアが仕留め損ねた敵は修に任せることにした。その方が負担は少ない。
 光は両手に閃光を纏わせ、能力者たちの中へ突撃する。
 その途中、シェルリアが光へ手を伸ばした。光はシェルリアが作り出した力場に光弾を撃ち込む。刹那、シェルリアの防護膜が光と同じ蒼白い輝きに変化した。
 彼女の力は吸収適応能力だ。自分の力場に受けた相手の力場をコピーし、使役できる。持てる力は一種類のみで、力を閉ざすとコピーした効果は消える。また同じ能力を使うためには力を解放し直して再度コピーしなければならない。面倒ではあるが、中々に強力な力だ。
 光とシェルリアへ、攻撃が集中する。幾筋もの閃光が放たれ、光は大きく跳躍した。
 直後、光とVAN構成員たちの間に力場が発生し、空間が歪む。歪んだ空間に触れた閃光は向きを変え、放った能力者たちへと返っていく。構成員たちは目を見開き、回避運動に移る。だが、彼らが動いた瞬間、空間が揺らめき、能力者たちは望んでいない場所へと移動していた。
 自らが放った攻撃を、回避できない位置に。
 どうにか防御が間に合ったのが半数以上だったが、それ以外は自ら放った攻撃に身体を貫かれて命を落とした。中には致命傷を避けた者もいるようだが。
「この力は……!」
 光は誰の力なのか、知っていた。
「時が来たらしい。加勢する」
 直ぐ傍で声が聞こえた。
 空中にいる光の傍で空間が揺らぎ、一人の青年が姿を現した。
「先輩……!」
 朧聖一(おぼろせいいち)、光と同じ風紀委員に属していた先輩だ。長めの前髪に端整な顔立ちの、落ち着いた雰囲気を持つ青年。だが、彼もまた能力者だった。空間歪曲能力を持ち、VANとその反対勢力それぞれの間を行き来する情報仲介により、中立の立場を得ていた人物である。
「攻撃を放て。俺が誘導する」
 聖一の言葉に頷き、光は右掌を前方へ突き出した。
 着地した瞬間、目の前の空間が揺らぐ。聖一の力場が働いていることを感じ取ってから、光は蒼白い閃光を放った。
 蒼白い光は歪められた空間の中を通り、聖一の任意によって進行方向を変える。まるで、可視光線を鏡で反射していくように、一筋の閃光が校庭を縦横無尽に突き抜けた。多くの能力者を貫き、致命傷を与えて。
「凄い……!」
 シェルリアが呟いた。
 ほんの数秒の間に、敵の半数以上が戦闘不能となっていた。
 光自身、仲間との共闘がこれほどまでに戦局を動かすものだとは思っていなかった。今まで、何度かROVと肩を並べて戦ったことがあったし、修とも二人で戦い続けて来た。
 だが、そのほとんどは一対一の状況になっている。同時に、肩を並べた能力者は光よりも強い者ばかりだった。
 大勢の敵を前に、光を中心とした連携で戦う場面は全くといって良いほど無かった。今までの戦いでは、それぞれが自分の能力で敵を薙ぎ払うような状況が多かった。
 光の攻撃を聖一が誘導するといった連携はほとんど無かったのだ。
 相手に隊長クラスの能力者がいないことも関係している。ただ、それを踏まえてもこの短時間のうちに敵の半数以上を仕留められたのは光にも予想外だった。
 聖一は空間を歪めて身を隠し、敵を翻弄している。実質的な攻撃力に乏しい空間歪曲能力は、殲滅を目的とした戦闘には向かない。彼が優先しているのは敵の撹乱だ。
 ならば、光たちがすべきことは、攻撃のみ。光やシェルリアへの攻撃は全てが聖一によって逸らされている。
「先輩! 一箇所に集めて下さい!」
 光は叫んだ。
 両手両足の防護膜を厚くして、光は駆け出す。輝きの増した足は脚力を高め、瞬発力を向上させる。
 聖一は歪曲空間で敵を呑み込み、構成員たちを一箇所に集めた。そして、歪曲空間の檻を解除する。
 光は細く息を吐き出し、敵の中央へと飛び込んだ。シェルリアが続く。
 正面に捉えた男の顔面を左足で蹴り飛ばし、身体を独楽のように捻り、隣にいた女の首を右足で刎ねる。着地と同時に左右に拳を突き出し、閃光を炸裂させた。数人の敵が上半身を失って吹き飛ぶ。水平に両腕を薙ぎ払い、鞭のように閃光を繰り出した。閃光の鞭をかわした敵に、シェルリアが光弾を放ち、仕留める。
