
私が嫉妬すらできなかった55歳の美人社長。と、その魅力について。
先日こんなツイートをしたら、
50代美人社長の家に招かれて、ワインを何本も空けながら彼女の事業の話を聞いた。彼女の隣には美しいスイス人の若者がいて、日本の大学で異常気象の研究をしているのだと言った。彼女は子孫も資産もとうに手に入れて、いまは才能ある美男子を養っているというわけだ。強すぎて嫉妬すらできなかった。
— つかふる姐さん (@wornout___) April 26, 2021
「その人についてもっと知りたいです」
「その人の話を詳しく書いてくれませんか?」
というDMを複数いただいた。
ツイートへの反応として、リツイートやコメントはよく頂戴するのだが、こうして個人的なDMを戴くのはなかなか珍しいことである。しかも何通も。
その中にマガジン購読者さまからのDMもあったので、今月のマガジン最後の記事は彼女のことを書こうと決めた。(もちろん、個人が特定できない程度にアレンジさせていただくが。。)
(※マガジン購読者さまからのリクエストはいつでも大歓迎です。こんなの書いて!これが知りたい!とお気軽にDMください✉️)
これは個人的な推測だけど、みんなどこかで、“素敵な年上の女性”の話を聞きたがっているんじゃないかと思う。
女性が男性に遠慮することなくのびのびとその能力を発揮して社会で活躍するこの時代、“バッチバチに成功した女性のロールモデル”みたいなものを、みんなどこかで求めているんじゃないかと思うのだ。
彼女は間違いなく、そういう女性だと思う。
彼女は富も地位も手に入れて、もう誰にも媚びる必要が無い。
お子さんもマンションもパートナーも手に入れて、もう何も憂うことがない。
なおかつ、ものすごい人格者なのである。
実を言うと私も、彼女があまりにすごすぎて、彼女を前にしたときの自分の感情がうまく整理できていなかった。
一緒に過ごす間、悔しかったような、光栄だったような、腑に落ちないような、嬉しいような…
正直私は、これまで女性に嫉妬したことというのがあまりない。
(世界で一番魅力的だと思う女性はいるが↓それは嫉妬とは違う感情だ)
これまで、女性同士で“外見的な美しさ”を競うことにそれほど興味もなかったし、そういうのでマウント取られても「どうぞお構いなく、私の負けでいいですから」という感じだったのだ。
私にはそれよりもっと大事にしていることがあったし、譲れないプライドは顔じゃなくて別のところにくっついていた。だから女性同士のそういう小競り合いにもあまり心乱されることがなかった。
でも、彼女は別だ。
20歳以上年の離れた彼女。
社会的立場も生物学的コンディションも全く異なる、遠い存在。
なのに、私は未だかつてないほどに心乱された。
“嫉妬すらできなかった”とツイートには書いたけれど、この際もっと率直に言おう。
“完敗”だったのである。
美しさも、仕事の能力も、パーソナリティも、心遣いも、家事も、コミュニケーションスキルも、英語も、ジョークのセンスも、ファッションも、メイクも、振る舞いも表情も、とにかく何もかもが、彼女の圧勝だったのである。
こんな魅力的な50代になれるだろうか…?
私にとってそれはほとんど雷に打たれるような衝撃だったのだ。
そう、今になってやっとわかってきた。
彼女は私の“理想の女性像”に近いのである。…たぶん。悔しいけど。。
彼女と関わるほとんど全ての人が、口を揃えて「あの人は特別だ」「あの人はカリスマだ」と言う。
私が尊敬している男性のお客様でさえ、「彼女はすごい人だからね」「彼女が言うならね」などと言う。
そこには「女性にしては」という前置きもなければハンデもない。「美しいから」という色眼鏡もない。女も男も関係なく、ただただ誰もが、彼女を"人として"敬っているのである。
一体なぜ?
ここから先は
¥ 300
いつもありがとうございます。あなたの貴重な時間やお金を、このような形で私に使ってくれること、すごいご縁だと感謝しています。私の力の源です。