愛されていた
悲し過ぎて忘れてたけど、わたしはがるぅさんに大層愛されていたと思う。
わかりやすくベタベタしてくる子ではなかった。抱っこは大嫌いで、膝に乗るのは年イチあるかないか。
それなのに、いつもわたしの1~3mくらいの位置を陣取っていた。もしくは、わたしを自分の近くに呼びつけた。
おはようからおやすみまで、わたしと彼はいつもそばにいた。
朝は頭突きで起こすか、もしくは近くでわたしが起きるのを待っていた。起きたのを確認するとリビングにダッシュ。わたしはいの一番でカリカリを準備する。それが朝のルーティン。
冬限定だけど、わたしがリビングで寝転がると、毎日数回は必ず踏みに来た。肋骨をぎゅむっとやられると痛かったけど、フミフミはもちろんご褒美。彼が踏みたくなるように、わざわざフリースやブランケットにくるまって待機していた。
ごはんを食べるときは「なでろ」と呼びに来た。わたしにナデナデされながら喉を鳴らしてカリカリを食べる時間が、たぶんきっと、彼には至福だったと思う。(だから太ましかった説)
それから、比較的最近の習慣として、わたしを自分のテリトリーに閉じ込めるというのがあった。
呼ばれて行っても、少し食べるとすぐやめてしまって横に座る。終わったのならとPC前に戻るとまた呼ぶ。なでる。すぐ食べなくなる。離れると呼ぶ。
何度か繰り返して気がついた。あ、離れちゃだめなんですね? 食べてなくてもごはんエリアにいろと? もしかして、お腹空いてないのに食べる素振りしてた?
それ以来、リビングでだらけるのと仕事するのが難しくなった。彼のそばを離れるとすぐに呼びにくるから。
呼ばれたらごはんエリアでナデナデ。それが終わったら、彼の気が済むまでそこで待機。「何をしているか」ではなく「そこにいる」ことが重要らしく、スマホに夢中だろうがノーパソで仕事していようが許される。真横には彼が転がってる。満足そう。
逝ってしまう当日までそうだった。横で転がってるがるぅさんの呼吸がおかしいのに気づいて動画を撮ったんだから。
あの日を最後に、わたしはリビングで寝転がり放題だし、仕事の邪魔もされない。それが寂しい。
最近ますます甘えん坊になった後輩猫もわたしのことが大好きだ。こっちはわかりやすくベタベタしてくるので明確。でも、がるぅさんもそうだったのだ。ちょっとわかりにくかっただけで。
その事実を改めてかみしめて泣きそうになる。
わたしたちはそういうところが似ていた。点で接するような距離感で、いつも互いを視界に捉えながら、もっともっといっしょにいたかった。