 後方へ飛び退いて距離を取ろうとする者たちを、聖一が空間歪曲で元の位置へと戻す。距離感を失い、体勢を崩す構成員へ光とシェルリアが光弾を連射した。
 全身に何発もの光弾を浴びて吹き飛び、敵が絶命していく。
 血の雨が降っているかのようだった。
 噎せかえるような血の臭いが周囲にぶちまけられる。血しぶきが飛び散り、校庭の地面に染み込んでいく。光は能力特性のために防護膜のエネルギー量が多く、返り血は蒸発してしまう。光の力をコピーして使っているシェルリアも同じように返り血は張り付いていない。だが、聖一は身体に返り血を浴びながら戦っていた。空間型は防護膜が薄いのかもしれない。
「終わった、かな……」
 少しだけ乱れた息を吐き、光は呟いた。
 グラウンドに残されたのは、夥しい量の血痕と人間の身体の一部だった。血溜まりはグラウンドの土と交じり合って赤黒い泥のようになっている。転がった肉片や人体のパーツを見回して、光はシェルリアと視線を交わした。
「……お、おい」
 死体の後始末をしようと、足を踏み出した瞬間、声がかけられた。
 光たちは無言で声のした方へ振り返った。即ち、生徒たちへ。
 修の力で転送された生徒たちの中には、傷を負ったまま苦しんでいる者も少なくはなかった。戦闘の血しぶきが飛んだのか、顔や服に微量ながら赤い色が付いている者も多い。中には嘔吐している者もいた。
 ただ、全員に共通しているのは表情だろう。
「あんたら、何なんだよ……!」
 皆、恐怖や困惑を顔に浮かべている。
 当然の反応だ。
 光もそうだった。
 能力者を見た直後、覚醒した瞬間、自分の存在が信じられなくなった。得体の知れない恐怖に怯え、戸惑った。この世のものとは思えないとでも言うように、全てを否定したくなった。
 だが、全ては現実だ。薄れていても、現実感は確かにあった。
 誰も答えなかった。
 光も、修も、シェルリアも、聖一も、ただ、生徒たちを見つめ返す。答えなど、見ての通りなのだ。
 普通の人とは違う力を操る人間としか言いようがない。能力者、具現力、そんな言葉をここで説明しても、彼らには理解できないだろう。平常心を失った者たちに必要なのは落ち着くことだ。
 今の状況で弁解を試みても、光たちは殺人者にしか映らないだろう。
「あいつらは何なんだよ!」
 誰かが叫ぶ。
「……敵、かな」
 光はそう告げた。
 最も解り易い言い方を考えたら、それしかなかった。光にとっての敵であり、非能力者にとっても敵だ。
「光、家の方が心配だ」
 近くまで来ていた修が耳打ちした。
 学校にまでこんな大規模な襲撃を行ったのだ。VANは他に動いているかもしれない。光の家族も狙われている可能性がある。
 それに、修が住んでいるマンションには同居人がいる。二つ年下の、修の彼女、仲居有希(なかいゆき)がいる。夏休みの長さの関係で、彼女は修の部屋で留守番をしているのだ。
 同時に、彼女もまた能力者だった。戦闘能力は皆無に等しいが、治癒という稀有な力を持っている。VANに狙われている可能性は低くない。
 言葉を失い、ただ困惑する生徒たちに背を向け、光たちは歩き出した。
 刹那、力場の気配を感じた。生徒たちの方に、新たな能力者が現れたのが判った。
「――っ!」
 振り返った光の目の前に、一人の教師が飛び掛ってきた。
 攻撃が一瞬遅れた。このままでは敵の攻撃が先に光へ届いてしまう。
 だが、教師の額を紅の閃光が貫いた。教師の背後、生徒たちの中から、閃光は放たれていた。
 一瞬の間を置いて、生徒たちが一斉に後退った。綺麗に円を描いて、一人の少女だけが残される。
 光の腕が教師を吹き飛ばし、敵が消滅する。
「霞……!」
 残された少女を見て、光は目を丸くした。
 光たちが戦えば、敵の殲滅はさほど難しいものではない。
 霞は戦闘を光たちに任せて、自らの身分を隠すことを優先したようだ。光たちと違い、ROVという組織に身を置いている以上、霞が能力者だと悟られるのは避けた方がいい。
