31歳で自由教からエンジニア転職したプログラマーの自己紹介
海外放浪、田舎暮らし、アメリカで路上パフォーマーと大工の経験を経て、30代でモバイルアプリ開発エンジニアに転職した自分の自己紹介です。
皆さんの情報収集のお役に立てられれば幸いです!
これまで
工業大学を卒業後、地元の工作機械メーカーに就職するも即退社。その後愛知県の山奥の田舎に移住。
米を作り、田畑を耕し、虫を食い、獣を捌き、自分で割った薪で火を焚き飯を食う生活を1年間。
その中で楽器を始め勢いそのままにジャズの聖地、ニューオリンズへ渡米。路上パフォーマーとしてお金を稼ぎながらのホームレス生活。
その後、アメリカで全財産を失い途方に暮れていた中、
アメリカ人の大工の棟梁に拾われ、町外れのスラム街にすみながら、
黒人、白人、ラテン系の人たちに囲まれスラングが飛び交う環境で1年半働いたのちに帰国。
(なんとまぁ軸のない人生。笑)
エンジニアを目指した理由
30ももうすぐそこ。このままアメリカにいていいのか?一生そのままか?と先のことを考え始めていたことと、帰国後、人生の恩師となる人と出会い、その方と将来共に仕事をしたい。そのためには「技術」が欲しい。
その思いから行き着いたのがプログラマー転職。
愛知県のとあるものづくりの街出身なこともあり、もともと創作することは好きで、この先、一生の仕事とするなら何が良いか考えた末での答えでした。
プログラミング学習
プログラミング学習開始時は29から。
帰国後、アルバイトをしながらトータルで約2年弱ほど。
その間も就活はしつつ。けどやはり面接までにいけなかったり、行っても全然ダメでまた独学で、、、といった感じが続いていました。
基本的には独学でプログラミングを勉強していました。
参考書と技術書を購入し学びつつ、教材としてお世話になったのは、Udemyやyoutubeなどの動画教材。
どういうことなのか、何をやってるのかわかってないけどとりあえず手を動かしてプログラミングに触れ、見る時間をひたすらに確保するようにしていました。続けることで徐々に作れるものが増え、理解していったように思います。
1番最初はUnityでのゲーム開発から始めたのでC#が最初の言語でした。簡単なゲームを自分で作り30直前に1度、小さいゲーム会社に就職。
雑用から始める心意気で入社したものの、少し経った頃に社長からは
「今の年齢からではプログラマーは厳しい」
「人には役割があるから、君は英語が話せるんだからそっちでやってもらいたい。」
と言われ、海外営業に回されそうになり、それでも俺はエンジニアになりたいんじゃぁ!!の気持ちで即退社。
(会社には、入ってからでないと見えない部分は多いですが、入る前に徹底的な企業調査が必要だってことが身に染みた経験でした。)
その後、iOSアプリ開発の勉強に着手。一年ほど独学で学びました。
最初のエンジニア転職で痛い目を見たので結構慎重に改めて学び直し、会社調べを同時にやっていましたね。
学ぶためにコンテンツは国内外問わずコストをかけ、たくさんの動画と本を片っ端から取り組み、まずはアプリを2つリリース。
その後、今お世話になっている会社に就職。会社の規模は小さくホームページはかなり古く長年更新されていないようなホームページでしたが、面接で話を聞いて技術力の高さにとても高揚したのを覚えています。
就職後はAndroid開発。(←iOS開発じゃないんかーい‼︎笑)
会社の社長であり元アップルと専属契約していたベテランエンジニアのもとで一年間しごかれながら開発のいろはを学ばせていただきました。
現在は業務ではAndroidアプリ開発に携わりエンジニア3年目を迎えています。
仕事終わりと週末は引き続きiOSアプリの個人開発に取り組みiOSアプリ開発も4年目になります。
自己紹介は以上になります。
本物のハンマーから今ではXCodeのハンマーをぶん回しているあたりがなんかエモいなぁ〜と勝手に思っております。
エンジニアになり数年前では考えられないような生活になりました。
業務では、まだまたわからないことだらけですし、先輩エンジニアには迷惑を掛けっぱなしですが、日々学ぶことの多い今の生活に感謝です。
これからも伝えたいことや共有できそうなこと、学んだことなど発信して行きたいと思ってます。
今回noteにて記事を書かせていただいた一番の要因は、
仲間が欲しい!という思いからです。
なんとなく興味を持っていただいた方は気軽にお声掛けください!
こんなやつも30代で転職してエンジニアになったんだな〜と、今エンジニアを目指している方や、現役エンジニアの方々、何か新しいことに挑戦中の方々の目に届いたのであれば嬉しいです。
ではでは、今後ともよろしくお願いします。