はじめての演出/はじめてのテント

前回、人生ではじめて作った舞台のことを少しだけ書いた。
当時のことを(思い出しながら)書いてみる。

note第2回「はじめての演出/はじめてのテント」

それは90年代の最初の頃。(石器時代!)

神戸大学の自由劇場という学生劇団に入った話はまた今度するとして、そこでは、演出をしたい人は台本選挙(通称”台選”)というものに立候補をしなければいけなかった。その選挙で勝ってめでたく演出ができるという仕組みだ。
僕は入部して半年後くらいには「本を書きたい」という気持ちになって、1年後には台本選挙に立候補した。当時の自由劇場は規制の戯曲(野田秀樹とか鴻上尚史とか)をやることが主流だったので、その台本選挙でオリジナルを書いて出したのは随分と珍しかったようだ。しかし、結果は落選。かなり悔しかった。敗因はわかっている。最後まで書けなかったからだ。「面白いかもしれないが、続きがよくわからないので推すことはできない」と総評された。その通りだ。

どんな本でも最後まで書くことの大切さを身をもって体験した。

それから半年たって、リベンジ。今度は台本選挙が行われなかった。というのも、その当時部員が多過ぎて、同時期に2本上演することになった。一本は3回生の先輩が上演する「ゼンダ城の虜」(野田秀樹)が決まっていて、もう一本は、他に候補者なしで選挙も行われずに僕のオリジナル作品になった。拍子抜けしたがラッキーと思うことにした。一応、本は最後まで書いた。

ようやく舞台を作れる。その当時の僕には絶対にやってみたいことがあった。テント公演だ。

当時、アングラ劇団は東西問わず(80年代ほどではないが)まだしばし活気があった。黒テントに紅テントに、白テントに七色テントはなかったけど、関西では未知座小劇場や楽市楽座、浪花グランドロマン、などなど、それはそれはもう、どれもやばかった。無茶苦茶。既成概念やら常識やら、事件事故やら、アクシデントも演劇の一部に取り入れて世界をひっくり返そうとしている人たちを見て、何度も感動した。観客として見に行って遭難のような経験もした(翌日ローカル新聞に載った)。なんで芝居を見にいって死にそうになるんだと思うかもしれないが、そのくらいギリギリな状況/適当さでみな公演を打っていたのだ。

その憧れもあり、テント公演がしたかった。最初の演劇は野外だと決めていた。
それから大阪工業大学の学生劇団がテントを持っているという情報を得て、ほぼほぼ無償で借りて、次は会場探し。最終的に、場所はポートアイランドにあるポートピアホテルの前。床はコンクリートの打ちっぱなしの広場。おしゃれな噴水と謎のピラミッドみたいなオブジェのあるところ。

ポートピアホテル前。

なんでこんな場所でやろうと思ったのか記憶は定かではないが、当時テント芝居といえば花園神社や扇町公園などの昔ながらの「見世物小屋」の延長のような場所が人気があった。あえて、バブルの象徴のような高級ホテルの前のモダンな空間にテントを置くことに何か意味合いを見出したかったのだろうか。意外性、違和感、異化効果、風景の変容なんてことは当時は思っていなかっただろうけど、結果としてそういう場所だった。

芝居はテントを立てるところから始まる。キャンプのテントとは訳が違う。3日間くらいかけて建てて、それから照明を吊り、客席を作り、美術をたてて、ほぼほぼ1週間近く仕込みにかかる。それから舞台稽古。雨が降る仕掛けがある。近くの水道から水を引っ張って、自家製のスプリンクラーを設置する。学生とは思えない機動力だ。チームの大切さ、人力の素晴らしさ、そして情熱の傾け方、そういうものを強く体感した。

しかし、ひとつだけ大きな落とし穴があった。
本番は12月。死ぬほど寒い。
冬にテント公演はするものじゃなかった。
打ちっぱなしのコンクリートが熱を奪う。学生が建てたテントだ。隙間風だらけ。そして、ここはポートアイランド。目の前は海。信じられないくらいの冷たい海風が僕たちを襲う。そこにきて芝居の後半にはテントの中に雨が降る!
さらになぜか相撲のシーンが中心だったのでわりとみんな裸だった。計算違いにも程がある。出演者もつらいが、観客も辛い。寒くて凍えながら皆見てくれてた。3時間は超えていなかったのが幸いかもしれない。

追い打ちをかける出来事はまだあった。
季節はクリスマス。バブルの余韻はまだあって、目の前のポートピアホテルの最上階にあるフレンチレストランは、当時大人気で、クリスマスの予約は1年前にしないと取れないような店だった。小汚いジャージ姿の僕たちの前を、着飾ったコートを着た男女が通り過ぎる。見てはいけないものを見るように。これが演劇か!!そう骨身に沁みた。

とはいえ恥ずかしいという気持ちは微塵もなく、知らぬ人たちの無関心と好奇の目に晒されることにどこか優越感すらあった。”清貧の思想”(懐かしいワード!当時のベストセラー!)に浸っていたのかもしれない。なんにせよ、あの経験が、自分の人生が自分の手によって動き出した第1歩だったような気がする。

劇団を旗揚げした頃の写真(だと思う)。

「処女作にすべて詰め込まれている」という格言があるかどうかは知らないけど、案外やりたいことはやってたんだなと思う。
子供を主役にしたり、野外でやったり、雨降らしたり、相撲したり。
ちなみに物語の題材に借りたのは藤子不二雄の「ドラえもん」。その中に出てくるタイムパトロール隊の話でした。漫画原作!
その当時どこの許可も取らずに勝手にやりました。すいませんでした。

おしまい。

2年前に古巣・神戸大学の広報誌にインタビューを受けた記事があったのでここに掲載しておく。


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