 それに、霞は能力者であるという事実を他者に知られることを極端に恐れている。彼女は自分が力を持っているが故に、周囲の人間を巻き込むことを恐れていた。かつて、力を暴走させて家族を失った過去もある。だから、彼女は他者を寄せ付けず、一人で生きようとしてきた。
 皆が言葉を失っていた。
 霞はゆっくりと歩み出た。振り返ることもなく、光の隣をすれ違い、去ろうとする。
 艶やかな黒髪を揺らし、無表情のまま、一度だけ光に視線を向ける。光は何も言えなかった。ただ、心配そうな視線を返すことしかできなかった。
「俺たちがいなくなれば、多分、もうあいつらは来ないと思う」
 生徒たちへ、光は告げた。
 恐らく、学校への襲撃は光たちを殺すためだろう。ならば、学校にいる能力者がいなくなれば襲撃する理由はなくなるはずだ。
 もしかしたら、霞は学校を守るために力を使ったのかもしれない。霞がROVの能力者であることはVANに知られていたはずだ。ならば、霞が生徒に紛れ込んでいる限り、VANが学校を狙う可能性は付き纏う。
 また、光たちがいない状態で学校が襲われたら、霞一人で対処しなければならない。能力者であることを隠しながら、一人で大勢の敵を相手にするのは困難だ。光たちと違い、霞は通常型の能力者だった。恐らく、具現力だけを見れば霞が一番戦闘能力が低い。
 学校をVANの攻撃対象から外すには、霞も高校を辞めるしかないだろう。
 もし、霞一人でVANの襲撃を退けることができたとしても、生徒たちへの被害は相当なものになるはずだ。光たちがいても、死者をゼロにはできなかったのだ。能力者であることを隠して敵を退けるとなると、多くの生徒が犠牲になる。
 だから、霞はあえて力を使って光を助けたのかもしれない。
「……な、なぁ、火蒼……」
 光を呼ぶ声に、霞が足を止めた。光と共に、声の方へと振り返る。
 一人の男子生徒が光たちを見つめていた。
 今まで、何度か光に突っ掛かって来た他のクラスの生徒だ。確か、松山だったか。
「もしかして、美咲さんは……」
「……あいつらに殺された」
 相手の言葉を遮って、光は告げた。
 かつて、光に告白した違うクラスの女子生徒がいた。彼女は光の力を知り、戸惑いながらも付き合いたいと言ってくれた。優しく、強い女性だった。
 クラスで一人であろうとし続けた霞にも話し掛けていた。霞がまともに会話できたのは、恐らく彼女だけなのだろう。だから、彼女が殺された時、霞は辛そうだった。
 しかし、光は彼女の想いに答えてやることができなかった。好きでいてくれた相手に対し、光は好意を寄せるまでには至らなかった。その前に、美咲は殺されてしまったのだから。
 光を精神的に揺さぶるために、彼女は狙われた。怒りに満たされた光を止めたのは、ROVのリーダーだった。オーバー・ロードまでして戦って、勝つことができなかった。
「……まさか、お前のせいで、美咲さんは……!」
 松山が光に詰め寄る。
 光は何も答えなかった。美咲の死は光が招いたものだ。否定はできないし、するつもりもない。
「何で、何でお前はここにいるんだよ!」
 光の胸倉を掴み、松山が叫ぶ。
 その瞳には涙が溢れていた。今まで抑え込んで来た感情が溢れ出したのだろう。力一杯、揺さぶりながら、松山は光を睨みつける。
 光は無言のまま、松山を見返した。揺さぶられるまま、少しだけ哀しげに。
「どうして、美咲さんが死んでも、平然としていられるんだ……!」
 松山が喚く。
 平然としていることを選んだのは光だ。光は今まで通りの平穏な生活を望んでいた。彼女は、光の言葉を肯定してくれた。だから、光は生き方を変えないと誓った。平穏な生活を求めて、大切なものを守るために力を振るう。
 そうすることが、美咲に報いることだと思ったから。
「どうして、普通に学校なんかに来てんだよ……!」
 松山は怒りや恨みの篭った視線を、光に叩き付ける。
「お前が……お前がいなければ――!」
 その言葉に、光は眉根を寄せた。
 振り払おうか考えた時だった。
「その辺にしておけ」
