幸せに生きるために、20代の時しておいて良かったこと
これを書いている私は今、30代である。
自分で言うのもなんだけど、今まで生きてきた中で、いちばん精神が安定している状態にあると思う。別にものすごく社会的に成功しているわけでもないし、人に自慢するようなものもないけれど、自分なりに、とても幸せだと思う。というかよくぞここまで来たもんだと思う。
私は普段心理職をやっていて、少し前までは長いこと夜職も並行していた。かつSNSを通して知り合った人たちの人生相談も聞かせてもらっている。
つまり朝も昼も夜も真夜中も、平日も休日も夏休みも冬休みも、常に誰かの人生に耳を傾けているような人間だ。診察室でも、面談室でも、お店でもベッドでもSNS上でも、私の、人に対する関心はあまり変わらない。相手を理解したいと思って真摯にやってきたつもりだ。
これまで何人の方々の人生の話を聞いてきただろう。少なくとも1ヶ月30〜50人×12月×10年だから大体5000人近くなる計算だ。(それってすごいことだ)私のライフワークである。
それだけの人たちの人生を知った上で自分の人生を見ると、まあ最悪レベルとは言わないが、わりと運が悪いというか、前世でなんか悪いことでもした?という感じである。
もともと親から精神病的な遺伝負因を受け継いでいるし、身体・精神的虐待を受けて愛着形成はメタメタだし性被害にも何度か遭っている。そのせいなのか個人的パーソナリティのせいなのか自ら戦場に突っ込んでいく変態的歪みもあって、だいぶアウトな人間だと思う。発症して、自立支援をもらいながら通院して、就労せず結婚もせず実家で過ごす、そんな人生になっていても何ら不思議ではなかったように思う(そういう生き方を否定する気は無い。それはそれで、幸せだったかもしれない)。実際、自死を考えたこともないわけではない。
でも私は結局、自分でも驚くほど普通の、平和なおばさんになった。
今は自分が何者かなんとなくわかっている。若い頃のように周囲の評価に苦しんだり、死にたくなったり、ちょっとしたことで涙が止まらなかったり、ベッドから起き上がれないこともない。何者にもなれない自分を責めたり、世界に絶望したりしない。現実は現実だ。それ以上でも以下でもない。
朝は7時に起きてカーテンを開け、コーヒーを淹れて、猫と遊んで、お弁当を持って仕事に行き、一生懸命働いて帰宅して、パートナーと一緒に美味しいご飯を食べて1日を終える。トラブルがあっても概ね落ち着いて対応し、だいたいのことは感じよく笑顔で対応し、後輩とも先輩とも関係良好だ。専門分野で公の場に呼ばれたり執筆を依頼されることもあるし、プライベートのカウンセリングも割と成功している。そしてSNSはSNSで、大好きな読者さんたちと楽しく関わることができる。たいへん、人に恵まれている。
いつも通り前置きが長くなったけれど、今こうして振り返ってみて、絶望的だった若い頃の自分の“何が”、結果的に私を救ったのか、ということを今回は考えてみたいと思う。一体何が、濁流にのまれて溺れている私をこの平和な地へと導いてくれたのだろうか。
もしかしたら、今まさに濁流にのまれているあなたにとっても、何かの救いになるかもしれない。
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