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【負け】を認める能力の大切さ

自分の【負け】を認めるというのは、生きていく上で実はすごく大事なことなんですよ。もしかしたら【勝つ】こと以上に。【負け】を認められないというのは、心を病む原因のひとつなんです。

私が最近学んでいる師匠(人間の脳や精神の専門家)の言葉だ。
もともと歯に衣着せぬ人なのだが(そのへんもっと上手かったらもっと出世していたと思う)、1対1だと公に喋れないこともガンガン喋ってくれるのでとてもありがたい。


前回の記事(毎月の定期購読マガジンにも入っている)に対して、肯定的な感想文を送ってくださる読者様が多かったので、

もしかしたらこういう誰の日常にも役立つ「心のTIPS」的なものは需要があるんじゃなかろうか?と仮説を立てて、今回も師匠とのやり取りの中で得たものを文章にしてみようと思った。人の心の闇を第一線で30年近く診てきた彼との会話はインスピレーションの泉なので、いつまでも続くのならシリーズ化したいくらいだ。


今回の本題に戻ろう。

【負け】を認めるなんて、なんだかネガティブなイメージだ。
私たちは小さな頃から、「頑張れ」とか、「負けるな」とか、「逃げるな」とか、「諦めるな」とか、叩き込まれて生きてきた。男性は特にそうではないだろうか?

いま20代前半の子たちはそうじゃないかもしれない。個性を大切にしようという風潮だから。親や学校はそんな風に育てなかったかもしれない。だけどその代わりに、SNSがある。

インスタを開けば美や痩身を競う同年代の女子たちのビジュアルがこれでもかと並び、Facebookを開けば素敵なキャリアを突き進む人たちの功績が眩しい輝きを放っている。

自分がそれに【負けたくない】と思って、努力するのは素晴らしいことだ。筋トレをして、食事制限をして、センスを磨いて。勉強をして、スキルを磨いて、人脈を築いて。資格をとって、起業して、お金を稼いで。

でも、【負けたくない】対象が、その土俵が、自分の持っている能力からあまりにもかけ離れすぎていると、それは悲劇にもなる。

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