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【世界一周・旅のカケラ #16】パンガン島の静かな日常と違和感

夜に向けて賑わいの増すパーティー島ではあったけれど、パンガン島もまたタイの南部の島のひとつに過ぎない。

この何年か、いや何十年かは知らないけれど、それほど長くない歴史のなかで、多くのヒッピーやバックパッカーたち(主に欧米)のニーズに合わせて、生き残るために変化してきたような島だ。

誰が悪いでもないし、誰がすごいでもない。

でも光のあるところに必ず闇があるように、パンガン島はドラッグにまみれ(島の注意書きにも書かれてある)、パーティーの翌日にはビーチの上にごみが散乱していた。

私は酔っぱらってもごみをその辺に捨てないし、この後も含めどれだけドラッグをする人たちに囲まれても、自慢じゃないけど一度も手をつけたことはない(興味がなくて)。

でもここでパーティーに夢中になる人たちにとって、飲んだり食べたりしたものをそのままビーチに放置することは、日常茶飯事という様子。

出発の朝、午前10時半頃にビーチに出てみたら、現地の清掃員らしき人々がごみを片づけてくれている様子が印象的だった。

その向こうには、まだ音楽をかけて陶酔しているヒッピーたちが舞っている。

妙な風景だった。島はもう日常を静かに始めているのに、一部、昨夜からの時間を引きずっている人たちが同じ場所にいる、ということ。

私だってそのひとりだから、決して偉そうなことは言えないけれど。

美しいビーチが見たくて世界中から人が集まるのに、そのビーチでパーティーをして平気でごみまみれにする価値観に、私は違和感を覚えていた。

もちろん現地の人も、こうしたバックパッカーたちが散財することで生活が潤う一面があるのだとしたら、これは皮肉なループと言わざるを得ないね。

パーティーの最中には見えてこない。だからこそ散々パーティーをして飲み散らかした人々よ、午前中にビーチに行ってみて欲しいと思った。

でもこういった違和感は、これから旅する世界中で程度の差はあれど、味わうことになるのだけれど…。

旅のあいだに私はなお一層、「立つ鳥跡を濁さず」を自分の信条のように掲げて、世界を放浪するようになっていった。

それは安宿でも、旅中にお世話になった人に対しても。

今思えば、その最初のきかっけのひとつにこの島は、なっているのかもしれない。

私は足元に落ちていたごみくずを数個拾って、前夜からまだふらふら踊っている人たちを横目にそのビーチを、そしてパンガン島を後にした。

私にとってこの島は、ジョンとのわかれを吹っ切るチャンスであり、南部への旅の始まりなのだ。

この数日間、傷心の私の相棒になってくれたイギリス人のKとはここまで。

彼がいなければ私はここで、もっと所在ない感じに過ごしただろう。気持ちの切り替えができたのは、誰でもない彼のおかげと言える。

私が次にバンコクに戻っても、彼はもういない。

「miaは、バンコクでできたベストフレンドだ!」なんて言ってくれて、ベストフレンドって両者の同意がなくても成り立つんだね!笑

でもその気持ちは純粋に嬉しい、ありがとう。

そして、よき旅を!

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