【COLUMN】罪悪感よりもポジティブなアクションを ―アメリカの人種とジェンダーをめぐる動向―
文・多賀太(WRCJ共同代表)
「批判的人種理論」への反対運動
アメリカで属性に基づく不平等や差別が語られる際に、ジェンダーと並んで、あるいはそれ以上に、真っ先に取り上げられるのが人種である。アメリカでは近年、学校教育における人種とジェンダーの扱いをめぐって、ある動きに注目が集まっている。「批判的人種理論」を教えることへの反対運動である。
批判的人種理論(Critical Race Theory)とは、1980年前後に、アメリカの法制度の批判的分析から導き出された考え方であり、一般には次のように理解されている。
すなわち、人種差別は個人の偏見といった目につきやすい要因だけでなく、社会的・制度的な見えにくい要因によっても生み出されており、一見中立的に見えるアメリカの法律や制度が、実は人種的に不公正な社会秩序を維持するよう機能している、という考え方である。
こうした批判的人種理論に基づく教育を禁止せよという運動が、一部の白人たちを中心にアメリカの各地に広がりつつある。
「白人であること」によって責められることへの反感
具体的な主張として聞かれるのは次のような声だ。人種を意識させる教育がかえって人種差別を助長する、すでに廃止された過去の人種差別を教えるな、低学年からは早すぎる、教える内容が極端すぎる、白人であることに罪悪感を覚えさせるな、といったものである。
“Black Lives Matter”のスローガンのもと、人種差別に反対する運動が盛んになるのに比例して、一部の白人たちの間で「白人であること」によって責められ自尊心を傷つけられているとの反感が高まりつつあるとされる。そうした白人たちの不安や不満が、批判的人種理論を教えることへの反対運動を支えているようだ。
興味深いのは、その争点はもともと人種だったにもかかわらず、以下に述べるように、そうした動きに連動あるいは便乗する形で、ジェンダーに関しても同様の主張が展開されている点だ。
人種差別と性差別を教えることの制限
そうしたなか、テネシー州議会は、2021年5月、批判的人種理論に基づく内容を教えた公立学校等に交付金を制限する法律の修正案を可決した。修正条項には15項目にわたる教育禁止項目が挙げられているが、以下にそのうち6項目を抜粋する。
ある人種や性別が優れていると教えること
ある人がその人の人種や性別を理由に「本質的に特権的、人種差別的、性差別的、抑圧的」であると教えること
ある人がその人の人種や性別を理由に非難されることを教えること
ある人がその人と同じ人種または性別の人々による過去の行為に責任を負うと教えること
ある人がその人の人種や性別を理由に不快感やその他の心理的苦痛を覚えることを教えること
人種、性別、宗教、信条、非暴力的な政治的党派、階級の間の分断や恨みを助長すること
「差別の責任を男性に背負わせるな」?
これらの禁止項目の記述から明らかなように、批判的人種理論への反対といいながら、この修正条項では人種と性別がほぼ同列に扱われている。これらを現在の社会状況に照らして性別に特化して噛み砕いて読めば、次のように読めるだろう。
すなわち、男性は生まれながらに特権を与えられていると教えるな、過去の男性が女性に対して行ってきた差別の責任を現在の男性に負わせるな、男性に性差別者あるいは性差別に基づく受益者として罪悪感を覚えさせるな、性差別を教えることで男女間の対立を煽るな、というものである。
人種差別反対運動に対する一部の白人たちのリアクションと同様、性差別解消に向けた様々な取り組みが広がるのを目の当たりにして、「男であること」によって責められ自尊心を傷つけられていると感じる男性たちの反感が、これらの禁止項目に反映されている様子がうかがえる。
もっとも、少なくともこの修正条項が可決された時点で、ここで禁止されているような内容が州内の学校で教えられたという明確な証拠は1つもなかったそうだ。
「暴力を振るわない男性が、代わりに罪の意識を感じる必要はない」
こうしたアメリカの動きをどう受け止めるかは、女性への暴力防止に向けたアクションを男性に呼びかけるというホワイトリボンキャンペーンのミッションにとっても極めて重要だ。
私自身、男性というジェンダーを生きる者として、性差別の問題に向き合う際、男性である自分が責められているように感じて居心地が悪くなるという気持ちは理解できる。
特に、女性に対する暴力が話題とされる場合、暴力を振るわない男性であっても「男性加害者vs女性加害者」という語りの構図に取り込まれて、男であるというだけで責められているように感じてしまう。だからこの手の話題にはなるべく関わりたくない。そう感じる男性も少なくない。実はかつての私もそうだった。
そのような私の認識を大きく変えるきっかけとなったのが、世界で初めてカナダでホワイトリボンキャンペーンを始めたマイケル・カウフマンが、2001年に日本で講演を行った際に語った次の一言だった。
この言葉でカウフマンが伝えたかったのは次のようなことだ。大半の男性は女性に暴力を振るわない。暴力を振るわない男性が暴力の加害者の罪を背負う必要はないのだ。
しかし、暴力を振るわない男性たちも、女性に対する暴力に対して沈黙し傍観者でいることにより、結果的に暴力の継続に加担してしまっている。人口の約半数を占める男性たちが、女性に対する暴力に沈黙するか反対の声を上げるかによって、事態は大きく変化するはずだ。
暴力を振るわない男性たちも、社会の一員として、女性に対する暴力に反対の声を上げる責任を負っている。男性たち自らがアクションを起こすことによって問題の解決に貢献できるのだ。
暴力を振るわない男性ができること
では具体的に何ができるのか。例えば、暴力に反対する声を上げ、暴力を許さない社会意識の形成に参加すること、被害の相談先や支援体制について知り被害者に情報を提供できるようになること、被害者支援や加害者更生に取り組む団体を応援したり財政的に支援したりすること、そして女性に対する暴力の実態やそれが生じる社会的背景について学び、学んだことを周りの人々に伝え広げていくことなどである。
最後に挙げた学びの過程においては、時として男性として居心地の悪さを感じることもあるだろう。しかし、今男性たちに求められているのは、男であることを恥じたり、そのことに罪悪感を覚えたりすることではないはずだ。女性が、男性が、そしてあらゆるジェンダーの人々が、暴力に怯えず安心・安全に暮らせる社会づくりに向けてできることを1つでも2つでもやっていくこと。そうしたポジティブなアクションこそが、今男性たちに求められているのではないだろうか。
“The Trials of Critical Race Theory,” CBS REPORTS, January 27, 2022.
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