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青春小説を読みたいあなたに! なぎコミュ企画第一段!テーマ『春の息吹』

「やめッ!……勝負あり!」
 白い旗が上がっている。個人戦、三分三本勝負。ベストフォー入りを賭けた三分間の激闘は、相手選手の小手有り一本勝ちで終わった。
「ありがとうございましたッ!」
 かくして、小坂朱乃の物語は幕を下ろしたのだった。
***
「先輩!三年間お疲れ様でした!」
「高校行っても剣道続けるんですか!?頑張ってください!」
 三月。世間一般には出会いと別れの季節と呼ばれる。総体でその挑戦を終えた朱乃はそれから真面目に勉学に励み、それなりの高校への進学を決めた。卒業式の後、後輩たちに囲まれた朱乃は押し付けられた花束に少し顔を埋めながら、後輩たち一人ひとりに笑顔を向けた。
「皆ありがとうね。あたしは今日で卒業だけど、まだあんた達は一年、二年あるんだし、気抜いちゃだめだからね。次はせめて県大会くらいは行ってくれないと」
 最後まで厳しい先輩の言葉に後輩たちは苦笑しながらも、既に次の一年へ向けて闘志は十分だった。朱乃はそんな後輩達の姿に満足し、その日は解散となった。
「……終わったなぁ」
 それから数十分後。荷物をまとめた朱乃は、校庭の隅に置かれたベンチに一人で腰かけていた。
 朱乃の高校は小高い丘の上にあり、学校の外側を置いて置かれたこのベンチからは町が一望できた。
 既に校庭に人はまばらで、ベンチの近くには誰もいなかった。お気に入りの場所から見える町は春の穏やかな陽光を乗せている。建物の凹凸が影を生み、微妙な色の変化はまるで繊細な技量を凝らして描かれた絵画のようだった。
「まだ居たのかよ」
 と、朱乃が感傷に浸っていると、突然声がした。首を縦に動かして背後を見やると、上下さかさまになった幼馴染の姿が目に映る。
「あ、蒼一。いたの」
「もう皆ほとんど帰ったぞ、まだこんなトコに居て、宴会に間に合うのか?」
「なんか名残惜しくてさ。どうせあんたもそうでしょ?」
「……まぁな」
「どうせ美術室だ。名残惜しいか、作品が持って帰りきれなくて途方に暮れてるか、どっちかだね」
「両方だ。俺に見つかったからには手伝ってもらおうか」
「よっしゃ任せなさい。剣道部随一の怪力見せちゃるわ」
 木出蒼一──、朱乃の幼馴染の美術部員だった。蒼一の言葉を受けた朱乃は鞄をやや乱暴に担ぎあげ、蒼一を伴って校内へ向かった。
 ***
「しかし随分長く校庭で騒いでたな。剣道部か?」
「そ、ウチのかわいい後輩たちです」
「長かったな。九年?ずいぶん頑張ったよな」
「あんたは最初の一年で放り出したけどね」
「言うなよ。もともと俺には向いてなかったんだ」
 蒼一が軽く笑いながら言う。蒼一もかつては朱乃と同じ剣道教室に通っていたが、朱乃とは違い絶望的なほどセンスがなく、一年もすればすっかり教室には来なくなっていた。
 その代わり蒼一は絵を描くようになり、中学校でも美術部に所属することになった。こっちではそれなりに実力を発揮したようで、記憶が正しければいくつか賞も取っていたはずだ。
「そういえばちゃんと聞いてなかったけど、どうだったんだよ、夏の総体」
「ダメだったねー、団体戦は三回戦負け、個人戦もベスト十六止まりだったよ」
「勝てただけまだマシだろ」
 微妙に笑いながら階段を昇る。三階にたどり着くと、いつものように突然美術室の扉が現れる。
「お邪魔しまーす」
 引き戸を引いて教室に入る。普段授業でしか入らない美術室は教室の照明だけでなく、窓から入ってくる日の光に照らされ、なにやら見たことのない道具がきらきらと輝いていた。
「あれ、誰もいないじゃん」
「薄情なもんで皆すぐ帰っちゃって俺だけだ、今は。じゃなきゃお前に頼んだりしねーよ。作品がどうなるかわかったもんじゃない」
