無題

【追憶の旅エッセイ#20】南半球最大の歓楽街で過ごした閉鎖的かつ豊かな日々・2

無料のお米やパンに釣られたやって来た、眠らない街キングスクロスに存在する韓国人経営のD宿。

そこは佇まいこそひっそりとしているが、内部ではその無機質な入口からは想像もできない賑やかかつ濃密な時間が繰り広げられているのを、そこでの生活で知ることになる。

部屋には自分のスペースはベッドくらいしかないため、必然的に人々は共有スペースに集まることになる。

D宿にはキッチンと隣接のリビングルーム、そして洗濯物が干せ、遠方にハーバーブリッジを臨むルーフトップ(屋上)がある。

屋上で夜な夜な皆が集まってお酒とともに語らっているのは、毎晩漏れて来る笑い声や大きな話し声で知っていた。でもお酒をほとんど飲めなかった当時の私は、きっと楽しめないだろうとリビングで食事やその後のまったりとした時間を過ごすのが常になっていた。

食事と言っても大層なことはなく、滞在者に無料で提供されていた保温状態の炊飯器に入った白ご飯、薄いスライスの何斤ものパン、そして砂糖とマーガリン、粉コーヒーと紅茶。

これらを組み合わせたり、レセプションで売られている何かを組み合わせたりして、いかに節約した食生活ができるか、などを楽しんでいたような…。

例えば焼いたトーストにコーヒーと砂糖、マーガリンを混ぜたものを塗った「コーヒーブレッド」や、辛ラーメンとキムチを購入しそこにご飯をぶち込んだ「(具のない)韓国鍋」など、だ。なんと貧乏臭い…!苦笑

そんなことも楽しめてしまえるのは、きっとラウンドトリップを達成した満足感や旅のゴールが近いことへの安堵などがあったからだろう。そう、経済的にはギリギリでも、心にゆとりがあったように思う。

そしてキッチンも、紛れもなく私たちの社交場だった。

もちろん皆が私みたいに旅の最後を過ごすだけ、ではない。だから働いている人はレストランやベーカリーの余りものを持ち帰ってくれたり、韓国人たちはよくシェア飯(具あり)をして、声をかけてくれたりした。

一晩、また一晩とこの宿で過ごすうちに、そんな風に顔見知りが増えていき、食事後に屋上へお誘いを受けるようになった。

グループ行動が得意ではない上、お酒という社交ツールを使いこなせなかった私にとって、「屋上へ行く」という行動の先にある未知の世界は、想像の域を越えなかった。

でもその日、いつものごとくキッチンでご飯を食べていると話すようになった韓国人の誰かに連れられて、私は初めてその扉を開いた。

しばらくすると、いつも漏れてきていた談笑の中に、自分もいた。

無料のコーヒーを持参したが、もしお酒を振舞われたらもらおうと決めていたので、恐らくビールの一本や二本は飲んだかもしれない。

屋上にいたのは韓国人、日本人、少数派のヨーロピアンたちで、館内でときどき見かける顔も交じっている。韓国人経営の宿とあってスタッフは皆韓国人だから、韓国人率が高いのはまぁ当然で、でもそこに集まる日本人たちも韓国語がペラペラだったり韓国好きだったり、した。

おかげで妙な連帯感がその空気を包んでいたように思う。

そして少数派であったヨーロピアンたちも例に漏れず、屋上で出会う人たちは良くも悪くも「変わった人」たちが多かった気がする。

ワーホリ生のみならず、学生、中年の旅行者など、置かれている立場もそれぞれだったし、そんな枠を軽々と飛び越えて、強烈な個性を発している人も多かった。

D宿の屋上ではそんな個性がぶつかり合うことなく、それぞれを受け止め合い、抵抗なく馴染んでいるのだった。だから私もあれほど心地良かったのだと気づく。

外から見ていたときにはお酒を飲んでただバカやってる、のかと思っていたけれど、中に入ってみて新たな世界を自分で発見したことが嬉しかった。

そう、ちゃんと自分の目で見ないと、感じられない・語れないこと、というのは確かにあるのだな、と。

私はその晩以降、ほぼ毎晩のように屋上へ出入りするようになり、そこでオーストラリア、ラウンドトリップで最後の交友関係を築くことになったのだ。

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