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「世界観とは何か?」<連載10 世界観のストラクチャーを考える①>

連載070809と、「なぜ人は「世界観」を求めるのか?」というテーマで書いてみました。

そこで考察したことをまとめまると以下のようになります。

「世界観」は、人生経験の集合として、その人の中にトータルに形成されるが、それは、生存確率を高めるために磨かれると言っても過言ではない。つまり「世界観」とは、リスクを避けて効率よく生きるための機能とも言える。

これは連載040506と、三宅陽一郎さんとの対談をもとに、環世界という切り口から世界観を考察したところがベースになっています。機能環や環世界といった人間の認知機能への理解をベースに、動物的な意味合いで人間の世界観の形成を考えることはとても重要なステップでした。

この機能的側面、あるいは結果論的に構築されるがその効用がどのようであるかを考えることによって、世界観の本質がより見えてくるのではないかと思うのです。

私は、現在、下記のような仮説を持っています。

・世界観にも、大中小がある。
・大世界観は、その人の生き方の軸となるものであり、基本は一つ。
・中世界観は、生活する文化などによっても変わり、大世界観と繋がりつつも、変化、あるいは複数持つことが可能。
・小世界観は、その時触れるもの、選ぶものという形でシーンやフィーリングに合わせて、都度選択する。

この仮説に至る経緯として、先日、ブランディングのスペシャリストである工藤 拓真さんと対談したことが大きいのですが、ブランドという概念と世界観の差異を議論していく中で、このような仮説を持つに至りました。

基本的に、世界観は「大世界観」のことを指している概念だとは思うのですが、日常に「○○の世界観好き~」みたいな形で、世界観が着脱可能なものとして語られることを考慮すると、このような形で分類することがで、現実的だと考えたのです。

私たちは、日々聴く音楽、観る映画、立ち寄るカフェなどで、世界観を感じては楽しんだり、影響を受けています。人間の営みは、全てが世界観交流と言っても過言ではありません。そして生存確率を上げるという切実な意味合いではなく、もっとカジュアルに自分の心地よい世界観を選択するという行動決定の方が圧倒的に多いです。

もちろん、時には人生の中での大きな選択を迎えたり、生きるのにも切実な時間を過ごすこともあります。その時に自分の選択を支える世界観は、カジュアルに着脱可能な世界観ではなく、自分の中に蓄積、結晶化した大世界観でしょう。

そのような自分の核(コア)と言ってもいい大世界観と、日常的にカジュアルに触れる小世界観は、連続性を持っていることは間違いがありません。しかし、時に矛盾した価値観が同居していることもあるのが人間です。

それを一つの価値観として厳密に捉えたり、小世界観を軽視して世界観の枠から外すよりは、、”使い分けている”という捉えた方が正しいのではないか、そんな気がしてきているのです。

次回は、ワールドビュー、ワールドビルディングの話は加えて、考察を伸ばしていきたいと思います。

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