 聖一の手が松山の右腕を掴んでいた。
「先輩……?」
 光は驚いたように聖一を見上げた。
「もし、お前が光と同じ立場だったなら、同じ選択ができるのか?」
 聖一が告げた。静かな眼差しで松山を見下ろしている。
 遠巻きに光たちを見つめている生徒たちへ向けられた言葉のようにも聞こえた。
「何だと……?」
 松山が聖一を見上げる。
 言葉の意味が判らなかったのだろう。
「今のお前たちに、俺たちの気持ちは解らない」
「何を言って……」
 聖一の言葉に、松山が不可解そうに顔を顰める。
「あいつらが来たのは、お前らが原因なんだろ!」
 生徒たちの中で、誰かが叫んだ。
 それを皮切りに、各々が好き勝手に叫び始める。
「人殺し!」
「何で辞めなかった!」
「出て行け!」
 その多くは共通していた。
「待ってよ! ヒカルは色々考えて――」
 言葉を返そうと、光の隣にシェルリアが歩み出る。
「シェルリア」
 光はシェルリアの肩を掴んで、首を横に振った。
「でも……!」
「いずれ、辞めようとは思ってたから」
 光は苦笑いを浮かべ生徒たちに背を向けて歩き出した。
 シェルリアが不安げに光の表情を伺いながら追ってくる。修と聖一も続いた。やや遅れて、霞も歩き出す。
「さて、これからどうする?」
 学校の敷地外に出た後で、聖一が口を開いた。
 もう、光たちは学校には戻れない。今日限りで高校は中退だ。退学届けはまた別途に送付するとして、考えなければならないのは今からすべきことだ。
「状況確認とかが最優先、かな」
 光は修と目を合わせて答えた。
 VANの行動がどれだけの規模で行われたものなのか、第二波はあるのか、今回の攻撃がどう報道処理されるのか、他の場所でも起きているのか。確認すべきことは数多くある。
「私はこれで」
 それだけ言って霞は光たちに背を向けた。
 ROVの方へ行くのだろう。彼女は光たちの仲間ではなく、ROVのメンバーなのだから。
「先輩、情報収集は頼めますか?」
 光の言葉に、聖一は小さく頷いた。
「シェルリアは、俺ん家の様子を見てきてくれないか?」
「ええ、任せて」
「叔父さんたちも心配だし、学校のことも簡単にでいいから伝えておいて欲しいんだ」
 応じたシェルリアに光はそう付け加えた。
 光の保護者である孝二と香織がVANに狙われる可能性は低くない。孝二と香織には光が狙われていることも、彼ら自身が狙われる可能性があることも伝えている。狙われたとしても、一般人のようにパニックに陥るということはないだろう。
 だが、実際に能力者を前にして生き延びられる可能性は低い。もし、学校への襲撃以外にVANが動いているなら、光の保護者を狙って動いている可能性は少なからずある。
 シェルリアは元々、光を殺すために派遣されたVANのメンバーだ。故に、光の周囲の人間がいる場所を把握している。孝二と香織、それぞれの勤め先を知っているはずだ。
 だから、彼女に二人の護衛を頼んだ。同時に、学校で起きたことや退学する旨も伝えておいて欲しかった。
「セイイチ先輩、力を貸して頂けますか?」
 シェルリアはそう言うと、一度具現力を閉じ、また解放させてから聖一へ右手を差し出した。聖一は頷いて、シェルリアの手に自分の右手をかざす。
 次の瞬間、シェルリアが纏った黒い防護膜の色が僅かに変化する。聖一と同じ、黒に近い濃い紫色に。
「お前たちはどうするつもりだ?」
 聖一が問う。
「俺は修のマンションに向かいます」
「解った、情報を集めたらそこに向かおう」
 光の返答に聖一は頷き、空間を歪めて姿を消した。
「私はコウジさんたちの傍にいるわ。情報は後で教えてね」
 光が頷くのを確認して、シェルリアも姿を消す。
「よし、行こう」
 修が言い、力場を展開する。修と光、二人を包むように力場を展開し、具現力を発動、空間を破壊して目的の場所へと繋げた。
 転送先は修のマンションの玄関だった。
「有希っ!」
 着くなり、修は靴を脱いでリビングの方へと駆け出した。光もそれを追って修のマンションに上がった。
