天元突破グレンラガン

面白いアニメ、好きなアニメ、影響を受けたアニメ……これらを挙げればキリは無いが、一つだけ挙げるとするならば、僕は「グレンラガン」を挙げる。
「グレンラガン」を好きな作品に挙げる人は今でも一定数は必ず居て、今石監督の作品を語る上でもマストであり、アニメの必修科目と言っても決して過言ではないと思っている。

ロボットモノ、それもスパロボでいうスーパー系とかなり間口は狭いし、「キルラキル」なんかと比べても斬新なビジュアルを用いているワケでもないし、今石作品らしい中弛みもあれば作画崩壊もある。
物語だって突拍子も無ければ根性論精神論を振りかざして脳筋解決していく滑稽さもある。
しかし、その中には確かに「忘れそうになっていた何か」を感じて、沸き起こる感情の波がある。

物語は大まかに2部構成になっており、地底から地上を目指す前半、そして地上から宇宙まで超えていく後半、そのそれぞれに立ちはだかる敵や想いを主人公らがドリルで貫いていく。
やる気だ気合だ根性だで振り絞るエネルギーを作中で「螺旋力」と定義し、螺旋力を持つ種族=人間と、螺旋力を持たない種族=獣人に区分している(尤も後半はこの限りではない)。

この「螺旋力」と定義されたものこそ、現実を生きる我々の「忘れそうになっていた何か」だと思っている。
気合とか根性のパワーをエネルギーにしたものと言ってしまえば単純だ。
しかし、劇中を見れば分かる通り、ちょっと凄んだり叫んだところで反応しない時は反応しない。
「螺旋力」はもっと根本的なもの――「何かを為し得ようとするチカラ」「後先のことより、今したいことをするんだという意志」とか、そういうものだと僕は考えている。
これは人間が文明を発達させてきた理由であり、他の動物が本能しか持ち得ない理由であり、それは人間と獣人の関係性そのままだ。

現実世界を見てみると、「螺旋力」の無い人たちで溢れ返っているように見える。
自分で考えることもせず、理由をつけてやりたいことをやろうとせず、ただ生きているだけの案山子みたいな人がどこにでもいる。
例を挙げると、「年収1000万欲しいなぁ」なんて言う人はいくらでもいるが、そのために何か行動する人は勿論、行動しようとする人すら少ない。
どうせ無理だとか、今の稼ぎでも十分だとか、行動して成し得なかったら無駄だからとまで言う人もいるだろう。
行動したい気持ちが強ければ、行動しようとする。
行動しようとすればするほど、実際に行動するだろう。
そこまで行って初めて「年収1000万に手が届くのか?届かないのか?」という問題に当たるのだ。
早い話が、その気持ちを持っていない時点では届く届かないの問題はなく、「届かない」の1点なのだ。

……僕の説明、全然上手くなかったわ。
でも何となく感じて欲しいのは、「君がガキの頃、お絵描きしたいとか外で遊びたいとか思ったとき、どうしていた?今との違いは何だ?」ということである。

「グレンラガン」を語る上で欠かせないものがもう一つある。
みんなの兄貴、「カミナ」の存在だ。
僕にとってアニメの中でグレンラガンがそうであるように、カミナもまた僕にとって好きなキャラクターの中で選ぶ一人だ。

リーダーシップの形は複数種類存在する。
その数は学者によっても違うし、その時と場合でリーダーシップ足り得るかどうかも変わってくる。
その中で、カミナは多数のリーダーシップを使い分けている。
先ずはジーハ村でのリーダーシップ。
これはフォロワーシップに対し、地上に出るという「ビジョン」を共有し、チームの足並みを揃えるリーダーシップだ(シモンしかいないので分かりづらいか)。
次にグレン団としてのリーダーシップ。
戦闘やガンメンの乗っ取りを自ら進んで行い、手本となるリーダーシップだ。
更に強敵と戦う時のリーダーシップ。
俺達ならできる!勝てる!といったようにチームを鼓舞し、この人となら大丈夫と思わせる、言うなれば下から支えるリーダーシップになるだろう。
そして自分がフォロワーシップに回るリーダーシップ。
穴掘りに関してはシモンの方が優れていると能力を認め、任せる(=その領域に於いてリーダーに任命する)というリーダーシップで、この「他者を認め、任せる」ということは現実に出来ている人は少ない。
これは認める任せるということがハードルなだけではなく、その場で最適なリーダーは誰かを見極めるセンスと、他者に任せたところでチームの軸とか頭とかそういったものがブレないだけのカリスマがあってこそ成り立つものだと僕は思う。

このように、カミナは複数のリーダーシップを使い分けられるリーダーだ。
使っていない(というよりできるけど使わないだろう)リーダーシップは恐怖政治だけだ。
補足するが、恐怖政治も統率を取る上では立派なリーダーシップの一つであり、それは数々の歴史が証明している。
この「複数のリーダーシップを使い分けるリーダー」こそが僕の理想とするリーダーの在り方であり、僕がカミナを尊敬する理由だ。

カミナよりも随分と歳上になってしまったが、それでも僕は今もカミナの背中を追っている。
残念ながら僕にはカミナ程の器も無ければクチも回らずフィジカルでも勝てないが、それでも僕自身が信じる僕を信じている。
自分を信じると書いて「自信」だ。
シモンだけじゃない、誰もが見失ってはいけないものが「自信」というワケだ。

「自信」と「螺旋力」、精神論感情論の極みであるが、最も忘れちゃいけないもの。
それを教えてくれたのが「グレンラガン」という作品だ。

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