滅相も無い
最終回まで観て、うわぁやっぱり意味がわからない、と思ってしまった。けれど、レビューをみて、さらにこのnote https://note.com/shapemoon/n/nb926dd2566bdをみたらすごく腑に落ちた。
各回での感想が今鮮明になった。今まで生きてきて、穴に入る(=死?)っていう前なのに、それしか語れないんだ、ということ。それが意味のわからなさ、腑に落ちなさの正体なのかな。
堤さんが言っていたように、人って虚構しか語れない。言葉って便利そうで不便なもの。言葉がすべてじゃない。だから想像というところにも焦点が当たっていて、言葉の不十分さ、複雑さ、不確かさを醸し出していたのかな。同時に人生の複雑さ、他人が他人のことを理解するのって難しいんだな、というところ。
そしてクリープハイプの『喉仏』。ドラマを完全再現するでもなく、完全に離すでもなく、とても良かった!!便利そうで不便な言葉をなんとか駆使して、人に伝えようと、いや時には嘘偽りを言おうとペラペラ喋りながら生きている。そんなふうに考えると、なんとも面白い世界に生きているな、と感じた。そして、反面、分かり合える(勝手にそう感じているだけかもしれないが)というのも人間。不十分な中で分かり合えるというのは、奇跡みたいなことだと思う。分かり合えてる人は離してはいけないんだと思う。
滅相、って仏教用語なんだなぁ。それをブッダ、とか、喉「仏」っていう仏教用語も関連させているのもおもしろい。だが決して用語を多用して連ねるだけではないことも好き。難しい言葉を使わなくて伝えられること、さらには直接明言せずニュアンスを伝えられるのってすごいと思うし、「喉仏」も「滅相も無い」もそういう作品だったと思う。そういう人になりたい。
そして、こういうふうに解釈(=一定の答えを求めたがる)をしたがるのも人間だって改めて気付かされる作品。
でも、他人が語っていることの真偽は全くわからないし、同じ想像ができているか、客観的に同じものを共有できているかもわからない。
わかりたい、と思うけれど、分かることができるかはわからない。そこを自分なりにでも分かろうとするのか、放り出すのか。正解はないけど、やっぱりなんとか分かろうとすること、大切だと思う。
意味がわからない、っていう感想が多かったのは、やっぱり人間にとって意味というものが大事だということを再確認した。面白かった。こういうのを真におもしろいっていうのかもしれない。