「え、修ちゃん?」
 リビングにいる有希は、修の持ち物だろうマンガを読みながら煎餅を齧っていた。
 一転して平和な光景を見た修がその場に座り込んだ。
「あ、光さんもいらっしゃい」
「え、う、うん……」
 微笑む有希に、光は苦笑するしかなかった。
 緊張の糸が切れたかのように、修はぐったりしている。余程彼女のことを心配していたのだろう。予想以上にくつろいでいる有希を見て心配したのが馬鹿らしくなったのかもしれない。
「まぁ、良かったじゃん?」
 修の肩に手を置いて、光は呟いた。
 こういう相手がいるのを素直に羨ましいと思う。
「何かあったんですか?」
「ま、まぁ、色々とね……」
 首を傾げる有希に、修は苦笑を返した。
「修、テレビつけるぞ?」
 言って、光はテレビのリモコンを手に取る。電源のボタンを押し、テレビをつけた。
 報道関係がどうなっているかの確認が目的だ。
 あれだけ大規模な襲撃だ。周囲の住民たちが気付かないはずがない。能力者の力で誤魔化したにしても、実際に戦闘が始まってからの様子は隠しようがなかったはずだ。力場を認識できる光の感覚でも、戦場を覆うような力場の存在は感知できなかった。ということは、あの場に力場はなかった。
 周囲の住民が見たら警察などに通報しているだろうし、そうなればメディアも動くはずだ。付近住民が動かずとも、実際に襲われた学校の関係者らが通報する可能性は高い。
 VANが報道を抑えている可能性もある。そうなったら頼れるのは聖一の情報収集能力だ。
 もし、テレビなどのメディアで情報が得られない時は聖一の情報を待つしかない。
 今の時間はまだ十二時前だ。ニュース番組は少ないだろうが、この場で得られる情報といえばメディアからのものしかなかった。
「本日、全世界で大規模なテロが相次いで起きています」
 テレビをつけた途端、聞こえてきた声に光と修の視線が画面に釘付けになった。
 夕方のニュースのような場所で、女性キャスターが次々に回ってくる紙面を読み上げていた。女性の前の机には紙が積まれている。慌しい感じが見ている側にも伝わってくるようだ。
「ただいま入った情報によりますと、日本国内においても合わせて百件近くにも上る襲撃事件が起きた模様です。時刻は、全て本日の午前十時頃とのことです」
 ニュースキャスターが文面を読み上げていく。
「世界規模……?」
「同時……?」
 光と修がそれぞれ呟いた。
「本日午前九時頃に全世界で流れた映像を再びお送りします」
 キャスターの言葉に続いて、画面が切り替わる。
 数秒の間、画面にノイズが走り、映像が表示された。画面には四人の男女が映っていた。
 二人が少女、一人が大人の女性、最後の一人は体格の良い男性だ。
 光は目を見開いた。
 少女の一人を、光は知っていた。画面の最も右端に立っている。
(――セルファ!)
 長い綺麗な金髪に、華奢な身体つきの少女だ。無表情で、その場に立っている。感情を押し殺しているのが、光には判った。
「あれ、こいつは……」
 修が眉根を寄せる。
 画面の左端には、セルファとは別に少女が立っている。大きな目に、亜麻色の髪は丁寧に結ってある。頭に着けているのはカチューシャだろうか。セルファとは対照的に、勝気な笑みを口元に浮かべている。服装も対照的だった。無地のワンピースを身に着けているセルファと違い、少女が着ているものはドレスに近い。胸は大きくないが、スタイルは良い。
 どこかのお嬢様といった印象だった。
 瞳が蛍光色に染まっている。能力者のようだ。
 その少女の隣、中央に近い位置に立つ女性はセルファに似ていた。どこか憂いを帯びて細められた視線と、感情の見えない無表情を浮かべている。思考を読むことが難しそうな相手だと感じた。
 そして、中央の演説台らしい場所に立つ男が最も目を引いた。
 絞り込まれた無駄のない身体には顔も含めて無数の傷が刻み込まれている。邪魔にならぬよう短く刈られた銀髪に、揺ぎ無い信念を湛えた瞳。その瞳も、身体も、黄金の輝きを帯びている。
(まさか、こいつが……?)
