【追憶の旅エッセイ #57】氷と雪の中を淡々と旅するカナダ横断は、寒さと痛さとの闘い
あれほどのオーロラを見てしまったら、北アメリカ大陸を横断するという以外に、冬のカナダに目的はない。
ただせっかくのバス移動だからと、エドモントン→カルガリー→サスカトゥーン→ウィニペグなどに立ち寄って、数泊ずつすることに。
せっかくだから全部やってやろう…。そういうところに、当時の私の「貧乏くさい旅人っぽさ」が現れている。いやそれは「純粋な好奇心」とも呼べるものかもしれないけれど。
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ただ冬のこの時期だったためか、凍った地面を滑りそうになりながら歩いてやっとの思いで辿り着いた宿が閉まっていることも多く、何度も心が折れかける。
サスカトゥーンにいたっては、気軽に泊まれる宿もなく天候もいまいちで気分も上がらず結局、滞在時間13時間で再び長距離バスに乗り込むはめになったり…。
そしてなにより、経験したことのない寒さが身に応えた。
あるときのニュースが、最高気温マイナス35度・最低気温マイナス50度と言ったときには、テレビを思わず2度見してしまう。
空が突き抜けるように青い日は寒さが増し、逆に厚い雲で覆われているときの方が温かく、マイナス15度や20度くらいでは「なんか今日、温かくて嬉しい!」という感覚になる。
防寒対策はそれなりにしていたけれど、一度何を間違ったかくるぶし靴下で外出した際には、足先の感覚が無くなっていき、凍傷になるのではないかと焦ったほどだ。
そんな風に寒過ぎて、数ブロック歩くごとに入れるビルというビルに少しでも入って、暖を取るなど工夫をしながらの観光になる。
数十メートル歩いただけで鼻の中やまつ毛が凍り出すので、瞬きや呼吸は意識してゆっくりとしっかりと行うなど、雪国ならではの知恵と感覚を身につけていくのだった。
また白銀の世界で光が反射するのか、はたまた猛烈な寒さからか、晴れた日など少し歩いただけで顔が真っ赤になるのも面白く。
マフラーを口まで巻き、帽子と目深にかぶっているため、焼けているのは顔の中心部に集中していた。鏡を見るとまるで高山に住むチベタン(チベット人)のようになっていて、まるで自分じゃないようにも見えた。
自分の身に起きるさまざまな初めてのこと、それらを自分の体験として語れるのはやはり嬉しいものだ。
例えば、体感マイナス60度なんて、冗談みたいな世界でしょ。体にビシビシと刺すような風の冷たさが痛過ぎて、笑ってしまうもの。
遊園地とかで「南極の世界」のようなアトラクションが夏場にやっていることがよくあるけれど、あれでもマイナス30度くらいじゃなかったかな。
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いい悪いとかじゃない、ただの体験として、まぁ、どれもして良かったなと今は思う。
それにそんな極寒の地を歩いていると、ハッと息を飲むような景色にも出くわしたりして。その美しさを前にした瞬間だけは、なぜか寒さを感じないという不思議。
そんな風に散策した後は、セントラルヒーティングが施された室内で暖まる。カチコチになった体がほどけてゆく、その至福の瞬間といったら…!半袖でも十分な温かさで、現代文明に感謝もひとしおになるのだった。
ただあれは、期間限定だからこそ楽しもうとも思えたのであって、過酷なあの地で暮らすことは、大阪育ちの私にはやはり考えられないのであった。
冬のカナダの横断旅でよく目にした、街の中心を流れる川がしっかりと凍っている神秘的な風景に、何度もふと時間が止まった。
実際、現地の人はスケートで通勤や通学をしていると聞いたことがあるけれど、そのシーンを目にすることはなかったな。
※写真は全て私が撮影したもの