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『空っぽの空に潰される』って「曲なんだけど...

『空っぽの空に潰される』って曲なんだけど…..................................................何ですかこの劇薬は!さながら人類史に残るkind of 対症療法!まずタイトルに秋田節がありありと滲み出る!空っぽの空?潰される?あぁ、なんと尊い表現なんだ。もうタイトルだけですべてが報われるが、このまま曲に触れないわけにもいかまい。正直この曲は隅々まで嘗め回し...いや、語りたい。が、私の個人的な時間制限、物理的、な字数制限によりかいつまむことをお許しくださいませ。

まずはここ。「お金は多いほうがいい、友達は多いほうがいい、安心は多いほうがいい、結局幸福とは何だ」
そうだよそうなんだよ。。まさに私が知りたいのはここだ。何をもって人は満たされ幸せだと言えるのか。そもそも昔から疑問だった。何をやっても虚しい時が定期的に襲ってくる。友人たちとはしゃいでいるのになぜか三者的な冷めた私が俯瞰している。心にぽっかり空いた塞がらない穴はいつ誰が埋めてくれるのだろうか。人類史はこんなに長く、科学だけを見ればここまで前進しているのに、不思議なもんでこの答えはまだ出ていない。「幸福とはなんだ」で終わるのがまた良い。「その先の答えは諸君に任せるよ」といいたげなアンニュイな問いは秋田節の一つであろう。ここで軽率に答えを出さないのがまた良いよね。

サビの「虚しい時はどうすりゃいいの?教えて、教えて」と言い表現。ううん!知りたい知りたい!代弁だよ。これはまさしく全私の感情を代弁している。その得体のしれない虚無感を秋田氏は「空っぽの空」と表現する。もうここまで来たら空いた口が塞がらない(心も)。

惜しみながらも次に行かせてくれ。2番の流れを全て咀嚼したが、あえてピックアップするならば、「だから今日は記念日だ。戦った僕の記念日だ。ただ一つだけ問題がある。まったくもって虚しい今日だ」とある。素晴らしい構成。そこまでの歌詞は、全てここを重点にするための歩兵だ。私は確かに人類史においては失敗作かもしれない。嫌なものは嫌と言って逃げ続けるし。。しかしそれでも戦ってきた。自分がそれでいいなら記念日にしようじゃないか。そう!ここで歌詞は終わりでいい。サビに入ればいい。しかし終わらないのがamazarashiだった。そこで空っぽの空に潰されかける。全くもって虚しい今日。。。絶望だ。どんなに自分を騙し取り繕っても、虚無は常にお前を見ているぞという絶望だ。まったくもって虚しい今日だという一文がそこまでのすべてすべてを飲み込む。だが我々はこの流れを絶望を全く異質なものと思わない。なぜなら皆一度はこの絶望、急降下を経験しているから。このストーリー性が私をamazarashi中毒にさせる。

曲が終盤に差し掛かる。

「どっかに忘れ物をしたよ、教室か母のお腹の中」

!?。教室と母のお腹を並列に持ってくるこのセンス。極めつけの倒置法。この話芸は感無量である。そうだ。振り返れば、先天性や青春に忘れ物が多い気がする。。あったら何かが変わっていたかもしれない才能や思い出を「忘れ物」と表現するのは難しい。それを秋田氏はやってのけるのだ。
この曲を通しで聞いても、結局虚無の正体は掴めないし、欠片も道しるべが示されていない。それでもなぜか心は晴れ晴れとする。まるで本を一冊読んだ後みたいだ。たった5分弱で私の心をここまで揺するとは何とも恐れ多い方々だ。恐るべしamazarashi。。。。しゅき。。。

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