スタンド・バイ・ミー

音楽をやっている身としては、その映画もさることながら主題歌のリフが最初に頭に浮かんでくる。
「スタンド・バイ・ミー」の原題は「死体」というのは有名な話だが、ホラーからヒューマンドラマまで手掛けるスティーブン=キング作品の中で、子供たちの未熟さと成長の一夏にスポットを当てた時、この「スタンド・バイ・ミー」というタイトルはとてもしっくりくる。

子供たちの冒険譚といえば「グーニーズ」のような明るくスリリングな作品が多いが、「スタンド・バイ・ミー」は少し暗い雰囲気で始まり、重苦しい余韻がある。
これはその重さをしっかり受け止められるよう、大人になってから観るべきだと思う。
子供が見るには退屈の一言で終わってしまうが、それは本当にもったいない。

線路を歩くシーンが最も有名なシーンだが、個人的に最も印象的なシーンは野宿をする子供たちのシーンである。
見張り番となった主人公ゴーディとリーダー格のクリスが語り合うシーンだ。
気弱で両親を含め周りから雑な扱いを受けているゴーディ、一方で強気で求心力もあるクリスの対比がありつつも、実はお互いの無い物ねだりにも似たリスペクトがあることを、等身大の感情でぶつけるシーンは強く胸を打った。
「グレンラガン」のカミナとシモンに似た立ち位置の二人だが、こういった「リーダー」と「フォロワー」の関係は綺麗に別れているものではなく、お互いの一側面でしかない。
その知らないもう一面を晒すという行為に、僕ら人間は何故か抵抗がある。
僕にも覚えはあるものの、それは彼らのように子供だったら言えたのだろうか。

そんな思い出を語る大人になったゴーディの姿で作品は終わる。
こういった思い出話形式は多く、「タイタニック」や「シザーハンズ」なんかがパッと思い浮かぶが、この思い出話形式が「絶対に必要だった演出」なのはどの作品よりも「スタンド・バイ・ミー」だ。
この演出が無ければ評価は半減するだろう。
大人になってから初めて気付く「子供だからできたこと」は、当時を振り返らなければ気付くことなく歳を取ると思う。
「子供」と「大人」の違いに憂い、或いは新たな強さへと昇華する様が僕にはとてもとても深く刺さる。
それは自分が思っていたより大人になれていなくて、思ったより子供でもない、永遠の思春期みたいな気持ちになるからだと考えている。
それは決して気分の良いものではないのだが、ゴーディのように今を懐かしむことで今を噛みしめられる。

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