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サングラス

北海道出身者はもれなく“寒さに強い”というレッテルを貼られる。無論、生まれも育ちも北海道であった私も同じであった。いまでは、あれは差別、またはレイシズムの類いではないかとすら思う。
同じ人類なのだから、冬はもれなく寒い。当たり前なのだ。(中には冬にTシャツで外を出歩く例外もいるが、そういった特例は一応省いてお考えください。)

そして太陽は眩しい。そりゃ平等に眩しい。っと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。

私がサングラスは必要ないと判断した日でも妻は ”目が青いと太陽はより眩しいのよ!”と言ってサングラスをかけている。間違ってもキャラクター付けのためではないようだ。

これは科学的にもどうやら正しいらしく、瞳の色素が薄い人ほど太陽は眩しいらしい。西洋の人は実践的に日頃からサングラスをかけているため、様になるのだ、といわれている。

西洋人のサングラス姿にあこがれる日本人も、いざ掛けるとなると、どこかこっぱずかしさを感じるのはやはりそういった慣れが無いからなのだろう。

実践的であるが故、西洋では屋内で基本的にはサングラスはしない。サングラスなのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、日本ではそういったある種の様式美のような当然の習慣が、ファッションが先行しすぎて取っ払われてしまうことが度々あるようにおもえる。
もちろんそれがダメであるとか、ダサイであるとか言いたいわけでない。

くしくも我々日本人はお昼の王様ことMrタモリが何十年にもわたって屋内のスタジオの中で、カメラの前でサングラスを掛けている姿を当たり前のように享受してきた経験があるのだ。(初期はクリアレンズだったはず)

以前に何かの日本の動画が私のパソコンで再生されていて妻が私に怪訝な顔つきでこう尋ねた。”なぜ彼はカメラの前で(そして室内で)サングラスを掛けて語っているの?”

その彼はMrタモリでは無かった。そして”彼はタモリイズムの後継者だからだよ。” と答えても彼女に理解されないであろう事は承知だった。

私は返答に困った。今一度彼女に言われて気づかされたのだ ”なぜ彼はサングラスをそのような場で掛けているのであろうかと。”
そして画面の彼はよりによってまじめに語っているようだった。(内容は全く覚えてはいない。いるはずもない。)

屋内でサングラスを掛けている人間が何かを論理的に話していたのであろうか? むしろ、実はとんでもない難しい話を論理の破綻した格好で語る、という壮大なコメディで、かつ誰かのツッコミを待っているのだが、 昼休みをウキウキウォッチングしすぎた我々日本人は本当は誰でもつっこめるボケに反応できないほど感覚が鈍っているのですよ、危険ですよ、というコメディと同時に世相も切るという高次元のことをやっていたのであろうか?

私は無難に ”わからない。 きっと照明が眩しいのかもしれないね。” と答えた。

私はテレビに出て照明を浴びたことも、フラッシュの嵐に手をかざし ”ウザってーてなぁ” と小声でつぶやいたことも、ましてや、記者会見で ”はんせいしてまぁ〜す(レイプ目)。” と言ったこともないので、本当にスタジオの照明が眩しいかどうかは分からない。
以前にサッカー日本代表が初めてW杯出場を決めてテレビに出演していたときに、CMまたぎでナカタが眼鏡をサングラスに変えていた。(たしかアルマーニだった。)
ゴン中山が颯爽とそれにツッコミを入れたとき、ナカタは ”照明が眩しいんだ” と言っていたので、スタジオの照明は眩しい物だと私には刷り込まれている。ナカタ以外の出演者全員は裸眼であったが、無論ナカタには眩しかったわけだし、俺にもスタジオの照明は眩しいはずだ、っと当時の自分はそう願った。


やはり、今のご時世、何か違和感があればツッコミが入るという事をわすれてはいけない。私の妻だけでなく当時のゴンでもそうだった。
とはいえ、実際はあなたがそれに対しどれだけ整っているかが、問題なのだ。
言い換えれば、どれほどあなたが奇っ怪でちぐはぐな格好をしていて、だれかのツッコミが入っても、トンチの効いた返しができればそれだけで、あなたは否をも是にしてしまえるというわけだ。場を掌握するチャンスはまだ残っているわけだ。


