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ゆるゆる三十九糎考察

三十九糎って自殺を仄めかした曲とか言われてるじゃないですか。
上書き、うわがきで解釈変わったと思うんですよね。
解釈(妄想)ですが。
あと、タイトルにもつけてますが、ゆるゆるです。
ゆるゆるなので矛盾点があっても見逃してください。
なお、本考察内では、上書きにおいて「きみ」と呼称されている人物を男の子
あの可愛いお姉さんをいよわガールと呼称します。

先立つ幸せをお許しください
我が儘に遺す声を聞いてください
桜の花も失せた六月の菖蒲
そこにはもう私は居ないでしょう
先立つ幸せをお許しください
若さ故の恋の匙 掬ってください
泣いてる友達を慰める言葉
それすらもう声には出せないでしょう
先立つ幸せをお許しください
逃げ続けたことをただ叱ってください
この世に生まれ落ちて救われることは
救われたと伝えることなのでしょう
遠い街に行きます
先に降ります
離れていく光に手を振って背を向けます
今日 午後の旅路に傘が要るから
お別かれに意味があったなんて思ったんです
先立つ幸せをお許しください
見上げた高望みだと嗤ってください
夕立が紡ぎ上げた空蝉の中で
心奪われたのよ可笑しいでしょう
幸福を祈ります
側に居ります
流れて行く季節に目をはって絵を描きます
十日後の陽だまり
誰かいるなら
きっと確かにそのひとひらを担ったんです
やがて全部砂に還って
あらゆる奇跡のかけらを残せなくてもいいよ
記憶も忘却もあなたの特権だから
やがて光に導かれ
いつか星まで手が届く
共に灰になる曲を書きます
まっすぐ伸びる高い声を辿って
会いに来ます
三十九糎四方の小窓に
きっと長い髪が垂れてきてくすぐったいんです

三十九糎

この曲は男の子側の心の声といよわガールの心の声が混じっているのかなと。
泣いてる友達があのいよわガールで
男の子は、泣いてる友達を慰める、我が儘に残す声を聞いて欲しいが、それすらもう声には出せないでしょうということではないかと解釈しています。
なぜそう考えたかというと
「先立つ幸せをお許しください」というのは普通は遺書に書く言葉です。(先立つ不孝をお許しください)
普通は文として遺すはずなんですよ。
なのにも関わらず、我が儘に遺すとして表現しているのは
遺書を遺す暇もない突発的な出来事だったから。
また、先立つ”幸せ”と死ぬにも関わらず幸せと言っているのは、本来の時間軸だと聴けるはずのない曲を死ぬ間際に聴けたから。
だと解釈しています。
つまり、この曲から読み取れることが何なのかというと
男の子は本来聴けることのない曲を聴けて幸せだと思っており、いよわガールに対して救われたと伝えたい。いよわガールを救いたいと考えているのです。

また、この曲は初音ミクといよわガールのダブルミーニングな歌詞が多いです。
今回の考察においては、先程の仮説が正しいならどう捉えられるかという点を軸に解釈します。
以下は歌詞考察です。

「桜の花も失せた六月の菖蒲」というのは
桜が新学期(まだパジャリコが会えた頃、これを上書きの二人になぞらえている)
6月の菖蒲が新学期の3ヶ月後でもう会えなくなってしまった様。
その結果男の子はいなくなる。
(「そこにはもう私は居ないでしょう」は男の子の心の声)

「若さ故の恋の匙 掬ってください」
掬うという動詞は上書きの方にも出てきます。
「上書きする技術ができたの。過去の、両手で掬えるくらいの
質量ぶんのものを。」
ここでの掬うは”上書きする”という意味の動詞であると仮定します。
そして、ここで大事なのは匙でしょう。
匙といえば匙加減といった慣用句が思い浮かびます。
若さ故に恋心の匙加減を間違えてしまったと解釈すると、
上書きをしてまで男の子を救いたい理由がつくでしょう。

「この世に生まれ落ちて救われることは救われたと伝えることなのでしょう」
はこの解釈の重要な根拠となる歌詞です。
救われたと男の子は伝えたい。先立つのが幸せだと伝えたい。
そしてその言葉を聞いたいよわガールは救われる。(と男の子は思っている)
「この世に生まれ落ちる」というのは、男の子はもう死んでしまったのに、上書きによって過去に戻りその度に男の子が生き返ること。
もしくは、上書きで戻れる年数は明記されていないためいよわガールがこの世に生まれ落ちるところまで過去に戻っているということ。
と、解釈できます。

