無題

【追憶の旅エッセイ #35】寄り道しながら、バンクーバー滞在ハイライトの舞台へ

仕方ないのだけれど、新しい土地のはじまりというのはいつもだいたい不安定だ。それは環境だけでなく、つられて心境もそうなる。

今となっては恋しくて仕方ないオーストラリアでさえ、出だしはこんな感じだったし…。

だから大丈夫、これからきっと良くなる!と実感としてもわかっていても、気分が持ち上がり切らないときだってある。特にこんな冬のはじまりの寒々しくじめじめとした日々の中では。

さて旅の先輩ミチルさんのシェアハウスを出てから、5つの宿を比べた末に決めたG宿に移って一週間。バンクーバーでの時間は依然冴えない…。

まずレセプションの対応の良さで、下見せずに決めてしまった宿のキッチンは、残念なことにとても小さかった。

そして西洋人の多さ、一日中漂う葉っぱの匂い、ごちゃごちゃした雰囲気、レセプションも最初だけ良かったけれど、滞在者に積極的にコンタクトを取る感じはない表面的なフレンドリーさにも少し落胆していた。

人々はここからあそこへと向かう途中の通過点、というように数日で旅立って行くのもせわしなく、誰も私のように「バンクーバーでの拠点を」とは考えていないのだった。

唯一良かったことと言えば、ドイツ人のルームメイト、マリオン(仮)と仲良くなったことだろう。

4人部屋だったのにも関わらず、この時期に旅する人が少なかったおかげで、一週間ほぼ彼女と2人切りで使うことができた。

彼女とは一緒にご飯を作って食べたり、予定が合えば一緒に映画を見に行ったり、珍しく朝から晴れたらスタンレーパークへ出かけたり、ばらばらに過ごしても一日の最後に今日あったことを話し合ったり。

この気候も手伝って彼女も少なからず心折れていたようで、せめて2人で楽しいプランを過ごそう!と励まし合ったりしていた。苦笑。

結局一週間後、バンクーバーから北上したところにあるリゾートタウン、ウィスラーへ向かうというマリオンをバス停で見送った後、私も宿を出ることにした。

一週間過ごしてもG宿を「自分の場所」と、感じることができなかったのは大きい。

オーストラリアでそれなりの数の宿を見てきたので、そういうセンサーは磨かれつつあるはず!それでも違うなら、違うのだろうと。

そしてG宿を決めるときに周った、ほかの4宿の中から結局、かなり低評価だったC宿に決定した。

受付が2人とも日本人だったことや、全部が2人部屋だったこと、キッチンが小さい、廊下が狭い…、と全く良いように記録に残っていないのだけれど。

決め手はまず、ウィークリーレート(週の宿代)がG宿より週5ドル安かったことと、軽い朝食がついていたこと。最初の2ヶ月、働くつもりもないのだから、そろそろ節約をとでも考えたのだろう。

そしてG宿で西洋人の苦手な部分をたくさん見たので(とにかくうるさかったり一日中葉っぱやっていて絡まれたり)、その反動でアジア人の宿なら静かだろうと期待もしたのだった。

しかもアジア人の中でも日本人だったことが、少なからず私を安心させてくれた。

とはいえ2年目の海外生活、英語に対する向上心は並々ならぬものがあったし、日本人コミュニティー上等!という考えもない。

ただ一時期、西洋人疲れした私をしばらく癒すために辿り着いた、静かな休息の宿、の予定だった…のだ。

ですが…、まさかね、まさかですよ。

そんな消去法で選んだような宿が、バンクーバーでの滞在をこれ以上なく彩ってくれる…だなんて。しかも2年目のはじまりから早速、カナダ滞在のハイライトに突入するだなんて!

それにしてもいつもの私なら「カナダまで来て日本人が受付にいる宿?ないなーい!」って感じなのに。苦笑。

G宿を最初の滞在先に選んだことも、今思えばその反動でC宿に辿り着いたのだから、やはり全ては必然だと思わずには居られない。

つまり一見遠回りのようで、実は辿り着くべき場所への最短の道、だったりすることがあるのだなぁ、と。

そしていつもそうだけれど、ひとつの場所に辿り着いて、そこから開けて行く世界の広がりが見えそうになる瞬間。私は身震いするような高揚感に包まれる。

この頃の私もまさに、そんな瞬間を迎えようとしているのだった。

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m i a*旅する自然派ライター|ゆるサステナ旅
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