こどもたちとワークショップをする(に至った経緯)

2013年の高槻でやった”呼吸ら”という劇団以来なので、ちょうど10年ぶりに演劇のワークショップをやります。

若い俳優のためのワークショップです。小学生から高校生の年齢の人たちです。

なぜそんなことをやろうと思ったのかを書いてみます。ご興味湧きましたらぜひ応募してください。


とりあえずnote第1回「こどもたちとワークショップをする(に至った経緯)」


(これを機にnoteをはじめてみようかと。どこまで続くかわからないけど)


1、ここ数年、舞台(おもにミュージカルだけど)に子役と呼ばれる小さな俳優が出演しているのを頻繁に見るようになった(昔からあったのだろうけど)。そして僕も去年初めてしっかりと子役が中心となるミュージカルをやった。そのときに思ったのだ。芸歴30年とか、50年とかの俳優と、10歳の子供が同じ舞台に立つことは、「下手したら危ないことなのではないか」と。
野球やサッカーの試合に40歳と10歳が同じチームで一緒に出たりはしない。ましてやプロでそんなことありえない。あらゆる集団(チーム)競技で、そんな雑なこと行われない。経験知識体力すべてにおいて、子供と大人を同じグラウンドに立たせるのは正しいことなのか。そういう疑問を持った。

2、しかしこれは演劇だ。もしかしたらそれが可能なのかもしれない。戦う対戦相手がいるわけでもないし、役を演じる/役割の中で生きる、ということでいえば、子供にしかできない役や役割もあるはずだ。大人と子供が一つの作品をつくれるなんてこと他ではなかなか見られない。それゆえにとても素晴らしいことのようにも思える。境界線のない世界。あらゆる人に開かれている舞台。誰もおいていかない舞台を作ることに僕は興味がある。あらゆる人が参加できて、それでもプロフェッショナルでありえる。

3、そういえば僕はパラリンピックの開会式でそういう景色を見たではないか。車椅子の人と、目の見えない人と、あらゆる違いのある人たち、ハンディキャップを抱えた人たちと、同じグラウンドでショーを作ったではないか。

4、あのとき、たくさんの知見が使われた。SLOW LABEL をはじめとするサポートメンバーがそれまでに蓄積されたいくつもの人的知的リソースを惜しげも無く提供してくれた。稽古の仕方、サポートの仕方、ノウハウ、ケア、どこまでそれぞれに寄せるのか、どこまで手伝うのか、そしてクオリティはどこまで下げずにできるのか。ひとつひとつ話し合いながら進めた。それでも初めてのことだらけ。日本でここまでの大規模な野外のセレモニー、誰も経験したことがない。だからこそ手探りで、トライとエラーで、時には大胆に時に繊細に、ものづくりの現場を回した。大事なのはやったことがないことをやったことあるように思わないこと。知ったかぶりしない。

4、話は逸れたが、というような、子供たちとの芝居づくりの知見を僕はほとんど持っていないことに気づいた。もしかしたら知ったかぶりをしていたかもしれない。「子どもを子ども扱いしない」というポリシーというか考えでやってきているが、本当にそれが全部なのだろうか。わからない。わからないからこそ、もっと一緒に演劇をしてみたいと思ったのだ。それが大きな理由。

5、そして僕は、子供達が出てくる作品をこれから先、いくつも作りたいと考えている。(古今東西、子どもたちが活躍する物語で好きなものは多い。)
そのアイデアの中には、子どもたちしか出てこない演劇もあるし、もちろんミックスされているものもある。それらを実現させるためには、子どもたちと芝居を作っていくノウハウやサポートの仕方を見つけないといけないのだろう。そうしないと誰にとっても危険なことになる。

6、また同時に、彼らの育成が必要だとも考えている。日本の商業演劇の世界だと、子どもの俳優がさほど訓練を受けずにいきなり現場に出ることもある。つまり何の基礎的なこともせずに、準備運動の仕方すら知らずに、試合に放り込まれるようなものだ。子どもの俳優というのは、俳優の中の一ジャンルではなくて、たくさんいる俳優の中の、ある一時期のことを指す。彼らは俳優なのだ。なのに誰にも何も教えてもらえてないのは問題だ。僕がどのくらいできるかは置いといて、せめて現場に行く前にやっておいたら危なくないことを伝えられると良い。

7、で、こんなことを書いていて思い出したのだ。僕が初めてつくった舞台のことを。僕が19歳の時。神戸大学の自由劇場という学生劇団で、僕が大学2回生のときに初めてオリジナルの戯曲を書いて演出をさせてもらった。その時の主役は子どもだった。道を歩いていた小学5年生の男の子をスカウトして(阪急六甲駅のあたりだ)、舞台に出てくれないかと説得した。今思えば恐ろしい行動だ。人さらいと思われても仕方ない。でもその子は興味を持ってくれて、僕の携帯電話の番号を両親に渡してくれた。それから話は進み、家族ぐるみで応援してくれることになった。一度は彼の自宅の食事にも呼ばれたりした。

8、演劇は、 誰もが参加できるスポーツでもあり、体を動かしながら実現できる芸術活動でもあり、想像的遊戯でもあり、絶え間ない自己鍛錬でもある。そこにゴールはない。毎回発見し続ける。俳優というジャンルはそこを楽しめる人に向いていると思っている。そこに子どもも大人もない。子どもだからって発想が柔軟ってこともないし、大人だからって技術があるとも限らない。何度も言うけど、あくまでも一地点としての子どもたちの俳優という枠がある。

参加するみなさんと”演じることの難しさと楽しさ”を共有できるといいなあ。

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