「遠い街に行きます」というのは
いよわお得意のメタファーでしょう。
さよジャの「人生急行」然りアプリコットの「切符の片割れ」然り。
上書きにおいては「このバスに乗らないで」ですね。
いよわは人生をバスや電車に見立て、死亡することを乗り物から降りることに喩えがちです。今回は対の曲が一千光年なので光が人生と作品に喩えられているんですね。(いよわ作品は1000年生きてるので)
離れていく光はダブルミーニングです。残されたいよわガール(≒いよわ)といよわの作品群を表しているのでしょう。
結局、この曲では男の子は先に降りてしまったので、死んだと解釈して構わないでしょう。


「今日 午後の旅路に傘が要るから
お別かれに意味があったなんて思ったんです」
「夕立が紡ぎ上げた空蝉の中で
心奪われたのよ可笑しいでしょう」

この歌詞の解釈は2つあります。
順に書きます。

1つ目の解釈はメタファーで考えるなら、です。
夕立は夏の午後に降る雨のことです。突然発生し、激しい雨を降らします。
空蝉というのは”この世”という意味があります。
ここでのメタファーは以下の通りです。
午後の旅路→男の子が亡くなってからのいよわガールの人生(歌詞に出てきた「光」)
傘→雨から身を守るために男の子から貰ったもの
夕立→人生で起きる辛く悲しい出来事
夕立の特徴として、降雨域の分布が局地的かつ散在的であるというものがあります。
これを捉えるのであれば社会的な不況などではなく、個々人に起きる不幸であると考えられるでしょう。それもとても激しいこと。
お別れに意味があったと思えるほどのもの(傘)をもらって
夕立が紡ぎ上げた、要は不幸な経験を幾度となく体験した。
空蝉(現世)の中で、男の子に心を奪われる。
それを可笑しいといよわガールが自分自身に言っている。
この説で解釈するのであれば、いよわガールは現実逃避的に過去へ上書きをしたと言えるでしょう。
もしくは不幸な経験から身を守ってくれた「傘」の恩返しをするために過去へ上書きをしている
とか。個人的には下の方がありそうだと思ってますよ。

ちなみにうわがきには「晴れても止まない雨に」という歌詞があります。
これは夕立がすぐに止むのに対比して晴れても止まないとしています。
不幸な経験の中でも特段悲しかったり、辛かったり、長期的な苦しみを感じたりした経験のことを指しているのでしょう。
まあここまで悲しんでいる様を見る限り、現実逃避ではない気がしますが、クソ考察は遺してナンボなので遺しておきます。

2つ目の解釈は、空蝉といえばの源氏物語でしょう。
光源氏を魅力的に思っており一夜を共にするが、人妻であるという罪悪感から光源氏とその後会うことはなく、光源氏に夜這いされた時には上着だけを残して蝉の抜け殻のように消え去っていったというエピソードが有名です。
それぞれこのように結び付けられます。
一夜→上書きで16年後の音楽を聴き、幸せだった瞬間
蝉の抜け殻→残された記憶
空蝉→男の子(どちらもいなくなってしまう)
光源氏→いよわガール(どちらも追い求めるも叶わない)
また、歌詞には「離れていく光に手を振って背を向けます」
「やがて光に導かれ、いつか星まで手が届く」
といよわガールを光に喩える表現が多いですが、
これは生き残ったいよわガールを”光”源氏に喩えているのです。

ちなみにうわがきには「鳴いても戻らない蝉」という歌詞があります。
説としては、
うわがきはラストなので、もう蝉の鳴いてた夏には戻れない(熱異常によって蝉すら鳴かない世界に)
またはあのころ鳴いていた蝉にはもう会えない
等があるのかな。
(あたかも自分が書いたみたいに語っていますが、この2つの説は極ボッチくん提供です。いつも感謝してます…)


「三十九糎四方の小窓に
きっと長い髪が垂れてきてくすぐったいんです」
めちゃくちゃ上書きっぽくないですか?
男の子が入っている棺桶を見て泣いているいよわガールの姿が浮かびます。
いやぁ、くるものがありますね……
深い感動に包まれているので詳しくは語りません。
音楽の先に感動があれば考察はいらないと思いますよ。

で、これで終わりなんですが、自分的に納得いってない(というよりもまだ終わっていない)ので、これからこの記事に追記していく形で上書きしていきます。ここまで読んでくださってありがとうございました。

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