涼宮ハルヒの憂鬱

「涼宮ハルヒの憂鬱」(以下「ハルヒ」)が昨今のオタクカルチャーに与えた影響は凄まじく、どころか数学の未解決問題に迫ったりとオタクに留まらぬ注目を世界中から浴びた。
個人的には「新世紀エヴァンゲリオン」と並ぶ社会現象レベルと考えている。
感覚的なものではあるが。

原作はライトノベルで、その文体や主人公のキャラクター等、ラノベ界でも1つのターニングポイントとなっている。
しかし、僕が履修したと言えるものはアニメなので、ここではアニメ版を取り扱う。
アニメ版も更に06年版と09年版に分けられるのだが、劇場版「涼宮ハルヒの消失」や各スピンオフのみ別として、TVシリーズは一緒くたで話を進めたい。
一緒くたにしても1記事1,000字目安としているこの記事では余りあるので、アニメ版「ハルヒ」といえばコレという2つのエピソードに絞って語りたい。
じゃあ06年版がとか劇場版がとか言わず最初からそう言えや、とセルフツッコミを入れておく。
このマガジンはノリと思いつきで書いているのだ。

当然ながら先ず挙げるエピソードは「エンドレスエイト」である。
最も「ハルヒ」を象徴していると言っても過言ではなく、今更説明するまでもないが、タイムリープしている時間を8話連続で繰り返し放送したという後にも先にもないエピソードだ。
再放送ではなく、スタッフも違えば微妙に内容も違うという拘りようだ。
当時は賛否両論が沸き起こり、今尚その結論にはオタクたちの不毛な争いを伴うのだが、僕個人としては手放しで絶賛したい。
タイムリープとそこに生じる微かな違和感が確信へと変わり、脱出を試みるという表現において、やはり最適解だと思うのだ。
同じラノベ原作の「オール・ユー・ニード・イズ・キル」もタイムリープを繰り返しながら1つの道を探りゆくのだが、映画の尺ではやはり流れがアッサリしすぎていて、じわりとくる緊迫感や焦燥感が無い。
そして何より、こうして今も語り草となるのがコンテンツという寿命あるものを長く生き長らえさせるのだから、リアタイ勢が血涙を流そうともこれで良かったのだと思う。
コンテンツのサイクルが短い令和の今やろうと思っても出来ない表現であることも価値を高めていると思っているし、そんな表現を「OKよしやろう」と決行できるだけの創作に対する情熱が出資側にもあったということにも、一クリエイターとして胸が熱くなる。

もう1つ、「ハルヒ」といえばアニソン史に残る名曲中の名曲「God knows…」が挿入される「激奏」も音楽をやっている身としては外せないし、外したくない。
記事執筆時は「ガールズバンドクライ」や「Bang Dream! it's My GO!!!」、少し前には「SHOW BY ROCK!!」といったバンドを扱ったアニメが出てきた。
しかし、全て3Dモデルを使ってアニメ調にレンダリングしているもので、それはそれで技術進歩も毎度感心するし、リアルで細かい描写や豪快なカメラワークはそれならではの魅力があるものの、やはりどこか寂しさも感じるところがあるのがオタクの心だ。
「ハルヒ」のライブシーンは手描きの崩れがありながらもむしろ丁度よい「味」になっており、その驚くべき京アニの実力が遺憾なく発揮された超絶作画は、多分もう世界のどこで何年待ったとしても超えることのできないものだ。
バンドが主題のアニメでは無いが、バンドとアニメの話となればこれからも必ず語られることだろう。
「God knows…」という楽曲自体もその特徴的な速弾きのリフフレーズが1つのベンチマークとして世のギタリスト達に愛され続けている。
尤も僕は「Lost my music」派なのだが、それもまたどっち派かで話に華が咲く。

因みに「God knows…」も「Lost my music」もドラムが全部センターに置かれている。
ギターもダブルも何もなく片側1本ずつで振られていて、実は楽曲単体で聴くと変な音像をしている。
これも劇中のライブシーンが学校の体育祭で軽音部だから、と考えると豪華なマイキングではないことやライブの一発感を出すため……と考えると、作品に対する解像度と追求の情熱に感心しかない。


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