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決心速度という言葉に救われた話 【購読版 ヲタきちレッスン 番外編】 ※無料
はじめに
今回はとあるミュージックビデオによって、社会人1年目の私が救われた話です。当時の私は、自分自身の未来が見えず、情けなくて悔しくて、涙ばかりが出ていました。そんな私がどのようにして変わったのかを書きます。
筆者自己紹介
合同会社NIN代表 / ヲタきち
大阪で編集アシスタントとして映像業界に入り、東京に上京後は映像制作を主とした「株式会社ナナメ」を共同起業。その後「グリー株式会社」でVTuber事業のプロデューサーを経て、現在はクリエイティブチーム「合同会社NIN」を起業。 主な仕事は、映像に関する企画やクリエイティブディレクション、 デザイン・イラスト・3DCGに関するコンサルタントやアートディレクションなど。趣味はVTuber活動、映画、ゲーム。
無気力な社会人生活
そのミュージックビデオを知ったのは約10年前。その頃の私は、大阪の東梅田にある映像編集会社でアルバイト勤務をしていました。尊敬できる社長の会社ではありましたが、第一に働きたい職業ではありませんでした。そもそも自分が何をしたいのか分からず、社会に出る不安から逃げたい気持ちばかりが強くなり、自己肯定力を落とすところまで落としてしまった結果、インターンで訪れたことのある地元企業に惰性丸出しで懇願して勤務させてもらったことを覚えています。
同級生たちはみんな賢く就職活動をこなし、私のプライドはズタズタ。
一人ぼっちになった私は、休日や仕事終わりにマンガ喫茶で漫画を読むか、壊れるまで社長と朝まで飲むかの二択しかない。そんな人生を送っていました。今の私を知る人からすると想像もつかないほど無気力な社会人生活のスタートだったのです。
人生を賭けた挑戦を
東京に進出した同世代には、「KANA-BOON」「じん(自然の敵P)」など、後に音楽でメジャーアーティストとなる人たちがいます。私は毎日会社で適当な仕事をしていましたが、昼の定食屋で彼らの音楽が有線放送で流れてくるのを聞いていました。
彼らが音楽の才能で人生を賭けて挑戦している間、私はただ理由もなく本気になれず、地元で失敗しない道を選んだことを後悔していたのです。
この気持ちにハッキリと気づいたのは、当時「コンテンポラリーな生活」という同級生が結成したバンドがテレビで取り上げられているのを見た時でした。一番の友人が頑張っている姿を見て飛び上がるほど嬉しくなったあと、布団で眠る頃に自然と涙が出ました。その時から強烈な焦燥感にかられた私は、現実から逃げるためにますますお酒に頼る日々が増えていきました。
ハンサムケンヤ/決心速度
そんな頃、ネットで視聴したミュージックビデオが、
「ハンサムケンヤ/決心速度」です。
当時、ハンサムケンヤさんは京都で活動している音楽アーティストでした。私も京都の大学を卒業していたことから、親近感を強く感じました。
私はハンサムケンヤさんの音楽や、映像作家である椙本晃佑さんが制作する作品群に圧倒されました。すべてのミュージックビデオが本当に素晴らしいものばかりですが、中でも「決心速度」という作品が私の心を強く揺さぶりました。
見て分かるように映像も音楽も凄く素敵なのですが、
ここで取り上げたいのは「決心速度」という言葉と
私が感じた「気付き」についてです。
MVの冒頭では、ハンサムケンヤであろう人物が
自堕落な生活の中で歌詞を書いているシーンから始まります。
夢を目指す若者が経験する「自分と社会との摩擦や葛藤」を繊細な歌詞とメロディ、そして映像で表現しています。歌詞を追わずともこのテーマに共感し、胸がぐっと苦しくなった人も多いのではないでしょうか。
しかし、歌詞の中には「決心速度」という表題の言葉は使われていません。
決心速度の解釈
「決心速度」はハンサムケンヤさんが作り出した造語(のはず)です。
ではどういった意味があるのか、ここからが本題です。
私はこれを「夢の代償を払う覚悟」と解釈しました。
代償とは、夢を追う人、才能を信じる人が、
自身のエゴによって失ってしまう存在です。
それは時間、環境、仕事、責任であったり、
自分を信じてくれる恋人や家族など様々です。
音楽アーティストは人間的にクズだと言われたり、専門職では離婚が多いとも言われていますが、これらはすべてこの種の話に由来するものだと思います。その中でもこの楽曲は、そのエゴを理解した上で共存する道を選んだ人間、つまり代償を払う選択をした曲だと考えました。
代償を払ったその後
当時の私は、その代償と夢を天秤にかけ、「夢を選べなかった側」という立場でした。それを理解した時に、地元や家族がどれだけ大切だったかを痛感しました。
その後、何度も悩み苦しんだ末、会社を辞めて上京する決心を固めました。何の計画もなく、ただ挑戦するしかないという思いでした。
大阪を離れるために家の掃除をしているとき、母に上京についてどう思うか聞いたことがあります。母は「あんたは東京に行くだろうなと思った。そして、多分帰ってこないだろうなと思っている。」と言われた記憶があります。東京に上京してから、両親は離婚し、しばらくして育ての親とも言える祖母の最期も看取れませんでした。
私は自分の夢のために、大阪と家族を代償にしたのです。
上京後は全てが本気でした。補足することもなく一直線に今の自分に繋がります。ノートPC1つ抱えて路上で寝泊まりしたり、事故物件に住んだり、ゼロから会社を立ち上げたり、嘘偽りなく今まで休むことなく腕を磨き経験を重ねてきました。気付けば10年前の自分では想像出来ないことがたくさん出来るようになりました。
しかし「夢の代償」を払った価値があったのか。
これだけは今も分かりません。
さいごに
自分の人生をコントロールためにエゴは必要です。
大きいか小さいかに関わらず「代償」なしでは、
自分のエゴを貫くことはできません。私はそう考えています。
冒頭で述べたように「自分の未来が見えず、情けなくて悔しくて、涙ばかりが出る人」という方は、私の身近な範囲にもたくさんいます。そんな方はいま一度「夢には代償がある」ということを考えてみてください。もちろんを代償を払ったからと言って必ずしも上手く行くわけではありません。
私は「ハンサムケンヤ/決心速度」という曲が、
夢の代償とその覚悟と後悔を歌ったものだと感じました。
あなたはどう感じましたか。
もしよければコメント欄で教えてください。それではまた!
著・ヲタきち
あとがき
東京に来てから幾度かこう言われた事があります。
「あなたが作った映像のおかげで生きようと思いました。」
「あの映像が今の私を作りました!」
私の決心で救われた人がいるのであれば、
あの選択は間違いではなかったのかもしれないと。
そんな気持ちになるのです。