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滑らかで柔らかな光の映像体を目指して vol.3 - 映像と照明の違い

こんにちは、WOWプロデューサーの安斉です。以前の記事(vol.1)では、自然光と電気の光についてお話しました。今回は、映像の光の性質に関して更に掘り下げ、映像の可能性を探求したいと思います。

明かりとしての光 / 情報としての光

電気の光というのは純粋な情報である。それがなにか宣伝文句や名前を書き出すのに使われない限り、いわばメッセージを持たないメディアである。

マーシャル・マクルーハン『メディア論―人間の拡張の諸相』

私たちの生活に欠かせない電気の光は、2つの異なる性質を持っています。

1つ目は、明かりとしての性質
2つ目は、情報としての性質

図1. 電気の光の2つの性質

「明かりとしての性質」は19世紀末エジソンの時代から照明として使用され、「情報としての性質」はマクルーハンが言うようにメディアとして使用されています(図1)。

それでは、電気の光の集合体が映像だとすると、映像の光は明かりでしょうか?それとも情報でしょうか?

電気の光で自然光の移ろいを作る

2022年10月、WOWは25周年を記念した展覧会を開催しました。このイベントで私たちは「Motion Modality(モーション・モダリテイ)」というプロジェクトの新作となる通路を設計しました。

この通路は、各作品の部屋を繋ぐ役割だけでなく、来場者を迎えるための魅力的な場である必要がありました。そのために、映像が持つ情報の性質は抑え、明かりの性質を時間的変化させる事で、電気の光で自然光が移ろうような心地良い場を作れないか?と考えました。均質な明かりで照らされ、いつ歩いても同じ印象の通路ではなく、風で揺れる木漏れ日や、絶えず変化する雲の中のような雰囲気を持つ通路を目指しました(図2)。

図2.時間の装置としての映像

公共空間における映像の可能性

Motion Modalityをひとことで言うと時間の装置です。この装置は一度作ると物理的に動かない空間を活性化し、時間的に変化する映像の明かりで建築物や都市にダイナミズム(動き)を加えます。以下は、Motion Modalityを通じて考えた公共空間における映像の理想と、その可能性についてまとめたものです。

※印はMotion Texture(2006)より引用

コンテンツからモードへ
映像の中身(コンテンツ)が主役ではなく、あくまでも主役は場であり、映像は心地よい空間の状態(モード)を作るための建築要素である。

メディア(媒体)から時間の装置へ
映像を情報伝達や表現のための媒体(メディア)として使用するのではなく、時間の装置として使用する事で建築や都市をより豊かにする。

直接目に入る強い光ではなく、滑らかで柔らかな光
強く発光し光源が剥き出しの映像ではなく、物質を介して光が回り込む柔らかな映像へ。

四角い映像面から自由な形状の映像体へ
映像のかたちは、情報を正しく伝えるための四角いスクリーンから解放され、建築や都市と一体となった自由な形状の映像体となる。

機能ではなく様相
例えば、仕事用の部屋だから仕事に適した明かりをデザインするのではなく、居心地が良い雰囲気だから座って仕事をするという行為が生まれる。そのような「空間と光」が対等な関係を目指す。

再生ではなく存在
始まりと終わりがある画面の中の映像ではなく、映像にかたちや手触りを与え、環境の一部となる映像を目指す。

鑑賞ではなく眺望
鑑賞者が椅子に座って映像を観るのではなく、偶然性や一回性を持ち、ぼーっと眺める風景のような映像へ。


2006年にWOWが初めて本格的なインスタレーションに取り組んだ「Motion Texture」以降、私達の映像は画面の中の出来事から画面の外へ飛び出し、映像の可能性を広げ続けてきました。「Motion Modality」は公共空間における映像のあり方を探求するプロジェクトです。今回展示した通路のような毎日ただ通り過ぎるだけの都市環境を、映像の力で少しだけ豊かにできたら良いなと思います。

以上、最後まで読んで頂きありがとうございました!
<Writing : Producer / Fumi Anzai>



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