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【追憶の旅エッセイ#4】灼熱のサイクリングとデズリー。

誰にでも、五感に紐づいた記憶、というのがあると思う。

私にとって、デズリーのアルバム「Supernatural」のサウンドがそれだ。「Life」が流れ始めると一気に、目の前には色彩の濃いオーストラリアのとある景色が広がる。

それは明らかに日本とは違う高く真っ青な空と、どこまでも続くアスファルトの車道。そして「Best Days」「Down By The River」と頭の中で続いていく。その中で私は、果てしない気持ちで自転車を漕いでいるのだ。

こういう記憶って、五感を使って何かを見たり聞いたり嗅いだりした瞬間、身体が反応して勝手に手繰り寄せられるもので、自分の意識下にはない。

その場所はオーストラリアの西海岸の半島の横にちょこんとある小さな町、エクスマウス。

だいたい名物である「ジンベイザメとのスノーケリング」をしないなら、エクスマウスでできることはほぼない。

ただ海が美しいことは間違いなく、毎朝寝坊してシャトルバスに乗れなかった私は毎日自転車で、それらを巡った。

どこまでも見通しのきく車道を、どこまでも高い青空の下、灼熱の中、ただひたすらに漕いだ。ビーチに行く前に灯台に寄ったりするから、余計過酷さは増す。

1日40km程度、漕いだ。

きっかけは、泊まっていたキャビネットが同室で仲良くなったドイツ人のサンドラが、そのコースをするというので、私もマネてみたのだ。

屈強かつ長身のドイツ人の彼女と、私の小柄な日本人の平均的な体では、負担がずいぶん違ったはずだが、彼女にできて私にできないはずはない、とそのときは思ったのだろう。

コンクリートの車道には蜃気楼が見えた、道路の端にはカンガルーの死体が熱風に吹きさらされていた。ヘルメットをした頭からは汗が流れ落ち、サングラスを濡らし視界を澱ませる。

そんな過酷な状況下でも、耳元ではデズリーが爽やかに歌いかけている。濃厚な視覚と軽やかな聴覚、お互いがいい塩梅に薄め合って中和してくれているようだった。

コースの途中に含まれていた丘の上の灯台。もちろん飛ばしてビーチに行くこともできたが、後から「あそこ行った?」とサンドラに聞かれて答えられないのが嫌だったのだろう、呆れるほど負けず嫌いな私。

そうか、書いてて思い出せば出すほど、私はサンドラと張り合うためにサイクリングをしていたのだ!

そんな風に私は、ひとつずつ世界の旅人の背中を見ては自分の枠を広げ、底を押し上げて、少しずつ成長していったのだと思う。

CDプレイヤー(!)のリピートボタンを何度も押し、耳元では最後まで軽快なデズリーの歌声がさえずっていた。ボロボロになっていく私の肉体に反して。

そのコントラストを今もなんとなく思い出すことができる。

◆旅帖より◆


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m i a*旅する自然派ライター|エッセイスト
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