以前にそれこそ眉唾ものの理論であったが、”サングラスを掛けるときは眉毛が隠れるように掛けるのが正解です!” というようなものがあった。今のマナー講師も舌を巻くレベルの眉唾論理だ。 むしろ、今のマナー講師は一昔前のファッションマガジンからインスピレーションを貰っているのではないかともおもわれる。

まぁ、正直言うと理解できない範疇のトンデモ理論でもない。西洋の彫りの深い顔では正面から見ると眉と目の距離が近いために、その2つがサングラスのレンズの向こう側に収まってしまう場合が多かったのであろうから、それを正解としたのだろう。そして、この理論が多く叫ばれたときはある程度大きめのサングラスも流行していたのだと思う。(初期ドラマ版マイアミバイスにレイバンウェイファーラー、または70sのヒッピーも大きいサングラスを掛けた)
しかしながら、小さいサングラスやミディアムサイズのサングラスで眉毛が出ている西洋人はたくさんいる。実践するには残念ながら全く理にかなっていなく、少しでも外を見回せば間違いだと分かる程度の適当なものであった。

ルールには例外が必ずあるわけだが、日本人という生真面目な生き物はこれまた不思議な物で、”流行って何ですか? 周りに迎合したこと無いんでぇ、ファッションとかよく分かりません。基本自分にささった物しか、着ないんでぇ、よく一匹狼って呼ばれてましたね。周りの先輩もみんな悪くてぇ、だいたいロックでした。就職してからもロックでぇ、もう三回もロックンロールされましたよ。警察にもよくおせわになったもんです。ロックンロールじゃねぇ、ロッケンロールだ!ってね。そんなときに出会ったのもやっぱりロックでした。親にも馬鹿なことやってないでもう地元に帰ってきなさいってロックなこと言われて、その時はさすがにロックでしたよ(笑い)。” っと、こんな事を吹聴している中年ファッションおじさんが、小さめのサングラスで眉毛を隠そうとしている物だから、もう作画の崩壊しているアニメのようだったことがあった。
もちろんファッション雑誌を穴があくほど読むことは良い。ただ楽器を弾かないロックンローラーは風説でも綺麗に踊ってみせるんだなぁ〜、っと感心した。

そういったある種いってしまった人に、”サングラスの位置おかしいですよ” とツッコミをいれられる人はそうそういないと思うが、親しいお友達であれば、”絶対眼鏡の位置おかしいよ、お前。”、 と教えて上げた方が良いとは思う。

まぁ、返す刀で、”昔のカムデンはみんなコレだったからねぇ” とか、”ハワイの太陽は頭上を通るからねぇ” とかトンチが効いて無くてもパワーワードを織り交ぜたパンチラインをかましてくると思うのでダメージは必須だとは思う。
”そもそも室内だし、日本だよ。” なんて甘いテレフォンパンチ合わせた日には、間接照明以外は刺激が強過ぎるとか、紫外線が霧散してるとか返えされてゲームオーバー。

結局ずっと彼のターンというわけだ



もう四半世紀以上眼鏡を掛けているクソメガネヤローの私に言わせれば、どこで掛けたって変わらないんですけどね。

サングランスなんて、眩しければ、いつも掛けてる昨日のラーメンの汁が飛び散った眼鏡同様に適当に掛けてりゃいいんです。そして、眩しくなければ外すことです。

イケメンだけが掛けて良い都合の良いアイテムではないんですからね。


それと、海外で夜中にサングラス掛けている人は薬物でハイになって瞳孔が開いているために、純粋にライト等が眩しいみたいです。
オシャレもいるのかなぁ?。。。。

ちなみに、クソメガネヤローを英語にしますと, ”F○cking four eyes” になりますから、今度使ってみてください。


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