見出し画像

今見ているのが世界の全てではないってこと

人間が認識できる世界は、自分が知っていることに限定されてしまうっていうパースペクティブという概念がある。
その人の常識は、その人の知っていること、知っている人の行動規範で作られている。だから、知らない世界や国や人々の常識やルールをみると、当たり前(自分の)から離れているってことで否定気味にもなる。

時には、あんなの非常識だという人もいる。これパースペクティブが狭いなって考えられたりする。(個人的な意見)

僕が考える狭いとか、広いとか、の違いは、選択肢の数。知っている世界が狭ければ、その世界の中での生き方、行動選択しかできない。逆に知っている世界が広ければ、より多くの生き方の中から選択できるし、常識の天井が高くなってアクティブになれる。

パースペクティブ、つまり知っている世界を広げれる方法は、自分とは違う境遇の人たちや、未知の領域を拡大するために広い視点で世界を知ることだと思う。知らない初めてを経験する・場所に行く。

パースペクティブを広げることに僕が積極的になる理由は、限られた世界や選択肢しか見えない限定的な状態から自分を開放することができるから。

瓶の中に入れられたバッタは、フタの高さしか飛べなくなるのも、高さが瓶の底からフタまでしか知らないから。
hey! バッタ!君は本来もっと飛べるんだ!!!

自分はトラなのに、トンビの世界しか知らない。だから必死で優れたトンビになろうとする。トラであるのに。。。(この小ネタはいらなかったな笑)
(例えの表現が伸びしろしかない!!!)

自分の強みが最大化できる生き方の選択ができるならもちろんする。そのために選べる選択肢を多く知る。だから、見える世界を拡大させ続ける。

常識は自分が知っている世界だけで作られているし、知っている世界でしか通用しない。自分の可能性をそんな限定されたもので決めつけるわけにはいかない。

世界はもっと広い、だから

今見えている・知っている景色が世界の全てではない。

無謀でもいいから飛び込んで拡大していこう世界を。

無謀万歳🙌


SASAKI

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?