子どもの発言の裏にあるもの
支援級の支援者として1年の交流学級(支援級在籍の子が交流しに行く通常級)に行ったときの事
ある女の子がやってきて聞くのです。
「私は〇〇学級(支援級)に入れる?」
突然何だろう?って思いますよね。
私は、支援級の児童がいる学年(状況に応じて在籍のない学年にも)には年度始めに支援学級の説明をしに行きます。もちろん、支援級在籍児童の親御さんの許可を得たうえで、児童名は出さずに説明を行います。内容としては以下のようなものです。
誰しも得意なことと苦手なことがある。
〇〇学級の子たちも同じで、得意なことと苦手なことがあって、でも、みんなよりちょっと苦手なことが多い。
みんなと同じスピード、同じ方法で勉強したり活動するのは難しいこともあるため、〇〇学級で、自分に合ったスピードや方法で学習をしている。〇〇学級は、みんなの教室と同じで勉強をする教室。
〇〇学級にいる子たちも、みんなと同じ〇年生の仲間。
みんなと同じようにはできないこともあるけれど、みんながちょっとだけ優しい気持ちで助けてくれるとできる事か増えるから、できる時にはちょっとだけ助けれくれると嬉しい。
学年の成長段階に合せて、言葉を変えながら話します。先生たちにも得意なこともあれば苦手なこともあるんだよ〜と、具体的な例をあげて自己開示もしておきます。これは、「知らないことが差別を生む」という考えからです。人間誰しも、知らないものには怖れを抱くものだと思うからです。
私だって、宇宙人が目の前に突然現れたら、警戒します。相手がどんな意図を持っているのか、友好関係が築けるのか、敵対関係になってしまうのか、情報がなければわかりませんからね。
さて、上記のような説明をした上で「私は〇〇学級に入れる?」あるいは、「入らなきゃいけない?」と言ってくる子には、今までの経験上2タイプの子がいるように思います。
タイプ1
本人自身が、自分の苦手な事の多さやしんどさ、周りとのペースの違いに気づいて居る場合。
少し学年が上がると、時々います。勉強がすごく苦手なんだけど、持ち前の明るさやキャラクターで周りとはそこそこうまく関係が作れている子なんかが、休み時間に顔を覗かせながら「いいなぁ〜、ぼく(わたし)も〇〇に来たいな〜。」と呟いたりします。
勉強では丁寧なフォローが必要ですが、いい友達もいて集団にはそこそこ適応している子が多い印象です。
タイプ2
親等、周囲から「〇〇に入らないといけなくなるぞ」などの言葉掛け(脅し)をされている場合。
残念なことに、結構な割合で出くわします。当然ながら、支援級の児童のことを下に見ていますし、本人の自己肯定感も低いです。自己肯定感が低いため、周りとの関係性にも問題が生じやすく、様々なトラブルを起こしがちな印象があります。
さて、今回の小学1年生の女の子の場合はどうだったかというと、残念ながらタイプ2でした。どうしてそんなこと聞くの?と聞いてみると、
「みんなと同じようにできないなら、〇〇に行かなきゃいけないぞって言われたから。」
と言いました。
親御さんの言葉は、子どもたちにとって非常に重いものです。道徳教育とか、人権教育とか、福祉教育とか、学校に求められる□□教育は山ほどあり(たくさんありすぎて数えたことはありませんが、一説には100以上あるとも聞いたことがあります。)、教員は限られたマンパワーと時間の中でそれらのすべてをこなさなければなりません。
しかし、教員がいくら一生懸命に取り組んだとしても、親御さんの言葉一つで水泡に帰すなんてことはザラです。教師とはいえ人間、彼女の言い様にカチンと来てしまったりしますが、彼女に腹を立てても仕方がありません。彼女の責任ではないからです。私たち教員には、徒労に終わろうとも、繰り返し子どもたちの教育を行うしか方法はないのです。
「子どもたちはね、どんなにハチャメチャな子たちでもいいのよ。なんとでもしようがある。それは教師の専門性、腕の見せ所だから。
問題は親よね。親がどうしようもないクラスは本当に大変だし、持ちたくない。」
かつて先輩教師が言っていた言葉が年々身に沁みます。