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原作と映像化作品の違い

昔から、原作を読んでから映像化された作品を観ることに抵抗がありました。

当たり前の話ですが、原作で描かれているものが描かれていなかったり、オリジナル要素が入って自分の知っている作品と違っていたりするからです。

なので、原作で読んだものが映像化されたものを観ることはないのですが、その逆はあります!

「映像では描ききれなかった部分を読みたい」
「原作ではどうなの?」を知りたいからです。

7月初旬映画「かくしごと」を観てきました

あらすじは以下の通りです。


絵本作家の千紗子(杏)は、長年絶縁状態にあった父・孝蔵(奥田瑛二)が認知症を発症したため、渋々田舎に戻る。他人のような父親との同居に辟易する日々を送っていたある日、事故で記憶を失ってしまった少年(中須翔真)を助けた千紗子は彼の身体に虐待の痕を見つける。少年を守るため、千紗子は自分が母親だと嘘をつき、一緒に暮らし始めるのだった。 次第に心を通わせ、新しい家族のかたちを育んでいく三人。しかし、その幸せな生活は長くは続かなかった─。

公式サイトより

映画では、事故で記憶を失った少年の表情だったり、話し方だったりがフォーカスされていました。

この作品、最後が衝撃の事実で終わるお話なのですが、私は映画を観ている途中でその衝撃な事実に気づいてしまっていたのです・・・。

なので、映画のラストを観た私の感想は「えっ、ここで終わるの?」でした。ここから展開していく!と思ったら、その事実を告げられて終わってしまったのです。

「不完全燃焼!」

映画を観た時の私の感想は、この一言に尽きました。だって、ここからが見どころじゃないの?と思ったからです。

そして、私は原作でこの作品の良さを確かめたい!と思い、原作「嘘」を買いました。

映画と異なる魅力

・映画では描けない千紗子の心情とその変化がわかりやすく描かれている
・認知症の父孝蔵が千紗子をこれまでどのように思っていて、今どう思っているのかがわかる
・記憶を亡くした少年と千紗子が普通の親子のように育んでいく様子がわかる

もちろん、映画は2時間の尺ですから心情をじっくり追いかけることは難しいと思います。それに、小説では主人公千紗子の心情を言葉にできても、映画ではそのシーンの表情だったり言葉だったりでしか伝えられませんから、仕方のないことでしょう。

ですが、映画から端折られた部分を小説で読むと、千紗子に対する印象は大きく変わりました。映画の時に思っていた人と違う部分が多くて、どこの部分をどう伝えるかで、こんなにも人に抱く印象は変わるものなのかと思いました。

また、記憶をなくした少年についても映画では恐る恐る、控えめに?親子になっていっても、どことなく他人な気がしました。これは私の感じ方なのか故意なのかはわかりませんが。

小説では、割と序盤から「本当の親子じゃないのに、まるで本当に千紗子が産み育ててきた子供のようだ」と感じました。

小説だからこそ描けた結末

映画を見て真相は知っていたため、それの明かし方や過程を確かめるために原作を買いました。
「小説でも不完全燃焼なの?」という疑念が強かったです。

結論からいいます。
真相を知っているのに、小説のラストは鳥肌がたちました。

不完全燃焼にならなかったのは、尺の部分は大きいかもしれません。映画では、「その幸せは長くは続かなかった」とあらすじにある通り、ある事件が起こります。

その事件が起きて、千紗子が窮地に立たされて、そこで衝撃の事実がわかって終わります。

ですが、原作ではその事件があってもその後のストーリーが続き、最後はハッピーエンドな状態になってから、最後に衝撃の事実が判明します。

この構成の違いだけで、観た人への納得感は変わりますよね。

でも、仕方ないです。400ページの小説を2時間に収めようと思えばこのラストになるのは仕方ないことなのでしょう。ドラマだったら、残り数話で時間をかけて描くことはできるでしょうが・・・。

そう思うと、たった2時間の映画で物語を作り上げてしまうことがどれほどすごいことなのか、実感させられました!

結論

原作はラストを読んでしまったら、もう一度最初から読みたくなる作品です!

原作自体発売されたのは結構昔みたいですが、店頭で購入できたので「衝撃のラストって何?」「心情の描き方そんなにすごいの!」と思われた方はぜひ手にとってみてくださいね。

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