子ども時代の新興宗教のこと、寄る辺ない人たちのこと、いつかの神様のこと
池田大作氏が亡くなったという記事を目にしたせいだろう。ここ最近、遠い過去の記憶がポツポツとよみがえるようになった。
ずいぶん昔に消え去ったと思っていたのに、まるでつい最近のことのように鮮やかに。
人間の記憶って、面白いものだ。
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今専門家として振り返ると、私の母はかつて神経症圏に位置する状態にあったのだと思う。
子どもの流産を経験し、夫からは社会に出ることを禁じられ、怒鳴られ、人権を侵害するほど活動を統制されるうちに、じわじわと精神を蝕んでいった。
彼女は元来は可愛らしく人懐こく、朗らかな人であったから、公園や市民プールやショッピングモールに出かけると必ずと言っていいほど知らない人に話しかけられそのまま長時間捕まっていた。
読者のみなさんはご存じと思うが、知らない場で積極的に声をかけてくる人間というのは、そのほとんどがナンパか勧誘である。
彼女は文字通り箱入り娘として育てられ、純粋で人を疑うことを知らなかったので、
それはそれは多くのマルチ商法に引っかかり、エステの勧誘に引っかかり、宗教の勧誘に引っかかった。
履きもしない痩身スーツ、美容器具、健康ドリンク、謎の枕に水晶玉。
父が稼いできたお金は、彼の知らないうちに違法ビジネスの肥やしとなっていった。
その中で私たち子どもに最も大きな実害があったのが、宗教だった。
母は私が知っているだけでも4つの宗教に加入し、そして3回脱退している。
(有難いことに今はクリスチャンに落ち着いているが)
知らない人が勧誘してくる宗教であるから、中にはきわどいものもあった。
その一つが、創価学会だった。
私は幼少期のある時期、母に強制される形で、その集会に出ていたのだ。
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