お年玉こわい
饅頭やお茶的な意味でなくお年玉がこわい。
1999年生まれ22歳の僕は今年の正月に「今年で終わりね」という言葉とともにお年玉をいただくことが多かった。タダで頂戴していているものだから今年で終了することに勿論文句はないし、むしろ18や20で終了にならなかったことに感謝をするべきである。ありがとう。
おばあちゃんと叔父さんは今後もくれるらしい。ありがとう。
そしてその22歳までと告げた人たちは主に干支一周ぶんくらい年上の従兄弟×3たちである。祖父母と叔父叔母あたりの歳の離れた人がくれるのが相場だと思っていたので、くれる人が多くて嬉しいなと思っていたし、アラサーという年齢、従兄弟という叔父叔母などと違って対等な関係(家系図で同じ高さ的な意)の奴にお年玉を渡しているなんて客観的に見ても凄いなと思っている。それは間違いないのだが、ちょっと待って欲しい。
その従兄弟たちは全員結婚しており、子供がそれぞれ2人、3人、4人いる。
占めて9人!多い!今後増えないとも限らない!
この後に「こう書くとケチな奴みたいだけど〜」的なことを何行か書いたんだけど、書けば書くほどケチっぽく見えたから消した。
同じようなペースであげるとすると、僕のように対象が9人もいなかったとしても、お年玉というのは生涯収支的にマイナスになるものだから、長い目で(額面だけ)見ると嬉しいなと手放しで喜べる状況ではないんだなと気づいてしまったというだけの話。だから何ということはない。
"額面だけ見ると"と書いたように10歳の時もらった5000円と30歳になって誰かにあげる5000円は違うからまあそういうもんかと納得もしているので、このnoteは怒りや悲しみをぶつけているのではなく気づきを書いたものでした。