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節目に呟く /aoi@203号室


今回はHoccoというより、完全に個人のつぶやき。



月末、決算月。2020年度の締めくくり。
一つの大きな時間が終わってく。


夜のオフィスに私と数名が残っている
一人の女性がため息つきながらパソコンとにらめっこしていたので、帰りがけに声をかけて。

彼女は顧客対応用の手紙を書いていたそうで、「私は手紙を書くためにここにいるわけじゃない」と怪訝げに呟いている。キャリアのある彼女が望むのはどんなことなんだろうか。
そうでなくても、こんな時間まで対応文作成は辛いよね、と同情した。

不機嫌の理由は、約束があるのかもしれないし、家でやりたいことがあるのかもしれない。単純に仕事が多すぎるのかもしれない。
彼女の仕事を手伝おうとも思ったけれど、入り込む余地も無い様子だったので、キャンディを置いて帰ることにした。

そんな顛末の中、同情とは違うところで心の中で呟いたことがある。
何ならその仕事、もらいましょうかって。
なぜかって、手紙文を書きたくないというのが、もったいない気がしたから。私には仕事で誰かに何かを伝えることが、チャンスに見えてしまうらしい。
多忙な同僚の視点からしたら、私は何て嫌味なやつだろうか。決して心の声は外に出せない。


振り返ってみて、
営業職時代、何かあると報告書を書いていた。周りの人はその作業を面倒だと言っている中、なぜか私は報告書のフォーマットを埋めることが好きだった。自分は営業向きではないのかなと思うこともあった。
それからオフィスワークに移る。はじめは仕事の出来ないことが続く。メールひとつ、何でもない言葉の使い方がわからないし、対応も稟議も捺印フローも分かっていない。

その中で、0から1にしたいことのいちばんは、文書作成だった。文書作成だけは「出来なければならない」ではなく、「挑戦しなくてはならない」と、なぜかそう思っていた。

これはたぶん、個性だ。

たとえば子どもたちがいて、走り回る活発な子もいるし、積み木が好きな子もいる。私たちはその様子を見て、色んな性格があるものなんだと思ったりする。
メタ認知が働いたみたいで、子どもたちを眺めるように、私は自分と同僚を見比べていた。


コピーが書けない、 文章がへた、それでもどうにかしたいのは何なんだろうか。
苦しさから目を背けたらだめだとだけは思っている。何か未来に繋がるものがあるさ、ラッキーなことがある、くらいに考えておくことにしよう。

明日からまた、新しい時代がはじまる。
良い春の日を。

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