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月夜


人が人を求める時。

それは冬の寒い日、特に周りの人があと数日でやってくるクリスマスに浮き立っている夜とか、花火大会帰りのことが一目瞭然な浴衣姿の恋人たちを見た車内とか、深夜の飲み会の帰り道とか、恋人と別れて1週間くらい経った日とか、きっとそういう時、人は人肌が恋しくなってしまうんだと思う。

でもあの日は、本当になんてことのない、ありふれた平凡な日だった。
どこにでもあって、1年後には何もかも忘れてしまうはずの日だったのに、なんでこうなったんだろう。

単純に、限界だった。
それは確かだった。
寂しかったんだよな、ずっと。

頭を撫でてくれた時、あんなに優しかったのはどうして?

人とすれ違った時に、今まで全くそんなことなかったのに、誰かのほんのかすかな匂いで彼の存在を思い出してしまうのは、なぜ?


寂しさは何かのきっかけで思い出してしまうだけで、本当はずっと、昔から私の心の中にあったんだと思う。

そう思うと、少し動悸がする。

強くなれたらな。

そんなこと思っていてもどうにもならないことくらい、私が一番知っている。




家にプロジェクターあるから映画見ようとか、暑くて歩きたくないから宅飲みがいいとか、そういう分かりやすく明確な口実の方が良かった。傷つかないから。

期待するたびに裏切られて傷つくなら、もう誰にも期待するのはやめようって、もう何度も何度も決めてるのに、結局変えることはできてない。

決意で人は変わらないって、どこかの誰かのツイートを思い出す。

同時に、きっと人のことを信頼しなくなったら、本当に私は私でなくなってしまうから、だから自ら自分のことを切りつけているのかもしれない。

こんなことでしか自分を保てないことを思うと、こめかみが頭を苦しめる。



あの日、寂しかったから、会いたくなかった。

会ったこと、どうしたら正解にできるかな。


知ってる?

あの日2人で行った公園、今、アパートの一角になってるらしいよ。
もう二度と行くつもりなかったけど、もう二度と見れなくなってて良かった。

あの時、月が綺麗だねって、その言葉はそういうこととして受け取っていいのって、きっとなんだかんだ何万人もの人がしてきた会話をしちゃったこと、もう忘れたいけど、忘れたくないんだよね。


あの一言が言えてたら。
あと少し私に勇気があったら。

そんなありふれたたられば話を抱えて今日も生きなきゃいけないこと。

そろそろ、何もかも全部委ねたい。


もう疲れたなってふと見上げた時の月が綺麗だったから、ちょっとだけ苦しくて、ちょっとだけ救われた。

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