教えてくれた
大学の学部時代からの知り合いがエッセイをくれた。私が知らないうちに2年間毎日描き溜められていたというエッセイが、きれいに製本されていた。内容の感想はここで書くべきものではないと思うので本人に伝えるが、とりあえず表紙からとても好きだった。表紙と厚さを見た時、(めちゃくちゃ要約すると、)嬉しくて生きる活力がわいてきてた。
くれたのは、学部生の時はそんなにちゃんと関わったことがない子だった。
研究していた「スクールカースト」について、「一番下の階層を敢えて選択して所属することがあるよね」という意見をくれた子だ。何かの帰りの別れ際に言われたのをよく覚えている。
当時は、それが私の触れたくない深層心理みたいなものに真っ直ぐに触れにくる問いだったため、戸惑って曖昧な回答をして別れた。
そのあと2年くらい経って会った時、考えたくないけど考えなくてはいけなかったことをその子が言葉で伝えてくれたことへの、感謝をその子に伝えた。
その子が先日エッセイ本をくれた。
私にくれるんだ、と思った。心の底で何を考えているかを教えてくれるんだ。こいつには教えようと判断されたんだ。それがとても嬉しかった。
その子にとってどうかは分からないけど私にとっては、自分の本当に表現したいこととか、大事にしたいこと・もの・気持ちは、そう簡単に人に見せれるものではない。
私が大好きなオードリーの若林さんが、「ラップが好き」ということを、本当にラップが好きだから、あまり人に言わないようにしていたという話を聞いたことがあるけど、ほんとにそんな感じだ。とてもそんな感じ。
会って序盤で「渡すね」と言われて、「いいんですか!」「嬉しい!」とかは言ったけど、帰り際にあちらから渡されるまで「ちょうだい」とは怖くてずっと言わなかった。その子がやっぱりこいつにはあげるのやめようと思った時に、忘れたふりして、渡さずに済むようにしたかったからだ。
エッセイをちまちまと読み進めんでいる。いろんなことを思う。
人が何を考えているか知れるってこんなに嬉しいのか。
人が何を考えてるか開示してくれる、開示してもいいって判断されることってこんなに嬉しいのか。
昨日は通勤バッグにエッセイを入れて職場に持って行った。
生理前だからか、電話が多くて無理して取り過ぎたからか、久しぶりにイライラを抑える(機嫌のいい人でいる)のが難しかった。最近ずっと調子が良くて、自然にニコニコしていたので、その落差、イライラしている自分を俯瞰して、恥ずかしくて辛かった。昨日までは、やっぱり一時的なハイだったのだろうか。ハイの期間大分長かったなあ。またくだるのかあ。
そんな調子の下降中の日常の中で、昼休みと帰宅後にその子のエッセイを読んでいた。
読んでいる間と後は、なんとなく自分を取り戻しているような感覚があった。