「ちょっとそれどういう意味」
 蒼一は軽く笑うと道具を広げた席に戻り片付けを始め、朱乃は部屋に置かれた作品の目を通し始めた。片付ける前に作品鑑賞をすることにしたのだ。
 これは完成しているのか、それは後輩の作品だ、
 これは色使いがいいね、2年生の時展覧会に出した絵だ、
 この彫刻は色が塗られてないが未完成なのか、木の色を生かした作品なんだ、
 二人の会話は弾んでいく。思えば、中学校に上がってから話す機会が減って、こういう風に二人きりになるものずいぶん久しぶりな気がする。
「ねぇ、蒼一」
「どうした……って、それには触らないでくれ。自分で持って帰る」
 と、不意に朱乃が声を上げる。
 蒼一が振り返ると、朱乃が大きなキャンバスの前に立っていた。中学生の朱乃に取っては己の体躯にも近い程の大きさに見え、布が被せられている。
「完成しきらなかったんだ。どっかの展覧会に出すわけじゃなかったし、高校行ってからまた描こうと思ってる」
「へぇ?」
 朱乃がにやにやと笑いながら振り返る。
 いたずら心がくすぐられる。蒼一は昔から未完成の絵を見られるのを嫌うのだ。
「中間評価を下したいですなぁ」
「おいよせよ。マジでやめろ」
「いいじゃん、あんただってあたしの恥ずかしい戦績を聞いたんだし、おあいこだよおあいこ」
「待てって……!」
 瞬間、朱乃が布を思い切り引っ張る。
 キャンバスのベールが剥がれ、その下にある絵が露わになる。
「え」
 それは、一枚の剣士の絵だった。正確には、白い道着を纏い、使い込まれた防具を着用した剣道の選手が、竹刀を振り上げ必殺の一撃を放とうとしている、勢いのある絵。
「お前なぁ……」
 蒼一の溜息が聞こえる。
 胴の下、普通なら名前が刻まれている垂れの部分に刻まれた名は──、
「英雄」
 朱乃はそれきり黙ってしまった。布を手に持ったまま、黙って絵を見つめている。蒼一はそんな朱乃の様子に観念したのか、椅子を引いて座り込んだ。
 少し硬くなった光が教室に差している。窓に貼られた色紙を通し、二人の他に誰もいない世界に、技術もへったくれもない朱をぶちまけていく。
「……蒼一」
「なんだよ」
「……かっこいい、絵だね」
「まだ未完成だよ」
「動きがいい。すごく……迫力が、あって」
「……」
「名前、も……英雄……だって……いい……名前、で……」
 言葉が止まる。
「……ごめん」
「何が」
 朱乃が振り返る。
 その目には、溢れんばかりの涙が浮かんでいた。
「蒼一」
「ん」
 言葉を放る。少しの沈黙の後、もう一度口を開いた。
「悔しい」
「……」
「……悔しいよ」
 朱乃が俯く。涙がこぼれ、塗料や粘土で黒と茶色に汚れた床に落ち込んだ。
「九年……九年だよ?それだけ頑張って……一生懸命練習して……それで……それで、あれが最後だったのに……勝てなかった」
「……」
「これで終わっちゃうなんて……ないよ。あ、あたしの……九年って、そんなく……そんなくらいだった、の、かなぁ……?」
「……」
「ごめん……あたし、勝てなかった……英、雄に……なれ……なれ……」
「言うなよ」
 朱乃の言葉を蒼一が遮る。顔を上げると、蒼一の顔が目に映った。
「それはただの絵だよ。お前がどうこう思うことはないだろ」
 蒼一が立ち上がり、窓に手をかける。
「……それに」
 振り返る。視線がぶつかった。
「そいつはまだ、未完成なんだよ」
 窓を開く。そこに突然春一番の風が吹き込んだ。
 朱い光を放っていた窓は突然蒼い空を映し出し、そこから飛び込んできた風は朱乃の髪を揺らし、無限の色を持った光は朱乃を包み込んだ。
 世界に春が満ちる。
 始まりと終わり。
 終わりと出会い。
 出会いと別れ。
 そして、新たなる始まり。
 物語は、まだ始まったばかりだ。

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