『充電日記』、ことはじめ
3月末で、2年と少し勤めていたデザイン会社を退職した。
あっという間といえばそうだけど
濃密だった分、その倍働いたような感じもする。
やっと辞められたというのが素直な感想だ。
コロナの影響で業績が傾き、
業務に全く興味の湧かないグループ会社への出向を言い渡され、
それを断って退職したのが1社目。
2社目は、パートナーの勧めでバタバタ決めた働き口だった。
最低でも3、4年以上働くという誓約がないと
正社員にはしないと言い渡されたところから、嫌な予感はしていた。
好きなデザインを仕事にできたのは良かったが
20万以下のお給料で、保険や年金を払わないといけないので
手元に残るのは15、16万円くらい。賞与はなし。
社会人3年目でまだ仕事にも不慣れな私に、確定申告も難しかった。
代表のことも信用はしていたが、信頼はできなかった。
終電のとっくに終わった時間に酔っ払って帰宅し
家の鍵が空いていないと知るや、外壁に石を投げるような人だ。
酔っ払いだからと許容されるだろうか?40半ばのいいおじさんである。
このエピソードを聞いたとき、私は笑えなかった。
仕事の評価を受けられる機会が、1年に1度の面談のみで
お叱りや労いがないどころか、日常的な会話もほとんどない。
人間らしい温かな関係を築くことは難しいんだろうかと思い悩んでいたが
多分私は人ではなく、労働力としか捉えられていなかったのだ。
労働力として働く自分の評価を知るすべは、やっぱりお給料が全てで
本当に虚しく、やるせない環境だった。
パートナーによく愚痴や悩みを聞いてもらっていたが
でもこの会社を勧めてきたのは、この人なんだよなと
モヤモヤした思いも生まれてしまった。
デザインの勉強だと自分に言い聞かせながら、心を保ち
工夫しながら、必死にこれまで暮らしてきた。
お金が全てではないが、お金は大事だと痛切に感じた期間だった。
前置きがつい長くなりましたが、次の仕事先が見つかるまで
怠けた生活にならないように、つけようと思ったのが『充電日記』。
有給休暇の取れる仕事先だったら
消化中に転職活動ができたんだけどなあと、書けば書くほど
不満にキリはないけれど。
良かったら、スキでエールをいただけると嬉しいです。
いつか自分の心の奥底で温めていることができるように、
今を前向きに暮らしていきたいと思います。