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紫陽花の幻 なぎコミュ企画第三弾『紫陽花』

またこの季節がやってきてしまった。雨粒に晒され、涙を浮かべる紫陽花。この花を見ると、あの日の君の顔が浮かんでくる。

もう二度と戻れない。僕の人生の中で最高にして最悪な時。あの頃に戻れたなら、僕はどんな言葉をかけるだろうか?

いや、きっと同じことを繰り返すのだろう。だって、あの時のまま僕の時間は止まっているのだから。


ーーーーー

あれは今から2年前のこと。その日も雨がよく降っていた。

「全く、こう毎日雨続きだと嫌になるぜ」

歩くだけで靴がぐしょぐしょになる、その感覚が気持ち悪くていつも下を見ながら歩いてしまう。

だから俺は、一瞬気づけなかった。その少女が、傘もささずに楽しそうに駆け回っていることに。

誰かの影を感じながら通り過ぎた俺は、咲き誇る紫陽花に引き寄せられるように振り返った。

「妖精?」

少女が駆け回るその部分だけ、雨が自らよけているように見えた。少女の周りに跳ねる雨粒は、まるで雨音を奏でているようだ。演奏者の中で楽しく踊る少女。童話の世界にでも入り込んでしまったのかと思った。

少女はじっと見つめる俺にも気づかず、一人楽しそうに雨の音を楽しんで踊っていた。

やがて、少女はくるくると回りながら俺の近くにやってきた。故意ではないのだろう、ぶつかった俺を見て、少女は酷く驚いていた。

「誰?」

「えっ、えっと...俺は健吾だけど」

「ケンゴ、あたしはさなえよ!」

「あっ、ああ。えっと...何してたの?」

「ああ、ビックリしたよね。雨が好きなの。この、何もかも隠してくれる雨がね」

少女はさっきまでのあどけない表情とは違い、大人びた切ない表情をした。

少女は俺が思っているほど少女ではなかった。

「ケンゴは何してたの?」

「俺はただ、家に帰ろうとしてるだけだよ」

「そっか。それじゃあ、早く帰らないといけないね」

なぜそこで寂しそうに俯くのだろうか。少女は、先程までの楽しそうな笑顔はどこにもなく、消えてしまいそうな暗い表情を浮かべていた。

「特に急いでないから、話くらい...できるけど」

「そっか!良かったあ」

雨雲が消えるような、晴れやかな笑顔。俺は雨の中に太陽を見た気がした。

「紫陽花を見てるとさ、自分もここにいていいんだーって思うんだよね。雨が降っても、紫陽花があったら、今は仕方ないって思えるじゃない?」

少女の真意はわからなかったけど、なんとなくその意見には頷けた。

雨は嫌いだけど、紫陽花は好きだった。この花が咲くと、梅雨の季節だと知っているのに。毎年この花だけは、早く咲かないかと待ち望んでしまう。

「君は...」

言いかけて口を噤んだ。今出会ったばかりの俺に、教える必要などない。

その日は幾度か言葉を交わし、すぐに別れた。


それから、裾の色が変わるほど雨が降る日には、決まってさなえはそこにいた。そこだけが、雨上がりの虹がかかっているように輝いている。

二度目からは、さなえが俺を呼んでいるのかと思うほど、そこだけが鮮やかな色に見えた。

いつも、さなえはただ太陽のような笑顔を向けて、少女のようなあどけない顔で楽しそうに駆け回っていた。

君はなぜ傘もささずに、切ない表情をごまかすように、そこにいるの?

俺は会うたびにその言葉を浮かべては、奥歯で噛み締めていた。

俺は怖かった。口にしてしまえば、さなえがいなくなってしまうのではないかと。

だけど、俺は間違っていたんだ。

「ねえ、ケンゴ。ケンゴはいつもお家で何するの?」

「何って、大したことしないよ。家に帰ってゲームしたり、漫画読んだりかな」

「へー、お母さんとは何かするの?」

「あー、まあ食器洗い手伝わされたりするかな。まあ、時々飯食った後に一緒にテレビ観るときはあるけどな。なんか、唯一サスペンス観てる時だけ盛り上がるんだよ!」

俺はさなえと話せるのが嬉しくて、笑顔で言わなくてもいい話までしていた。最初は笑顔で聞いてくれていたさなえだったが、段々と表情が消えていた。

俺は土砂降りの雨にまぎれた、さなえの涙に気づけなかった。

「そっか、そうだよね。楽しそう!雨強くなったね。またね」

さなえはそう言って、いつものように別れた。俺は鬱陶しい雨のことばかり気にして、さなえの表情には気づけなかった。

さなえの心の雨には、何一つ気づいてやれなかった。

それから、さなえは二度と俺の前には現れなかった。紫陽花が咲き誇る雨の中、俺は何度もさなえを探した。

だけど、2年経った今もさなえを一度も見つけられていない。

本当に雨の妖精だったのか、紫陽花が見せた幻だったのかと考えたこともある。だが、さなえの見せた表情は生々しい人間のものだ。

俺がさなえの感情に目を向けていれば、怖がらずに踏み込んでいれば、今でもさなえは俺といてくれたのだろうか?

そんなことを考えながら、今日も降りしきる雨に目を細めながら、咲き誇る紫陽花の横を通り過ぎる。

いつかの幻が、いつかまた現実となる日を信じて。


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