閉塞感を経験したからこそ、当たり前が輝く
チェンマイの見通しが、文字通り悪かった。そんなnoteを書きました。
2023年3月から4月、チェンマイにいた人たちとは、無条件に理解し合える気がする。だってあの鬱々とした日々を通り抜けた、同士だから。今までもこれからもあんな経験は恐らく、あの一度切りになるだろうとは思っている。
でもその場にいたからこそ、伝えられることがある気がする。チェンマイで有名な大気汚染について私の体験を綴りたい。
pm2.5はどこから来るのか
チェンマイでは、毎年2月頃から4月のソンクラーン頃まで、pm2.5による大気汚染が深刻だ。そしてそれは年々深刻さを増している。
pm2.5といえば、日本では春先に近くの巨大なお国より風に乗ってやってくる、あれ。花粉の時期とかぶって、その頃の日本って敏感な人にとっては空気があまりよくないイメージがあると思う。
ただ、チェンマイのそれは、他国から流れてくるものではない。タイ北部で行われる、伝統的な焼畑農業に起因するものなのだという。政府も手を打つべく、農家たちと交渉したり対策を考えたり…したとかしていないとか。どうも、一筋縄ではいかない様子。
自国で生み出したpm2.5に自国民たちが苦しんでおり、実際に死者まで出ているのだから皮肉なものだ。
AQIってなにそれ、美味しいの?
そのpm2.5がどれくらい空気に混ざっているか、その指標となる「空気質指数 AQI」というものがある。AQIは、大気汚染モニタリングにより空気中の粒子状物質(つまりPM2.5)や二酸化硫黄などの汚染物質の濃度を測定し、空気の汚染度を指数化したものだ。
この時期チェンマイに暮らす人たち、特に在チェンマイ日本人は毎朝、毎時間、AQIをチェックする。チェックせずにはいられないのだ。
この時期のチェンマイの「ヤバさ」を知っていただきたく、数字をお見せしよう。それも、こ、これは…!としばらくその環境に慣れた私でも、唸ったレベルの数字を。
さらには、こんなときもあった。
これらの数字を見過ぎて、私たちはアプリを開いて、色で瞬時に判断するようになる。空気が澄んだ地域だと緑、少し高めだとオレンジ、という風に…。
ちなみに同時期の日本の指数は、40~60程度で100を大幅に下回っているのだから、その危険度がわかっていただけると思う。
文字通り、見通しが立たない日々
これが実際の暮らしにどのように影響するかというと、まず朝起きてカーテンを開けて見える景色が、どこまでも霞んで真っ白!そして「また今日も…」と肩を落とす。体調よりも心に先にくるんだ、と知る。
よく空気汚染の目安にされるのがチェンマイの象徴的な寺院、山の上に建つドイステープだ。「ドイステープが見えない」のは、空気が濁っていることの証というわけ。トップの画像に使っている写真も、山並みを写したもの。少し峰の部分が見えるけれど、ドイステープまではとても見えない。
見通しが悪い、悪すぎる…。
このおかげでただ散歩したり、出かけて新しいカフェを開拓したり、人と出会って交流したり、そういうことがことごとくできない。そんなチェンマイの最初の一ヶ月だった。時間が限られているにもかかわらず、生産性のない日々がただ過ぎていく…。
ちなみに部屋を探すのも、外を歩いて何件もインスぺクション(内見)する余裕もなく、最初に3日間泊まったホテルから近いも候補の中から、さらにピンときた物件2軒に絞って即決した。それも数値の低いタイミングを狙って…。
そんな始まりと部屋探しだったにもかかわらず、結果的に、これ以上ない好立地で最高の物件だったのだから、空気とは裏腹に、私の直感は冴え渡っていたようだ。
汚染された空気の中、何食べよう
pm2.5はあまりに小さい粒子ゆえ、肺に入ったらどんどん奥まで入りこんでしまってやっかいだとか。マスクも通常のものでは効かないから、微粒子対応のものが必要になる。
そんなだから、数値が高いとやはり外へ出るのもおっくうになってしまうもの。私が数値を毎時間チェックしてしまったのは、数値が下がった時間帯に食事を調達しに行くためだ。
数か月の滞在中、サービスアパートの一室を借りていたのだけれど、タイのアパートにはキッチンがないものが多い。あったとしても簡易なものだったりする。そのため、毎食を外食に頼ることに。でも空気がこんなだと外へ出る気も失せてしまう。そういうとき、本当にお世話になったのが宅配サービスだった。
日本ではウーバーや出前館があるけれど、チェンマイではGrab(グラブ)やFood Panda(フードパンダ)で、本当にありがたい存在なのだ。こんな空気のなか厳重なマスクで食事を届けてくれる彼らに、私は感謝の気持ちでチップを忘れなかった。
意識を向ける先は…
毎朝毎朝、カーテンを開けて、また今日も…と落胆する。期待もしていないのに、落胆する。
