削ぎ落とすことで、見えてくるもの (夢にも断捨離が必要だ)
子どもの頃は手の届く世界が限られていたし、どちらかといえば、周囲の大人たちに無能な厄介者扱いされることの方が多かった。
だから自分を信じることが難しかった。秀でた能力もなかったし、何かになれるとも思えなかった。「自分の将来の夢」なんて、全然ピンと来なかった。
私はいつも物陰に隠れて、目立たないように、周囲に迷惑をかけないように、ひっそりと息をしていた。
当時の私が誰の目も気にせず自由にできたこと、それは「頭の中で空想すること」だけだった。
私は近所の公園に併設された図書館で本を読み漁り、架空の世界に没頭した。
頭の中はどこまでも自由で、限りがなかった。私は夢中になって、いろんな世界を飛び回った。
小学生の時にはお小遣いで原稿用紙を買い、童話大賞に応募したり、(落ちた)
広告の裏を使ってノートを作り、ひたすら物語を書き連ねた。
当時の私は今の私よりずっと貧しかったし、社会的な力もなかった。
でも、「ひとつのことに熱中する」という姿勢だけは、今の私よりずっと優れている。「やり遂げる」ということにおいてもだ。
今の私は、無駄なものを持ちすぎていて、
本当に大切なものにかける時間が思うようにとれない。
今回のお話は、「削ぎ落とす」ことについてだ。
何を?
限られた人生の時間の中で「やること(やっているのに重要ではないこと)」を、可能な限り削ぎ落とすことについて。
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