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キャリアアドバイザーとWEBデザインが似ていると思っているのって変ですか?

【波乱万丈】訳ありすぎる私のキャリアのスタート

私の仕事のキャリアは新卒でシステムエンジニアとして始まった。他の新入社員とかなり違った家庭の事情を抱えていた。

それは母が若年性アルツハイマーと診断されていたこと。そして私は一人っ子だった。

母の症状は最初はいろんなことを忘れてしまったり、いつもの母自身の通勤の道を間違えて遅刻してしまったりから始まったけれど、私が働き出す時期にはすでに徘徊が始まっていた。

他の新入社員と違って帰宅後母がいないと探さないといけなかった。最初はすぐに見つかったり、タクシーで徘徊して運転手さんが気がついて連れて帰ってきたりしてくれていたが、一晩で見からなくなってしまうことが少しづつ増えてきた。

他の同年代の社員がこの週末バーゲンに言って可愛いコート見つけたとかブーツも買っちゃったとかいう会話を聞きながら、私はこの週末母の介護で疲弊しているのを隠しながら、人より少し大変だけど、少し頑張れば他の人と同じように会社で評価してもらえるはずと思っていた。

でも徘徊で何日も見つからず、探し回らないといけないことが頻繁に起きて会社を休んだり、徘徊して夜中警察署に保護された母をお迎えに行った父が、横断歩道を徒歩で渡っていたところ、酔っ払い運転のバイクに追突されて大怪我を負い、私が父と母の介護看護をしなくてはいけなくなり、母を施設に預けなくてはいけなくなった。ちなみに父は全身いろんなところを骨折し特に足を2箇所開放性骨折し、頭を強打し高次脳機能障害からレビー小体認知症となった。

とっても忙しくて何も考えられないまま時間が過ぎていったけれど、ある日私は仕事中手が震えて何もできなくなった。そしてシステムエンジニアの仕事を辞めた。

誰に相談したら良いかわからない

介護保険の制度ができた頃だったので、ケアマネさんにお世話になったり、地域の保健所の方はとても親身だった。けれども何か違うと思っていた。それは、父や母中心のフォローが中心で20代の私の人生これからどうしたら良いか?誰に相談したら良いかわからなかった。

思いつくキーワードでパソコンで検索しまくった。そして見つけたのが「キャリアアドバイザー」だった。そう私のキャリアどうしたら良いのか?それを相談したいんだ私。と気がついた。そして、キャリアの相談をしたいし、相談して欲しい人を助けたい。と率直に思った。

思い起こせば、システムエンジニアの時の上司に色々相談した時に、話してくれた言葉が絶対外しちゃいけないことだと直感した。それは、

『俯瞰してみたら、あなたのご両親も大切だけど未来を作るのはあなただから、あなたのキャリアを大切にした方が良いと思う』

両親も大切だけど、私の人生も充実させることも親孝行なのかも。と思った。

キャリアアドバイザーでの醍醐味

そこから未経験職種のキャリアアドバイザーを目指した。もう30代に入っていた。システムエンジニアを中途半端に辞めて未経験でキャリアアドバイザーになんてなれるのか?なかなか難しかったが、約半年後にキャリアアドバイザーとして、R社で働き始めた。

毎日求職者の方と会ってお話するとその方々の人生を聞いているようで大変だったけれどとても充実した時間だった。

その方がどんなところで働いていて、どんな場面でどんなことを考えてどうしたのか?というその方のストーリーを聞きながら、その方のポータブルスキル(持ち運び可能なスキル)は何か?を引き出して抜き出していき、マッチングして企業を紹介し、模擬面接をして転職のサポートをする。ことに喜びを感じた。

GCDFキャリアファシリテイター産業カウンセラーの勉強もした。話を傾聴し俯瞰して言語化する作業がとても難しかったけれどやはり喜びを感じることだった。

その後、出産、夫の転勤に伴う引越しで完全に主婦となっていた。そんな時たまたま出会ったママ向けのWEBデザイン講座を受講したのをきっかけに、今度はWEBデザインの未経験職種を始めた。

そして、WEBデザインの醍醐味

WEBデザインも、その制作したバナーやLPやサイトや動画がどんな場面でどんな背景を持つ人がどんな状況で目にするのか?を想像しその中からこういう『キーワード』をこういう『雰囲気』で見たら、伝わるのではないか?と考えて制作していく作業に思えてその点がとてもキャリアアドバイザーの経験と似ていて面白さや喜びを感じる。

結論

キャリアアドバイザーとWEBデザイン私の中ではやっぱり似ている!

フルリモートで自宅でできて手に職つけられるという点も魅力で始めたWEBデザインのお仕事も本当にゆっくりしか進めていないが、4年目に入る。20代で介護し出した時は、地球上で一人ぽっち感が半端なく私の人生どうなるんだろう?と思っていたけれど、今となっては2度としたくないけれど奥深い経験だった。どんな状況であっても毎日うきうきしていたい。なので屋号はうきうきデザインとしました。

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