見通しの立たない日々に、少し焦る日々でもあった。行きたい場所も、やるべきこと(ビザの更新など)も、なにもできていないのに時間ばかりが過ぎていくのだもの。
それに部屋のなかも、どの程度安心なのかがわからないままだった。チェンマイ在住の人のSNSで「室内で空気清浄機をつけて籠っていれば大丈夫」という発信を見ても、私は外から空気が入って来るような建物の中で「ノー・空気清浄機」で過ごしているのだから。
この状況は予想していたし、心の準備もしていたけれど、あまりにも続くとさすがにうんざりもしてきた。後で知るところ、どうやら私が滞在した年は近年まれにみるでも長期戦だったそうだ。
*
そんなかでも、いつも意識していたのはこれらの塵が消失し、チェンマイの真っ青な空を見られるという現実。この状況はどのみち続かないのだから、一か月もすれば(渦中は長く感じるけど)、いずれ空は晴れる。
そっちにフォーカスすることを忘れなかった。でも次の瞬間には、また真っ白な空間が目の前に立ちはだかる、少し落ちる、意識を変えるを繰り返した。
なぜか、人の意識がフォーカスした方に現実は創られていく、から。これは疑いようもない事実。意識をいつも気分が上がる方、明るくなる方に向けておくことは、今どういう現実を生きるかを左右するカギとなるのだ。
結果的に、外(現実世界)がどうであれ影響を受けなくなったりする。明るい気分は明るい現実を創るのだから。そのためかはわからないけれど、私は結局、咳込んだり肺の調子が悪くなることは、一度もなかった。
空気清浄機を求めて
幸運だったのは、ノマドカフェとして使えるスポットのひとつが、滞在先から徒歩2分のところにあったこと。そこには空気清浄機がしっかり働いていたし、感じのいい店員さんやほかのノマドたちもいた。あぁ、ひとりじゃない、そのことがここまで心強いのは、一歩外に出ると得体の知れないものに満ちている、という未知すぎる環境ゆえだろう。
また、少し数値が低いときには、少し足を延ばしてスタバへ行った。最近すっかり足が遠のいていたけれど、実はスタバは日本に入ってきた頃、働いていた古巣(ホーム)でもある。やはりお金がかかっていることもあり、空間の快適さは間違いない。
心なしか、スタバにしては空いている印象だった。やはり家でこもっている人が多いのかもしれない。スタバに来た理由は、少しでもいい空気を吸いたかったから!
実際は、この日なんと空気清浄機が何台も回っている店内で、AQI181まで上がっていた。
スタバは広々していて、長時間過ごすのに向いていたのはよかった。部屋からも比較的近かったし。そしてなぜか仕事に集中しやすい空間でもある。
これらのカフェが、そしてもちろんどのカフェもpm2.5を理由に閉めたりしない(と思う)。普通の営みが行われていることは、人々の心を健やかにしてくれる、これは間違いがない。
ソンクラーンで吹き飛ばす
実はこの期間に、ソンクラーンがあった。ソンクラーンとはタイの旧正月の伝統的なお祭りで、近年では水かけ祭りとして知られている。チェンマイでは丸3日の開催だった。
いつも以上に鬱々とした日々を過ごした後の、しかも4年ぶりの制限フリーのソンクラーンだったのだ。外の空気がどうであれ、ソンクラーンが近づくうち、人々のなにかを企んだような嬉しそうな笑顔を思い出す。
近年のお祭り自体は、ある意味とんでもない水かけ合戦なのだけど、いたるところに水が舞い、誰もがずぶ濡れになりながら、弾ける笑顔をたくさん見たあの3日間。思い出すだけで、今でも思わずにやけてしまう…。
外出のままならない空気の悪い中を、忍耐強く生き抜いた後だからこそ、とんでもない開放感を味わえたこと、そして世界が輝いてみえた!
ソンクラーンの後は、もう少しアップダウンがあったものの、すぐに元の空気に戻っていった。ドイステープが見える、山々がクリアに見える、自然豊かなチェンマイらしい空気に…。
見通しがいいのも、深呼吸ができることも当たり前じゃない、まさかそんな世界に自分が身を置くとはな!
あの日々は、本当だったのかな、と思う。まるで現実離れした、不思議な空気に包まれたチェンマイ。そこにいたことは、もう俄かには信じがたい。
*
もちろんその年だけではなく、チェンマイでは引き続き大気汚染に悩まされている。そこを去った者としては関係がない問題、なのかもしれない。でももう、あの地で暮らす人たちを知ってしまったから。そして一度だけでも、かなり濃厚な時期を経験してしまったから。そしていつかまた訪れたいから…。決して他人ごとではいられない。
とはいえ、大きな課題だから私ができることなんてないように思う。ただチェンマイで日本人サポートを行う男性は、それでもチェンマイの魅力を広げより多くの人がこの地を訪れることで、何かが変わるかもしれないから、と発信を続けている。
このnoteが少しでもチェンマイに、チェンマイと切っても切り離せない大気汚染の問題に関心を持ってもらうきっかけになれば、と願っている。