【追憶の旅エッセイ#7】肥大化する冒険心を満たしてくれたオーストラリアの辺境の地
子供の頃から、冒険という言葉に弱い。
命を懸けて自然に挑むとか、アルピニストや冒険家を名乗る人々に。いつもそういった人たちの存在を目の端に認めては、ひとり密かに胸を焦がすほどだった。
いつかの前世で私はきっと、どこかのピーク(山頂)を登りそびれたに違いないと、心のどこかで本気で信じている。
そんな私の野望をほんの少しだけ、形にして叶えてくれたのがオーストラリアだった。それもNorthern Territory(ノーザンテリトリー)やWestern Australia(西オーストラリア)の、さらに辺境の地といった場所ばかり。
カカドゥ、ツインフォールズ、キンバリー、バングルバングル…、そしてゴージ、ゴージ、ゴージ!その響きだけで瞬時にあの日々を思い出す、ハイライトの地だ。
ひとり旅だったので、アドベンチャー系のツアーに参加した。
1週間以上、12人のメンバーと1人のツアーガイド。
ツアーとはいっても、一般的に簡単に想像できるような全てが用意されたようなそれ、ではない。
キャンプファイヤー用の薪は自分たちで集め、テントは自分たちで張り、ホットシャワーは1日しか浴びた記憶がなく、水があればそれが冷水でも風呂代わりと泳ぎ、岩や崖は足をぶつけながらもとにかく乗り越えた。
目の前に現れる障害物をひとつずつ超えていく、それはまるで自然を相手にしたゲームのようでもあった。
もちろんツアーガイドは全力でこのツアーが滞りなく進むように最善を尽くしてくれたけれど。それでも、この日々は私のその時までの人生の中で、「冒険」と呼ぶに値するものだったのは、間違いない。
素晴らしくダイナミックな景色は、全然出し惜しむことなく次から次へとその姿を見せてくれた。
でも時には、200m以上泳いでしか辿り着けなかったり、腰まで水に入って歩くしかなかったり、足を岩場や水に幾度となく取られながら辿り着く、そんな場所も多くあった。
その時まで日本の都市で、普通に暮らしていたら到底思いもつかないような発見や、経験もたくさんした。
何日もシャワーを浴びれず、ガソリンスタンドの洗面所で顔を洗おうと持っていた石鹸を泡立てたら、その手を覆っていた赤茶けた土も泡立ってしまい、自分の手を普通の状態に戻すためだけに私はいつまでも手を洗っていたっけ。
満月のときは、トーチ(懐中電灯)が要らないのだと知ったのも、この時。陽が沈んでまず現れるのは、零れ落ちんばかりのミルキーウェイ。その美しさに首が痛くなるほど見上げていると、そのうちどこからともなく巨大な満月が昇ってくる。その瞬間は、周りがピカーッと光って満月の存在を教えてくれるのですぐわかる。一旦月が上がりはじめるともうあの星空は見えない、月の光に全てが飲み込まれてしまうから。その圧倒的な満月のパワーを、何もないだだっ広い砂漠のような場所に寝そべって感じていた。
夜は最初こそテントを張っていたものの、すぐに誰もテントで寝る人はいなくなった。寝袋をカバーするスワッグというものを借りて、その中で寝る。好きな音楽を聴きながら、満月や星空を見上げていつの間にか眠りに落ちる、その素晴らしさや恍惚感を知ってしまうともうテントでは寝られなかった。
そしてゴージ。ゴージとは渓谷のことだけど、この日々で唯一の日課のようなものが、ゴージトレッキングだった。1日10km以上歩く日もあり、とにかく身を粉にして、というとちょっと違うかもしれないけれど、本当文字通り、体をボロボロにして毎日とにかく歩く日々だったのだ。
打ち身かすり傷は日常茶飯事、日を追うごとに筋肉痛で足も背中もバキバキになり、最後の方ではバンから降りるのももう精いっぱいという感じ。
ツアー、とはいうものの皆が本気だった。本気で自然を遊んだ日々。
それは、私が切望してもなかなか術もなく、ただ憧れが募ったあの冒険、という言葉をまさに表すような時間だった。
もちろん一人ではなく、それがこのツアーのいいところでもあった。世代も国籍もバラバラの、たまたま集められた12人がみっちり寝食を共にする。これもまた、私にとっての冒険だったのだと思う。
その後も旅の日々は続いたし、ある意味でもっと冒険をしたこともある。そもそも人生そのものが唯一無二の冒険である、と今頃になって気づいている。
でも私にとっては、全ての冒険の原点がこのアドベンチャーツアーにあると思うのだ。
今もこれからも、人生がうまく立ち行かないとか、頭で考え過ぎてあれこれ思い悩むときは、あの大冒険を思い出したい。夢中で体を動かし続けたから、一歩ずつでも前に踏み出し続けたからこそ見えた、辿り着けたあの絶景のことを。
そして今、あのころのように無我夢中で前に進もうとしているか、と問いたい。頭で考えるのではなく実際に体を動かすことの大切さ、それでしか掴めない現実があることを、私はきっとあのときに学んだみたいだ。
◆旅帖より◆