「世界観とは何か?」<連載12 世界観のストラクチャーを考える③>
前回までに、世界観には大中小あるという仮説と、エンタメや商品から感じるワールドビルディング的世界観というのは、小世界観のレイヤーにあたるのではないかということを書きました。
今回は、より大中小の世界観と、それが日常生活によっては、どんな対象によって支えられたり、表現されているかを考えていきたいと思います。
現状、上記のように大中小の世界観を定義しているわけですが、これは具体的に書くと以下のように合わせられるのではないかと思っています。
大世界観:人種、民族、国籍、宗教
中世界観:文化、教育、家族、共同体
小世界観:趣味、ライフスタイル、個々の人間関係
これらは、ある軸で縦に統一もされているし、多くの人は一本の線ではなく、緩やかに複数のラインが走っていることが多いのだと思います。
大世界観は先天的なものも多く、それゆえ変え難く、自分の根本を形成していることが多いと思います。その中で宗教は、後天的なものとも言えますが、大世界観から小世界観までをカバーした総合的なものであり、強い世界観を持っていると言えます。
中世界観、小世界観となるにつれて、より後天的であり、個人的であり、時と場合によって使い分けやすくなっていきます。
芸術、エンターテイメント、交友関係、恋愛などによって、受け取ったり、一時的に染まる世界観というのは「小世界観」に分けられ、それがその人の一生を左右する場合もあり得ますが、刹那的なものも多いでしょう。
しかし、それは無駄なことではなく、そこで交流した世界観を元に自分の世界観を検証し、自分にとって最善な世界観への更新の可能性や、時代などを加味した細かい調整は常に行われていると思います。
重要なことは、「ワールドビュー(世界を内側から見た時に見える世界のあり方)」は、多くの場合、経験や外部からの刺激、知覚によって変わることがほとんどなことです(哲学、瞑想のような気づきもあると思いますが、実体験の方が多いという前提で話を進めます)。
その意味では、「ワールドビルディング(世界を外側から見た時に見える世界のあり方)」は非常に重要なチャンスです。同じ世界観で安心しているだけより、違う世界観と交流、体験することによって、気づきや学びがあります。
人間には、変わりたくないという気持ち(ホメオスタシス・恒常性)と、変わりたいとという気持ち(トランジスタス)がありますが、いずれにしてもどちらかが生存に有利かという話です。
その場合、太い軸(大世界観)を持ちつつ、確信が100%でない限り、それを強化するため、あるいはそれが立ち行かない時のための世界観を用意しておくことが重要になります。
また逃れられない大世界観を持ちつつ、そこからいっとき逃避するための中世界観、小世界観というのもあるでしょう。
大中小の世界観がどう連続性を持っているかを意識しつつ、今自分が向き合っている(浸っている)世界観がどのような本質を持っているかを考えるのはとても重要なことだと思います。