 光は息を呑んだ。一目で能力者だと解る。
 男の持つ威圧感は、録画映像だろうというのに薄れていない。
「私の名は、アグニア・ディアローゼ」
 言葉がゆっくりと紡がれた。日本語だった。全世界に向けられたものだとしたら、その国の言語に吹き替えられているのだろうか。
「能力者を束ねる者だ」
 確信する。
 この男は、光が倒さなければならない相手だ。大切なものを守るために、倒すべき敵だ。
「我々、VANは全世界に対し、要求する」
 アグニアの言葉で、全世界にも同様の映像が流れたのだと容易に推測できた。
「我らは、我々のための国を創り、独立する」
 アグニアの表情も、口調も、全く乱れない。
「全世界への要求は唯一つ。我々の邪魔をするな。それだけだ」
 淡々と告げているはずなのに、言葉には起伏がある。
「この放送は、彼女の力によって全世界に流されている」
 アグニアはそう言うと、右手を少女へと向けた。画面から見れば左側に立っている、お嬢様だ。
 紹介された少女はにっこりと微笑む。
「彼女の力は、電波の掌握。全世界に備蓄されている核兵器も、我々の前では戦力にはならない」
 電波を掌握することで、世界各国の核兵器は無効化されたも同然だ。核兵器の発射には厳重なセキュリティがかけられているが、それを強制的に遠隔操作できると言っているのと同じなのだから。今の時代、電子機器でほとんどのものが管理されている。無効化されてしまえば困るものが多い。
「全世界にいる虐げられし能力者たちよ、我らの下に集え!」
 アグニアの声が、強まった。
「我らは、能力者のための世界を創ることをここに宣言する!」
 力強い言葉と共に、画面はノイズに包まれた。
 光も修も呆然としていた。
「大きく出たな……」
 沈黙を破ったのは光だった。
 ニュースでは引き続き、被害情報が流れている。
 恐らく、潜伏していたVANの構成員が宣言に合わせて行動しているのだろう。テロとして報道されているものの中にはVANを知らずに日々を過ごして来た能力者が起こしたものもあるかもしれない。
「他のチャンネルは?」
 修の言葉に、光はリモコンのボタンを押す。
「能力者とは一体、何なんですか?」
 回したチャンネルでは、議論の場が放送されていた。恐らくはVANの宣言によって組まれた緊急特番という類のものだろう。学者らしい者が数人と、司会者かニュースキャスターかが向き合って言葉を交わしている。
「人であって人でない者、という認識が一番強いかもしれませんな」
「次」
 質問への回答を聞いて、修が言う。光はほとんど同時にチャンネルを変えていた。
「こちら現場です。既に襲撃者はいないようですが……」
 廃墟と化したビルの前で、レポーターがマイクを手に喋っている。
 能力者同士が戦った形跡が見て取れた。中心地であったビル周辺の建物にも無数の傷跡がついている。刃物や銃などでは付けられないような大きな傷だ。
 チャンネルを回す。
「凄い怖かったです。もう、何がなんだか……」
 現場を見ていた周辺住民へのインタビューだろうか。インタビューを受けた十人は全員が恐怖を顔に浮かべ、震えていた。
 更にチャンネルを回す。
「アメリカでは、政治家の数名の死亡が確認されており、中には精力的に活動していた……」
 海外との中継映像が出た。画面下部に表示された死亡した政治家の名前は以前から新聞などで何度か取り上げられたことのある名前が含まれている。それ以外にも、全く聞いたことのない名前もいくつかあった。
 チャンネルを変える。
「これが、敵か……」
 光は小さく呟いた。
 チャンネルを回して、VANという組織の大きさが見えてきた気がした。かなり大きな相手だ。全世界は確実に混乱しているだろう。こんな事態を引き起こせる組織を潰そうと考えているのだ。
 無謀にも思える。
「たった今、陸上自衛隊中部方面総監、仲居良一(なかいりょういち)氏が死亡したとの情報が入りました」
 流れた情報に、修の表情が凍り付く。
 有希の手から煎餅が落ちた。


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