CLANNAD
「クラナドは人生」。
オタクならば一度は見聞きした言葉である。
僕が「CLANNAD」(以下「クラナド」)をアニメで履修したのは16だか17の頃で、続編である「CLANNAD 〜AFTER STORY〜」まで見終えた時の最初の感想は、「これが人生だと思うオタクは人生浅すぎるだろ」だった。
しかし、当時から更に何百何千という作品を履修して(何千は流石に盛ったか)、そして間もなく30を迎える僕は改めて過去の自分に言いたい。
「確かにクラナドは人生だった」と。
大枠の話からしよう。
「クラナド」は元々が恋愛アドベンチャーということもあって、基本的にティーンエイジャーの話だ。
しかし、同じティーンエイジャーの作品には無いものがある。
現代設定は学生だが、劇中ではキャラクター達の過去があって、そして卒業し、勤労、結婚・子育てと描かれている。
中高年をナメているワケではないが、最も多感な青春時代を中心に、人生において大きなターニングポイントとなるイベントは全て「クラナド」の中にあるのだ。
子供の巣立ちを始め、大きなドラマはその後の人生にもあるだろうが、その主体に自分はいなくなる。
自分が生きてここまで歩いて来たんだという実感は、多分そこまでなのではないだろうか。
勿論いくつになってもバリバリのイケイケの中高年はいるし、そういう若々しいオッサンオバサンに憧れる。
でも、大抵の場合は「子育ても終わったし、老後はのんびりしたいねぇ」なんて言うのではないか。
更には老後はやることがなくて急に心身が老けていくのではなかろうか。
尤も、そういうリアルな話をすると老後資金も無いし何歳まで働けばいいのやら……年金は貰えるのかしら……という夢の無い話になるが。
だからこそ、思い切り感情に揺さぶられ、葛藤し、決断を下し、自らの足で歩を進めなければならないイベントを包括して描いている「クラナド」は、人生を描いていると言えるのだと思う。
キャラクターを見ても人生と思うことがある。
元は恋愛アドベンチャーなので色々なヒロインと結ばれるルートはあるが、アニメで言えば主人公の岡崎は渚と結ばれる。
同じ10代の頃の僕は高専という特殊な環境にいたことも相まって、成人式で地元の友人らと再会するまで全く分からなかったのだが、都会でも何でもない普通な地域において、高卒で就職し、高校の時の彼女とそのまま結婚する――というパターンは最もありふれていたのだ。
大学進学率は上がっているとはいえ、僕の地元くらいの田舎レベルでもまだ高卒で地元へ就職するケースは多いようだ。
データでは見ていないが、再会した同級生を見渡す限りは。
岡崎のように知り合いや先輩の紹介で就職するケースも多いらしい。
これは自戒の意も含めるのだが、岡崎のような電気工事を初め、肉体労働という労働も決して「それしか仕事が選べないから」というものではないし、何種もの資格を働きながら取っていかなければならず、決してホワイトカラーの方が偉いとか勝ち組とかということは無い。
みんな大変な中で、仕事をしているのだ。
話が逸れてしまうので戻すが、そういった「よくあるケース」「誰もが楽には生活していない」といった意味でも、「クラナド」は人生だった。
全体的に淡くしっとりとしたストーリーだが、だーまえ渾身のギャグはしっかり挟み込まれていて、便座カバーのようなミームも含め、「クラナド」らしい笑いも楽しい。
一方で、イイハナシダナー(AA略)で終わっていた風子をギャグとして再登場させるなど少し興醒めした要素もある。
文字数がオーバーしてても推しの話は入れますよ(真顔)
杏が一番です。
でもエピソードがもっとあったら図書室の子になったかもしれない。